登山者情報1,518号

【2012年02月04日/百石山(町民登山)/井上邦彦調査】
 豪雪とインフルエンザの蔓延で、町民登山参加者のキャンセルが相次ぎ、担当者は四苦八苦していたようだ。私もイッチャンからキャンセルのメールをいただき、残念に思っていた。
 3日昼前にS氏から電話があり「これから埼玉を出発する」とのことであったが、ラジオから米坂線が区間運休をしているとの放送が流れた。そこで今泉まで来て頂き、私が迎えに行くとことにした。ところが、再び電話があり「いま米沢駅にいるが、今泉止まりの列車が大幅に遅れる」とのこと、急遽新幹線に戻り、赤湯駅まで行っていただくこととし、私は赤湯駅に向かった。米沢市街地は雪処理が追いつかず、道路は混乱している筈だが、赤湯駅なら殆ど問題がないのである。
 翌朝、起きてびっくりした。一晩風はなくひたすら雪が降ったようで、膝上を軽く越す新雪。今冬一番の降雪である。慌てて除雪機を動かし自宅周辺の除雪を行い、山行き装備を用意する。
 依然として米坂線は動いていないので、橋会長とS氏を迎えるべく準備をしていたら、携帯電話が鳴った。tomoさんから「携帯電話をタクシーに忘れたので友達の携帯を借りている。昨夕、埼玉を3人で出発、23時頃小国町内で正面から車に追突され救急車で搬送された」とのことである。さほどの負傷ではないようで安心したが、警察の事情聴取に対応するにも車がなく、何より登れなくても皆の顔を見たいとの相談である。とりあえずkonnchangに伊佐領小学校までtamoさんを送ってもらい、その後は私が対応することとして、予定通り会長とS氏を伊佐領まで送る。ここで今回の担当であるEHJの奥さんがインフルエンザでダウン、従って彼は登らずに自宅を往復しながらの参加と知った。またUWSも登らずに、麓で本部を担当するとのことである。そこで二人にtamoさんの対応を頼み、コンビニに昼食の買出しに走った。
 幾つかの用事を終えて学校に戻ると、既に皆は出発をしていた。今日の雪ならばすぐに追いつくだろうと思い、09:00にカンジキを付けず皆のトレースを辿ると、なんと5分ほどで追いついてしまった。ここでカンジキを履くが、長蛇の列は殆ど動かない。失礼をして先頭に行ってみると、ラッセルに悪戦苦闘していた。私も先頭ラッセルに参加し、その後は後ろのほうのコース脇でラッセルの指導。
 konnchyangが先頭になり、重いザックを置き、猛烈な勢いでラッセルを始めると、セカンドがついて行けず、結局は進まない。セカンドを頻繁に交換し、私の番になってようやく追いついた。先頭の歩幅が大きいため、それに合わせることができないのでセカンドはトップと同様なラッセルを強いられていたのである。私が先頭になった頃から傾斜が緩くなり、misimaにトップを変わって貰う。既に山頂の一角に到着しているのだが、何処までも潜るような雪である。
 風雪を避け、雪庇の下の段斜面を会場と定め、全員で踏み固め、平坦にして椅子とテーブルを作る。LFDが祭壇を作りobake隊長の遺影と花を飾ってくれた。皆で1分間の黙祷を捧げ、献杯!思い思いにストーブを出して調理を始めた。ところが、雪庇を越してきた雪で皆はたちまち雪だらけになり、ストーブも低温のため火力が弱くお湯が湧かない。私は、菊水を持ってobake隊長と飲む。
 何名かが「早く下ろう」と言いだした。その一方で熱々の鍋を囲み盛り上がり始めた面々もいる。そこで希望者だけ連れて先に戻ることにした。
 雪庇の陰から山頂に出ると、風雪が吹き荒れており、登って来たトレースは完全に消えていた。ブナ林の尾根を下っている途中、振り返ると人数が増えている。確認すると、私達の後を何人かが追いかけて来たようだ。これでは全体の統制が取れないどころか、途中で足跡を見失い遭難しかねない参加者も出てくる可能性がある。無線で最後尾に連絡をしたところ、まだ昼食会を続けているとのことである。ただちに全員が下山するように指示し、降って来たメンバーは登り返すことにした。
