登山者情報1104号

【2007年08月13日/遭難:ダイグラ尾根/井上邦彦調査】

 墓参りを済ませ、息子の20歳誕生日のお祝いに庭先でバーベキューを始めようという矢先、18:54携帯電話が鳴った。発信者を見ると町民課のTH、遭難だろう。「ダイグラ尾根で転落、同行していた妻が飯豊山壮に下山して通報」やはり。「警察署に行く」と伝えて電話を切る。
 状況を整理すると、現場は長坂清水よりも下、妻は現場から1時間20分で飯豊山壮に着いたとのこと、かなり下部である。妻が声を掛けたところ、弱々しい声が聞こえたとのこと。これはすぐに出かけるべきだろう。
 副隊長のQVHに連絡すると既に飲んでいるとのこと、それはそうだ。今日は盆の13日である。しらふの人間は殆どいない。ただ事は一刻を争う。総勢6名が必要、警察は初心者でも可能(精鋭署員は全員留守、しかし吊り上げするには人足が必要だ)、THに飯豊班長への連絡を頼んで、私はいったん帰宅。
 ザックにガチャ類(カラビナや滑車などの救助用具)を突っ込んで、庭に出ると家族が焼肉をしていた。握り飯を2個と肉1片を口の中に押し込み水で流しこみ、再び警察署へ。
 署では署員が慌ただしく出動の準備をしていた。道場に並べられた山道具からロープとレスキューハーネスを取りザックに入れる。QVHが誰かに送ってもらい警察署に顔を出した。QVHとTHに、現場は無線が不安定なので梅花皮小屋のOTJに無線を開局するよう携帯で連絡し、OTJを中継基地として使用すること、後のことはQVHが対応することだけを指示した。
 THから「飯豊班はGCSとNBWが出動する」と聞く、なんとかなりそうだ。「集合は湯沢ゲート、ただちに出動するよう指示すること」と伝える。
 署員に「ゲートの鍵とライトだけは忘れるな。妻のいる飯豊山壮に集合。」と指示し、私は自分の車で一路、天狗平に向かった。
 途中、倉手山登山口の駐車場がやけに明るい、発電機を数台使ってあたりを煌々と照らし、何人かが昆虫採集をしているのだ。吹き付けの岩場でも光を使った採集をしていた。
 飯豊山壮に入ると遭難者の妻が声を掛けてきた。食事は既に済んでいる、ライトはザックと共に現場に置いてきたとのことである。
 外に出るとGCS・NBW、飯豊班々長のOXK(飲酒により行動力低下している)、署員の中にMESを見つけた。これで何とかなると確信する。
 妻を囲んで、現場を確認する。「場所は岩場の下付近、桧山沢側に転落、登山道の真ん中にザックを二つ(妻が夫のザックを回収)置いている。」妻が同行を申し出たが、ライトがないので断った。GCSが予備のライトを貸したので、私達の邪魔にならないよう署員と一緒に行動することを指示した。
 場所を特定するためには動向させたいが、ザックが目印になるので必要度は少ない。むしろ妻が興奮しており、状況によってはどのような行動を取るか分からない(夫の負傷状態が悪い場合、勝手な言動を行う可能性がある。また彼女が存在するだけで我々の言動が制約を受けやすい)。何より彼女に関わっている余裕はない。つまり同行は私にとって迷惑以外の何物でもない。
 既に私の頭の中には、GCS・NBW・MES・私の4人だけで先行して作業を行うと決めていた。その他の署員の安全をどう確保するか、彼らだけで夜間行動は可能かという問題が生じていた。いっそ彼女を署員と一緒に行動させることにより、安全度は増すのでないかと考えたのである(結果的には状況を察知したOXKが署員と妻に同行してくれた)。
 ゲートの鍵を開け、林道を進む。次第に両側から伸びた草が車道を覆って視界を閉ざす。速度を落として砂防ダムに到着する。
 車を止めてスパイク地下足袋を履き、さあ出発と思ったら、3名は既に先行しているとのこと、ヘッドランプを点けて丈の高い草を分け砂防ダムに上がる。ほどなく前方に光が見えて、3名に追いついた。
