登山者情報第262号

飯豊連峰
【御幣松尾根/1996年10月25〜26日/井上邦彦調査】

02:00自宅発.黒川村地内でキツネが道路を横断し,鹿瀬町では隧道の中で鼠をくわえてうろうろしている鼬を見かけた.04:19実川の遮断機到着.04:52ザックを背負いヘッドランプをつけ自転車で出発.変速のない婦人用自転車なのでペダルが重い,自転車を降りて引くこともしばしば.トンネルには遮断機があり車通行止めの看板が出ていた.大変に長いトンネルであり水が滴っている所もある.いい加減うんざりした頃に薄明かりが見えて,紅葉の扉が開いた.湯の島小屋分岐を過ぎてまもなく05:58交通止めの柵,正面には飯豊山一ノ王子と神社が見える.遮断機から此処まで10,033歩であった.万歩計を0に戻し,高度計を595mに合わせる.右側には建物の基礎工事中だ.06:10自転車を降りて歩き出す.ヨシワラ沢に架かっていた筈のオウデ橋は雪崩で流され跡形もない.階段を川まで下ると板で応急橋が作られていた.橋がなくても飛び石でわたれそうな川である.橋は増水して流されても

すぐに掛け直せるようにロープで岸に繋がれていた.車道に戻ると左に林道を分ける.ヨシの生えた湿地の真ん中を通る,ヨシワラ沢の地名と関係あるのかも知れない.湯ノ島とは以前この辺りにお湯が湧いてたことに由来すると言う.鹿瀬町付近には島()がつく地名が多い,河岸段丘を意味しているらしい.06:15/481歩,葦原を過ぎてすぐに黄色の看板があり飯豊連峰実川口登山道入口と書かれてある.ここから左のブナ林の中に入って行く.登りにかかる所にトラロープと黄色の看板で誘導しており,ここからアシ沢へ下る旧道を塞いでいる.旧道は滑り易い岩場のへつり(*01)があって危険である,新道を行くこととする.松尾根の急坂を登る,見慣れた草履塚よりも鋭さに欠ける,種蒔山の平坦な山頂部も長く感じる.アシ沢を見降ろすと高度感が強い.何時もは気にも留めない路傍の潅木の微妙な色模様を楽しむ.06:39/867歩,小ピークを幾つか越した700mで登山道をトラロープが塞いで通行禁止登山道→と書かれた看板がある.急な斜面をロープ頼りに下る.06:48〜55/630mアシ沢を横断して張られているロープを探して飛び石伝いに川を渡 る.背の高い草が伸びロープがないと対岸の踏み跡が分からなくなるので注意したい.ここで顔を洗い水筒に水を汲む.06:58〜07:14/660m再びロープを掴んで河岸段丘に上がるとブナ林の中にトラロープが張られ黄色い登山道←看板があり,朝食とする.07:26,760m急登を登り尾根上に出ると眼前に火山のように赤茶けた山肌が聳えている.雲ひとつない晴天である.07:44〜49/900m/1,718歩,小ピークの右脇に次郎新道と書かれた菱型標識が置かれている.錆びており読めない部分がある.右手から沢の音が聞こえてくる.身体の中まで黄金色のブナとナラの林に染まる.07:52砂礫部分の尾根がある.980m左から林を登って尾根上になる.高度を稼ぐに従って落ち葉が増えてくる.鮮やかな紅の枯れ葉をかさこそと蝗が飛び交う.1,080mブナの倒木が道を塞いでいる.振り返ると遠くに盆地があり雲海が覆っている.大木がなくなり左手にビバーク跡を見て,08:24〜35/1,110m/2,083歩,月心清水に到着する.左に幕営スペース,右手にお坊さん姿の石碑がある.このコースを開いた月心()という僧侶を記念してついた名であると鹿瀬町役場の大江氏から教えていただいたことがある.菱型の標識は判読できない. 右手に伸びている踏み跡を53秒100歩ほど辿ると小沢で水が得られる.一度道が崩れた跡がありトラロープで誘導している.ここまでロープを上げるのは楽でなかろうと感謝.分岐から水場まで標高差5m,殆ど水平である.帰路は56秒/83歩であった.清水を過ぎるととたんにロープの下がる急坂である.足を置く所がないのでロープを手繰る.08:41/1,045m尾根上に出ると正面に雪渓を抱えた山が伸しかかってくる.ぽつんと矮化したブナが

