登山者情報1128号

【2007年12月16日/旧越後街道(柳生戸街道)樋ノ峠/井上邦彦調査】

 設立25周年記念式典、ヤラシャンポ初登頂報告会と続いた山岳会の行事も、残っているのは記念誌発刊祝賀会となり、記念誌発刊祝賀会は来年になる予定だ。
 ようやく一息ついたので、久しぶりに山に行くことにした。今冬はまだ積雪量が少ない。町中心部から見上げる四囲の山々(700m級)も斑模様でカンジキは不要の様子だ。そこで暫く中断している町境歩きを計画した。
 越後と米沢を結ぶ道は時代と共に変遷している。山形県で越後街道と言うと一般的には大里峠に代表される十三峠であるが、これは江戸時代になってから開設されたものである。 
 それ以前から使われていた幾つかのルートの中で、特に重要な位置を占めていたのが、村上市の柳生戸集落と小国町の荒沢を結ぶ街道である。この街道は江戸時代にも村上市の日本海で製塩された塩を運ぶ重要な街道として利用されていた。また江戸末期、三体山に小国と長井市を結ぶ西山新道が開設されたが、これはこの街道と繋ぐことにより有益性が増したと考えられる。
 「小国の交通」には「柳生戸(やなぎおど)街道、蓬生戸(よもぎおど)街道、塩の道」として開催されている。荒沢集落の山口宅は荒沢口留番所であった。私は以前に山口宅で話を伺ったことがあり身近な存在であったが、これまで何故かこの街道を歩いたことがなかった。
 町境歩きでは入折戸集落から尾根伝いに鷹ノ巣山に登り、蕨峠に抜けた記録がある。鷹ノ巣山以南を歩くには、この街道を利用するのが上策である。そこで今回は偵察行として街道を町境まで詰め、あわよくば鷹ノ巣山を目指すことにした。
 町境には道がないので藪漕ぎを前提とし、邪魔になるカンジキは持参せず、場合によって下山時に沢を歩く可能性があるのでヘルメットと6mmロープ20mを持参した。古く防水の効かなくなったカッパを出して、防水スプレーをたっぷりと染み込ませた。
 初めてのコースは道を探しながら進むので暗い時には歩けない。明るくなるのを待って出発することにした。
 起床すると、あいにくの雪降りである。それでも道路は薄っすらと白くなっている程度、いざとなったら途中から戻れば良いと自宅を出る。
 荒沢集落までは車の跡があり問題なく着いた。トレースのない林道に入る。程なく分岐になるが、右は砕石場である。そのまま直進し、砂防ダムを越えると広場に出た。車をユーターンさせカーナビで現在地を確認すると、北俣沢合流点のすぐ上流である。
  荷物を準備していると対岸に動く動物を見つけた、カモシカである。ゆっくりとこちらに近づいてきたが、途中で私に気が付き、例によってこちらを凝視している。
 06:57発、道が分からないのでそのまま川原を遡る。07:02伐採跡地にトラバース道を見つけ、上がる。
 07:04本流に立派な橋が架かっている。橋を渡るとそのまま右手(下流)に進む道となる。迷ったかと思ったが、左に進み目を凝らすと微かにラインが見えた。
 07:12伐採地を抜けるとブナ林に入り「この先、崖崩れ等危険な箇所あり、通行注意」と書かれた標識があり、すぐに小沢を渡る。
 川原を歩いた方が良いような感じの左岸ヘツリを経て、07:19河床に下りる。07:22-27シャツを1枚脱ぎ、現在地を地図で確認する。
 地図に記載されている左岸の大きな沢が出てこないが、気にかかるので小さな沢を過ぎた所から左岸の杉を目がけて直登をしてみると、07:36立派な街道に出た。
 すぐに大きな沢があり、道は若干沢を遡る。07:40杉林となる。この杉林の林床は、まるで段々畑のようになっている。なんか昔この辺りに人が住んだのだろうか。
 (※ 帰宅後、この辺りが相平という地名で民家があったことを知る。)
 この杉林から道は尾根にジグザグに登っていく。青空も垣間見ることができた。07:45小沢を渡る。
 雪は踝程度、この辺りの道はしっかりしていて街道の面影を良く残している。たわわに積もった雪と一体となって幻想的な雰囲気を生み出し、昔にタイムスリップしたような感じになる。街道が雪で隠されているだけに、その感覚が一段と染みてくるのかもしれない。
 つづら折りの登りが続く。単純に歩くだけならば直線ルートなのだろうが、牛に荷物を着けて越えた街道と聞いているので、このくらい立派な道が必要だったのだろう。
 林を出て雪触植生のトラバースになると、道はおぼろげとなり膝程度のラッセルになる。道に覆い被さったタニウツギ等に雪がたっぷりと積もっており、行く手を阻む。