 桧山沢吊橋を渡り、急登に取りつく。下に後発隊のライトと、林道終点の赤灯(パトカー)が見える。ガチャ一式が入ったザックは重い。NBWについて行く、汗が滴る。丸石を過ぎ、どんどんと高度を稼ぐ。既にアルコールの入ったGCSが遅れ気味である。
 岩場を過ぎて程なく、NBWが二つのザックを見つけた。早速、桧山沢側の藪を捜すとポリタンクが見つかった。ここから転落したことは間違いない。大声で呼ぶが反応はない。無線の周波数を145.50にすることと、現着の旨をOTJに連絡する。
 40mロープを松に結び、NBWとGCSが下る。やがて「遭難者の声が聞こえるが、ロープが足りない。ここよりだいぶ下だ。沢まで落ちているようだ。この下は崖になっているので上げるのは無理だ。むしろ一度吊橋まで下り、桧山沢を詰めた方が良い。」と言ってGCSが戻ってきた。厄介なことになった。沢沿いに運ぶとなると、増員を要請しなければならない。
 なおも藪を下っているNBWから「見つけた!途中に引っ掛かっている!」との連絡があった。無線で「発見、生命に異状なし」と送る。OTJは無線を救助作業に使っているクレーム対応なのか、延々と話しが続き、こちらからなかなか送れない。OTJから数度周波数の変更連絡が来たが、私の老眼では周波数の変更はままならない。
 ともあれ時間が惜しい。ザックを背負って藪に飛び込む。藪の中に急な岩の溝が落ち込んでいる。恐らくはこの溝を落ちて行ったのだろう。灌木を掴んで降りて行く。ゼンマイ採りを考えれば楽なものだが、慣れていない人にとってはきついかもしれない。
 21:27、NBWと遭難者の姿が見えた。斜度のあるテラス状の土の上だ。GCSも到着した。遭難者は半ズボン姿で、片方の靴がない。見た目には擦過傷はあるが、出血はしていない。歩けるかも知れないとのことなので、先ずはハーネスを着けてやり、15mロープで確保し、これ以上は落ちないようにして、水を与えた。
 藪を登って灌木に支点を取り、滑車で引上げる。同時に下から押し上げる。その間にもう一人は余ってくるロープを持って登り、ロープがいっぱいになった時点で支点を取り、引上げに取り掛かる。これを何度か繰り返し(後で聞くと4ピッチらしい)、21:39最後は登山道に引き上げた。
 遭難者は食欲がなく、水分を若干摂取した。既に二次隊も着いており、妻が遭難者の世話をしていた。OTJから、警察無線が効くようだから無線を解除したいと連絡があった。気づくと二次隊が持ってきた無線が署と繋がっている。ここから僅かでも下り始めると入らなくなるとは思ったが、登山道に出たことでもありOTJとの交信を打ち切った。
 先ずは遭難者が歩けるだけ歩いてもらうこととし、後ろから確保する。二次隊のメンバーには邪魔になるので先に下ってもらった(置いてあった二つのザックは彼らが回収)。ストックを手にゆっくりと下り始める。暫くすると疲れて腰を下ろす様を何度か繰り返す。
 そろそろ限界と判断した時点で、レスキューハーネスによる搬送に切り替える。体重57kgとのこと。始めにNBWが担ぐが、途中で遭難者が苦痛を訴えたため腰を降ろさせて休憩を取った。下る時の衝撃が腹部を圧迫するとのことである。そうは言っても他に搬送する方法はない。私も担いでみるが、それ程には重くはない。十分に許容範囲である。できるだけ彼に負担をかけないようにするが、足場の不安定な滑る岩の急斜面では限度がある。遭難者が苦痛を訴えたら休憩し担ぎ手を交替することにした。
 吊橋を渡ると、二次隊の皆が待っていてくれた。沢で顔を洗う。この先も登山道が痛んでおり、足場が悪い。もう一度休んで、23:00過ぎに車に着いた。レスキューハーネスを外し、私はさっさと自分の車で下る。湯沢ゲートは開かれており、救急車が待機していた。救急隊員に状況を説明している間に後続車も到着、遭難者を救急隊に引き渡す。
 ここで救助隊員を集め、私と駆けつけていた役場担当課長が挨拶し解散とした。その後、小国警察署に顔を出すと、QVHとTHが迎えてくれた。
 QVHを自宅まで送り、帰宅してすぐ風呂、そして待望のビール!何時しか時計は14日になっていた。