立ち,白斑模様のホシガラスが止まっている.高木は月心清水が限界である.1,185mと1,210mの部分は風化した砂礫が露出している.08:55〜09:06/1,260m草履塚から三国岳の稜線を見ながら砂礫地で食事を取る.白く見えるのは越後三山であろうか.1,280mと1,435mにロープと鎖があった.ここも足場が悪いので注意したい.09:46〜10:06/1,550m/3,057歩一服平に到着,標識はない.疲れた,心臓の鼓動が聞こえ大腿部がけだるく痛み頭がぼうとして眩しく眠い.寝不足と自転車の登り遅い食事が祟ったようだ.右側の空地に大江勝広記念碑/H8.4.5没/東蒲/H8.7.7と書かれた石碑が建っていた.私に月心清水の由来を教えてくれた大江氏のことである.まださほどの年令ではない筈なのに,心から冥福を祈る.今朝コンビニで買ってきた不味いお握りを食べる,喉がやたらに渇く.残り少なくなった水筒に,笹の落ち葉の上に煎餅のように固まった登山道脇の雪を入れる.一服平から上部

の潅木は既にはを落としている.登山道に笹の進入が始まっている.急坂と平坦部が繰り返す大男の階段のような尾根を歩幅を小さくしてじわりじわりと登っていく.10:35〜41/1,710m休憩.1,790mからは枯れた急な草地に針金が設置されている.10:57〜11:02/1,820m/5,165歩,鞍部に菱型の標識があり早川ノ突上と書かれている,櫛峰の文字は剥げている.行く手の牛首山に白い標識が遠望される.この先は這松と岩が出てくる高山帯の景観である.烏帽子山の荒々しい岸壁が目を引く.始めの小ピークは左に巻く.1,860m小ピークは何処が頂上とも知れず過ぎる.軽く下って再び登り始め,1,930m左手にガレた裸地があり分岐を枯れた這松の枝や小さな角材で塞いでいる,下山時には迷い易いところだ,ルートを失ったら面倒でも分岐まで戻るのは山の鉄則だ.11:30〜36/1,970m牛首山と書かれた標柱が立っている.御西小屋と天狗岳が顔を出す.風が心地よく吹き始めた.朝日連峰

以東岳や蔵王連峰が見えてきた.登山道に雪が残っており鼬の足跡が続いている,薄手のズック靴では冷たい.鞍部から登りにかかると針金がつけられている.立ち上がった花こう岩が飯豊では珍しい.11:53〜12:16/1,985mピークを左に巻く.大日岳頂上の標識が見える.烏帽子岳頂上にも白いものが見えるが大きさからいって登山道の雪だろう.ここまで背負ってきたプラスチックブーツに履き替える.12:23/1,905m最低鞍部の手前に牛首と書かれた菱型の看板が置かれている.12:25/1,895m最低鞍部通過.急峻な草地を右に大きくトラバースし1,950mから直登となる.振り返ると牛首山の北東斜面は真っ白.足首まで潜る雪の斜面を一歩づつ慎重に登る.初夏の頃ここに雪が残っているとアイゼンピッケルなしでの通行は不可能となる.例年7月第一土日に行われる鹿瀬町の夏山開きは,ここに雪が残っていると途中から引き返すこととなる.2,050mで尾根上に出る.右手に

オーバーハングし左手も深い谷である.高度感の出る岩稜であるが強風時でなければ驚くほどではない.1,070mで左にトラバース,この先は丁寧に道刈りがされていた.切り土したような窪地を抜け,13:03〜06/1,090m/8,352歩,惣十郎清水に着く.カール状地形に残る残雪の融雪水利用であるから,今は渇れている.今は新雪に覆われているが,このままカールを横切って船窪地形の窪地を進む踏み跡もあり,それは廃道である.昨年白骨で発見された遺体はここに迷い込んだのかも知れない.カール手前で右へ斜上するのが登山道ある.13:12/2,150m/8,437歩で大日岳の標柱となる.巨大な飯豊連峰の連なりが眼下に横たわっている.朝日連峰に重なって月山が浮いている.二王子岳佐渡島も見える.大日岳は何処が頂上が判然としないぬうぼうとした山であり三角点はない.標柱の立っているのは分岐点である.ここから見るとピラミッド形をした西大日岳に三角点が置かれている.

