登山者情報1035号

【2006年08月04-06日/石転ビ沢〜飯豊山〜梶川尾根/齋藤弥輔調査】】

 7月30日(日)に徳網山山頂から無線で御西小屋の「熊さん」に登って来いよと誘われて、8/4(金)4:30自宅を出発、途中で今回の相棒Y君を乗せていこうとしたがY君は寝坊して15分の遅刻であった。山荘到着し、荷物の分配をして登山指導をしている三島君に挨拶をして5:25に歩き出した。 今回のコースは1日目が石転び沢を登り御西小屋までいき、2日目が大日岳と飯豊本山小屋にいって梅花皮小屋に戻って3日目が梶川尾根を下山する予定の登山である。
 石転びの出合までは梶川の出合のところに少し雪渓が残っているが他は全部夏道である。出合の雪渓には大きく円を描くようにクレパスが入っているが中央部を大岩に向かって渡れた。
 水場で休憩をとり,300m位の夏道を登ってから雪渓となるが中央部に縦のクレパスが入っていてその下が崩壊している。ホン石転び沢の出合にはクレパスが横に入っているが右岸側を渡れた。ホン石転び沢出合から100m上部にも真横にクレパスが入っている、このクレパスは大きく下から飛び越えるのには危険があるので左岸側を巻いて登った。クレパスは北股沢出合のところと黒滝の下にも横の入っているがこのクレパスは問題なく今回は渡れた。
 中島の取り付きの手前は土石流が流れているので落石を起こさないように気をつけ、ミヤマキンポウゲが群生している中島で休憩をとり、進むと中島の上部のへつりの部分には1.5m位の雪渓が残っているがその下側2m位のところが消えているのでそこを渡れば問題はなかった。
 12:15梅花皮小屋に到着し、OTJにお土産を渡し冷えたビールでのどを潤してから昼のおにぎりを食べ、3日目の食料などやアイゼン等を小屋に置かせてもらい、13:00、今が満開の稜線の花畑を楽しみながら御西小屋に向かう。
 この間はほとんどが夏道であるが3ヶ所くらいは残雪が登山道に残っているが危険なところはなく、刈り払いがされていて歩きやすく作業を行なった方に感謝したい。
 16:00、御西小屋に到着し待っていた「熊さん」にギンギンに冷えたビールを貰い一気に飲み干し久々の再会に話がはずむ、一足先に到着して鍋料理(何鍋?)を準備していた熊さんの友人で新発田市のWさんと4人で小屋番をしながら宴会が始まった。
 今回のご馳走はWさんが作ってくれた?鍋に新じゃがを茹でてバターじゃが、米ナスの油いため、山形名物の「だだっちゃ豆」等々のつまみに酒を酌み交わし就寝(何時になったかは?)。8/5、4:15起床してみるとなんと熊さんと管理人室に寝ていた。
 外はガスがかかり晴れそうもないので大日岳の写真撮り断念して見ながら朝食をとり、8:00、本山小屋に向かう。徐々にガスは晴れてきて回りのニッコーキスゲの群生と飯豊リンドウなどの花の写真を撮りながら本山の到着するが、ツアー客の一行が30名位と団体が次々と来て山頂はにぎわっていた。
 9:40山頂小屋に行き管理人の松葉さんにお土産を渡し、ビールをご馳走になる。ここで小国山岳会のユニホームを着ているAXLとあった。引き返した御西小屋で昼食をとり、梅花皮小屋に向かう。
 途中烏帽子岳の山頂で休憩しているとオコジョがチョロチョロと顔を出してきた。梅花皮小屋に15:00到着した。
 夜はOTJの焼肉のご馳走などなどが出て飲みながら小国の花火を観ていると20:00ころに新潟の親子(息子は中一)が懐中電灯で登ってきた12:30に山荘を出発してきたそうで里山のハイキングのつもりでアイゼンなし、ピッケルなし、食料なし、寝具なしで腹を減らしての到着であったのでOTJの計らいで夕飯を作り食べさせ、小屋の方は皆が寝ているので管理人室の方で毛布を貸して寝てもらった。
 8/6、4:15起床4:53の御来光の写真撮りをして、OTJの作ってくれた朝食を一緒に食べて6:15梅花皮小屋を出発し7:10門内小屋で管理人の下越山岳会の方に挨拶をして通過、扇の地紙、五郎清水、滝見場、湯沢峰で休憩をして11:12飯豊山荘に下山した。今回の山行では石転びの雪渓が崩壊とクレパスが横に入っていて注意をしなければならないことと、新潟の親子のように事前の調べもなくこの飯豊山に軽装で食料も持たないで入山するものがいるということの対策等をしていかないとならないと思う。

石転ビ沢とオオサクラソウ 雪渓に出ると左岸は崩壊中
ホン石転ビ沢出合を目指す 雪渓を横断する亀裂
中ノ島(草付キ)から
北股沢出合を見下ろす
クサイグラ尾根分岐付近にて
御西小屋 草月平は一面のニッコウキスゲ
オコジョ
本山神社にて イイデリンドウ
滝見場から石転ビ沢