 遭難者は65歳男性、妻と二人で弥平四郎口から入山、11日は祓川山荘、12日に本山小屋に宿泊し、13日にダイグラ尾根を下山した。発生時刻は分らないが、逆算していくと16:00~16:30頃と考えられる。
 妻の前を歩いていた夫が、突然に左(桧山沢側)の急峻な藪に転落した。登山道から5m下に止まっていた彼に妻は近付いたが、彼の意識は朦朧としており(彼にはこの前後の記憶が欠損している)、握力もなく、自力では這い上がれない状態だった。
 脇に岩溝があり、そこに落ちたら大事になると妻は必死になったが、彼を引き上げることはできなかった。そこでザックが邪魔なのだろうと考え、ザックを外し登山道まで上げた。しかし彼はさらに5m転落した。
 妻が再度下降を試みるが、岩が出てきたので自分では無理と判断し、二つのザックを登山道に残し、単身で飯豊山壮に救助を求めた。
 遭難者によると、救助隊が到着する間は時間的感覚がなく、幻聴があった。筋肉に力が入らず、落ちて行くことを止めることはできなかったとのことである。
 8月11日から15日にかけて日本列島を直撃した猛暑は、熱射病患者の多発がマスコミを賑わし、小国町においても野球をしていた高校生が救急車で病院に搬送された。
 気象庁のデータによると、小国町では11日15:00に33.9℃、12日は14:00と15:00に34.9度、16:00に34.6℃、風速は0~2m/s、13日は14:00に34.6℃、15:00に34.5℃、16:00に34.2℃、風速は1~2 m/sであった(湿度は不明)。
 彼を担いだ時に、彼の衣類から吐き気を催すような異臭が感じられた。汗はさらさらとした水のようなものと、ねっとりとした苦味のある汗に分けることができる。普段、汗をかきなれていない場合は、ナトリウムやカリウムを始めとする様々な成分を含有する濃い汗をかくが、今回の場合は入山している間、相当な量の発汗があり、その汗はねばねば型ではなかったかと推測される。
 「山を考える=飯豊連峰を安全快適に楽しもう」に掲載しているが、登山行動中の脱水量は「5g×体重×行動時間」で計算される。仮に本山小屋を06:00に出発し、16:00に転落したとすれば、5g×57kg×10h=2.85Lの水分が消費されている。体重の2%脱水すれば血液中の水分が不足し、血圧低下、脳や臓器、筋肉にエネルギーや酸素の供給が滞り、疲労感・倦怠感・息切れ・頭痛・めまい・吐き気が生じ、そのまま運動を続けると運動失調や意識の混濁が起き、死亡に至ることもあると言われている。
 体重の2%は1.14Lであるから、少なくとも2Lの水分摂取が必要となるが、年齢を重ねるにつれて、身体は水分を要求しているのに、喉はさほど渇かないので、脱水症状を起こしやすいと言われていることに留意しなければならないだろう。
 遭難者は救出後、医師から「脱水症による腎不全」と診断を受け、数日間の入院を勧められたという。「脱水により、尿量が極端に少なくなると、腎臓で濾過されるべき老廃物質が血液中に残り、腎不全の状態になる。重度の場合では意識レベルの低下や昏睡をきす」と聞く。
 仮説ではあるが、今回の事案は前日からの猛暑による要因もあり、最終日に高度を下げることによる気温の上昇に耐えきれなかったのではないか。
 脱水により血液が不足して脳内の酸欠状態となり、血液中の各種成分が排出され筋肉が無力化し、尿の減少により老廃物が蓄積されて腎不全状態を引き起こした可能性がある。
 熱射と脱水による症状が複合的に作用した結果の転倒であり、連続する転落を止めることができなかったと考えられる。
 最後に、ダイグラ尾根上部の道刈りがなされておらず、草木で足場が見えなくなっていたことも、体力の消耗を加速させたと考えられる。遭難者は地元や山小屋で情報を収集したが、適切な助言を得ることができなかったことは、これからの課題として謙虚に受け止めたい。

遭難者を登山道に引き上げる 遭難者を担いで降ろす 無事救出に成功