 ようやく全員が揃い、点呼を取る。これでひと安心である。後はひたすら降る。途中で下に見えた松尾根に不安を感じたので、地元の会員を呼びルートを尋ねると「できるだけ右に行け」とのこと。右に斜降するように降りて行く。やがて杉林となる。彼によると「早坂」という場所だそうで、さらに右に降るのが良いという。
 トレースを見つけ、安心したのもつかの間、それはカモシカのものであった。平坦な杉林を進むと、左前方にカモシカが現れた。なおも進むと尾根の末端となり、沢まで急に落ち込んでいる。さすがにこれはまずいと思い、再度彼に尋ねると「ここは早坂だから、このまま沢に降りる」とのこと。
 意を決して沢に入る。すると前方に動いているものがある。カモシカの頭である。全身が雪に潜り頭だけが出ている。私達から逃げるようにもがいているのだが、なかなか進まない。斜面を登ろうとすると腹と前足が見えて、必死になっている様子なのだが、いかんせん雪が深すぎる。ゆっくりとトラバースするのが精いっぱいのようだ。
 黒い人工物が見えて来たので、学校かと喜んだが、近づいてみると砂防ダムである。「小川沢でないか」と尋ねると、後ろから彼が「砂防ダムの上を行け」と声を掛けてくる。Konnchyanngと二人でダムに近づくと、水は手前に流れており、遠くに林道が見える。ここにきて始めて彼もルートを右に外れ過ぎたことを認めた。このまま進んで林道を歩く方法もあるが、このラッセルを林道で行うには大変な労力を使うし、何よりも林道上部から雪崩が発生する可能性がある。自分達のトレースを使って戻るのが一番であることに彼とも意見が一致した。
 後ろを振り返ると、先ほどのカモシカが私達の足元の対岸で、移動しようとしてもがいている。やはり直登はできないので、斜めに登るのだが、カモシカの身長よりの深いため頭も出ない状態だ。なんとか前方の穴にまで進み、そこから移動は諦めたようで出てこなくなった。
 最後尾まで戻り、先頭になって登り返す。大勢が滑った跡はかなり固くなっているので、端々を蹴り込んで足場を作りながら杉林に出る。やはり地元に住んでいるAQLと杉林を横断して偵察を行うと、先ほどとは別のカモシカが現れた。最初に会った個体と同じもののようだ。
 左上方に松がある尾根が見えた。この尾根の向こうが正しいルートと判断し、トレースに戻ってひたすら上を目指し、ほど良い所でトラバースして尾根を越えた。学校で待機しているUWSから無線が入ったので、状況を説明する。ここで全員集合し点呼。LFDを先頭にまっすぐ下ると、今朝のトレースと合流した。ようやく学校に到着したのは16:30となっていた。ここで閉会式と記念撮影を行い。解散とした。
 今回の町民登山は、反省する点が実に多い。様々な出来事が全体を狂わせたことは確かだが、それらに対する機能保全のシステムが全くできていなかった。これらをきちんと総括することができるか否かが、今後の大きな分岐になるだろう。
皆に追いついた
長蛇の列
ザックに付いているヒョウタンは何かな?
渋滞です
先頭でラッセルした人は休憩
konnchyangが先頭でぐんぐん進む
山頂に到着
風雪の中で会場を踏みます
こんな感じかな
ちょっとルートを外すと腰まで潜ります
テーブルとイスができました
obake隊長の遺影が飾られました
さあ食事会です
じっとしてると雪達磨になります
寒いよう〜
なかなかお湯が湧きません
これはたまらん
下山を開始しました
杉林となった もうすぐ学校かな〜
あいかわらず雪は止みません
それでもみんな元気いっぱい
ぐんぐんと下って行きました

続く ⇒