 08:08膝下のツボ足が続く。今日は藪漕ぎのつもりなので、カンジキは持ってきていない。天候はまた悪くなってきて雪が激しくなるが、雨よりも良いかなと思う。
 08:21膝上、股下のラッセルになる。道は所々分かりにくくなる。柴を掴んで引いて雪を払いながら通る。ジグザグ登りの良い道になっても雪は膝前後になる。
 8:46傾斜が落ちてきた。ここまでのラッセルで少々疲れてきたようだ。鷹ノ巣山までは無理だろうが、せめて烏帽子岩まで行きたいと考える。
 08:49樋ノ峠に到着。これまでは斜面の左をへつってきたが、今度は斜面の右手をへつる。ジグザグな道を一気に降る。真っ直ぐに降りたくなるが、帰りのことを考えてできるだけ夏道を行く。防水スプレーをたっぷりかけてきたカッパなのだが、かなり濡れてきた。
 09:05立岩沢に降り着いた。北俣沢の上流部である。沢は左から右に流れており、右岸から左岸に移る。
 09:13-21空腹を覚えて食事とする。地図によるともう一本沢を渡るのだが、そこから先は急傾斜地をトラバースしている。むしろ小峰の鞍部を越えた方が安全に思える。ともあれ行ってみよう。
 休憩を終えて歩き出すと、道は急斜面の崖地となった。足元には殆ど垂直に下の沢まで見える。道には雪がべっとりと着いている。少しでも雪が不安定ならとても通れない。頭上から雪崩が来たり、足元の雪が崩れたらお終いである。慎重にトラバースする。
 09:26設置してあったロープを頼りにヨケ沢に降る途中で、足元の雪が崩れた。沢に降り立つと対岸の登り口が分からない。暫く沢を遡って五感働かせて登ってみると、やはり道が出てきた。
 09:39道は沢の上流の河床に出た。河床を遡ってみたが、ルートが分からない。雪は股まである。地図によれば、この先に本格的な崖のトラバースが出てくる筈だ。帰路を考えると先ほどのトラバースの箇所が気になる。県境までは行けないだろう、後はどこで引き返すかだ。
 09:45記念撮影をして、ここから引き返すことにする。先ほどの崖を過ぎ、10:00沢を越える。
これから登り返しになる。トレースの上にあられ状の雪が積もり始めているが風はなく林の中なのでトレースは充分使える。
 斜面はまずまずのブナ林だ。そう言えば金目川上流のヨモギ平も、素晴らしいブナ林の中を塩の道が続いている。それにしても十三峠に比べて、かなり厳しい道で本当にこんな所を牛が歩けたのだろうか疑いが湧いてくる。
 大里峠には雪崩で亡くなった方の凶霊供養塔がある。これはある程度冬にも歩いたことを意味している。しかし、こちらはとてもそれどころではない。玉川に道を拓いた気持ちが分かるような気がした。
 10:24樋ノ峠を通過する。左足首に力が入らず足場が崩れる。これは山側に体重をかけ過ぎているからだろう。
 11:00-07休憩、時折陽がさして青空が見えた。休むと体が冷えて濡れたカッパに染みてくる。11:11沢を渡る、だいぶ天候が目まぐるしく変わる。
 11:20ログを整理するため、下の杉林に入る所でGPSを再起動する。杉林の中はやはり田の畦のようだ。
 杉林を抜けてすぐ小沢を渡り、そのまま雑木林の下に道が続いている。頭の上から爆撃のように雪の塊が落ちてきてヘルメットを撃つ。
 11:24河床の林に降りる。面倒なのでそのまま川原を降るととし、何度も川の渡渉を繰り返す。その辺りは長靴の利点である。
 今年石組を勉強して以降、沢の地形に眼が行くようになった。気付くと渡渉点は必ず、淵から瀬に替わる瞬間の所を選んでいた。深さ、流速共に良い。とすれば逆に淵と瀬を見れば渡渉点が何処にあるか見当がつくことになる。
 11:39橋に到着する。渡渉して道に上がり、川原を歩いて11:50車に到着した。

全体図
徒歩ルート図
樋ノ沢川本流を渡る
これが旧越後街道だ
所々潅木が行く手を塞ぐ
陽が差すと雪を被ったブナ林が浮かび上がる
水が流れている所には雪がない
沢に下る
立岩沢を渡る
再び旧街道を進む
ヨケ沢を遡った所で引き返すことにした
ブナの梢
樋ノ峠
振り返ると幻想的だ
ブナ林
つづら折れに登ってきた斜面を真直ぐに下る
そろそろ足がもつれてきた
登山口の伐採跡地が見えた
杉林の斜面は畦のような感じがする
この杉林の斜面も人手が入っている?
ウバユリ
樋ノ沢川を下る
朝に渡った橋
ここで旧街道を見つけた
出発地点の広場に戻る
集落にあった案内図