右肩に見えているのは薬師岳である.大日岳は大日如来,薬師岳は薬師如来であり,御西小屋付近を指す弥陀ケ原は阿弥陀如来を意味している.飯豊連峰南部は飯豊山信仰を抜きにしては語れないのだ.天候も安定しているので西大日岳まで足を伸ばすこととした.這松の薮道を抜けるとあとは草原に細い踏み跡が続いている.鞍部には新雪を被った残雪の大きな広場となっており,獣達の舞踏会場と言わんばかりに足跡が交錯している.数年前に深夜の弥陀ケ原で出会った2匹のテンの求愛ダンスが脳裏をかすめる.小ピークを左に巻く,険しい渓谷の先にブナイリノ平が見えた.ブナの素晴らしい原生植生が残っているらしい,いつかぜひ訪れてみたいと思っているのだがまだ機会を得ていない.13:38〜44/2,120m/10,186歩で西大日岳三角点に到着する.ここで高度計を2,092mに訂正する.28m相当分の気圧が下がったことになる.この先も薬師岳まで微かな踏み跡があるのだが

特に何かあるわけでもない,ここから引き返すこととする.帰路はカールで遊び,14:09〜19/2,135m/12,195歩,大日岳の標柱に戻る.会津盆地のあちらこちらにつむじ風のような煙が上がり,雲海のように薄く靄がかかっている.始めは工場の煙かとも思ったが,稲の籾殻焼きであろうことに気がついた.標柱から御西小屋に向かう.まもなく右に下る道と尾根道に分かれ,右に下るとすぐに左から下ってきた道と合流する.尾根上には写真撮影の踏み跡があるので視界のない時は注意する.雪の上に始めて靴跡を見て,一気に高度を下げる.笹が登山道に多いかぶさっている.14:51/1,915m/14,147歩,標柱が倒れている,文平ノ池である.標柱とその先の二箇所から左の池に下る踏み跡がある.1,905m/14,488歩,左手の細長い池の脇を通る.鞍部を過ぎて1,940mで草地となる.下道と上道があるが,雪の残り具合によって選択する.一面チングルマに覆われており紅葉と茶枯れた絨毯に羽を失った稚児車が淋しく立っていた.僅かながらアオノツガザクラとチングルマの花も見られた.15:20/2,005m/15,887歩で御西小屋に到着.ザックを降ろして水場 に向かう.小屋から登山道を飯豊山に89歩向かうと石に青いペンキで矢印が描いてある.右の踏み跡を下りきった所に清水が湧いている.小屋から3分35秒373歩/標高差45mである.途中で採取してきた茸を洗いささやかな晩餐とすることにした.戻りは5分17秒434歩であった.翌26日04:56/0歩,小雨の中歩き出す.05:20文平ノ池,06:15大日岳,06:19惣十郎清水,ミゾレが霜柱のように積もり始めた.06:44/7,543歩/牛首.07:16〜28蔵王のGZKと無線がつながる,何時もながら有り難い,感謝.07:49/10,782歩/早川ノ突上,08:14〜24一服平.8:58〜09:54/15,78歩/月心清水で水を補給.10:10/18,416歩/次郎新道,10:25/19,987歩/旧道分岐.アシ沢を渡ってからの登りが辛い,つづら折れの道に汗を流し,10:48〜56/20,875歩で尾根上に出ると空腹で暫しダウン.絢爛な色彩に包まれていると冥界に紛れ込んだような錯覚を覚える.よくもこんなコースを作ったものだと怒りすら覚えてくるが,振り向くとひど(*02)を巻くためには止む得なかったことが理解できる.11:13/22,337歩/車道に出る.11:20/22,706歩/ちょうど新しい湯ノ島小屋の棟上げであり,今回始めて人間と会う.その後旧小屋で12:28まで昼食,車に着い たのは13:09であった.

*01=へつり(山中の岨道,絶壁や川岸等の険岨な路) *02=ひど(山の襞,を採るような急峻で滑り易い地形)