登山者情報321号

【1997年10月08〜09日/朝日連峰遭難/井上邦彦調査】

湯ノ平から帰宅したのが08日正午、ODDとの交信で遭難事案が発生していることを知る。小国警察署に出向き、経過を確認する。07日、新潟大学山岳部一行3名が、朝日連峰荒川東俣沢を登攀中に落石を受け、1名が頭部を負傷、無線機の入ったザックは回収できなくなった。一行は稜線近くまで自力で這い上がりテントを設営し、1名が蛇引尾根を駆け下って助けを求めた。
08日、早朝から救助隊が現場に向かい、私が警察署に出向いた時には、みぞれ視界ない中でテントを捜索しているとのことであった。自宅に戻り入浴していると電話が鳴った。以前としてテントが見つからないとのこと。警察署に急行し、下山していた同行者から聞き取りし、無線で捜索隊に捜索個所の変更を指示。
しばらくして、遭難パーテイ発見の報に本部は色めき立つ。負傷者は朝から意識がない。吹雪きが強まり隊員の疲労も限界に近い。テントの中で寝袋に入り意識のない負傷者は風雪の搬送に耐えることができるのか、翌日の天候はどうか、ヘリによる搬送の可能性…頭の中をずぶ濡れで震えている隊員一人一人の顔が浮かんでは消える。とにかく現在の隊員だけでは搬送不能である。二次隊の手配を頼み帰宅、装備を整えて五味沢に直行する。民宿美和に立ち寄ると、本日の搬送は中止、明朝の好天を期待して救助隊のみ下山中とのことである。伊藤さんにお願いして大きなポットにお茶を満たしてもらい、関さんと二人で救助隊を迎えることとする。

上空を行く県警ヘリ月山

合羽を着て白布平を過ぎ、角楢平のブナ林からヘッドライトを点灯する。無線の反応がない、おそらく荒天のためザックに仕舞い込んでいるのだろう。大玉沢から150m登ったところで光が見えた。あの猛者達が声も出ず、足がもつれて真っ直ぐに歩けない。早速、温かいお茶で菓子パンを食べてもらう。ぐっしょりと濡れたスパイク地下足袋が痛々しい。徳網公民館で解散後、小国警察署に戻り翌朝の救助体制を確認。今日現場を確認してきた隊員から、ヘリの着陸可能性が報告された。移動性高気圧が近づいている、ヘリコプターによる収容作業は間違いのないところだろう。地上部隊の隊員名簿に目を通し、帰宅。

森林限界より大朝日岳、右裾が手前山稜と合わさる所が現場

09日、03:30起床し朝食、4:30警察署で打ち合わせ、新潟大学山岳部関係者が出動の準備に取り掛かっている。私一人が先行することとした。民宿美和で最終打ち合わせ。05:30駐車場を出発。05:41祝瓶山分岐、05:43潜り橋、05:55白布沢、06:01角楢小屋、06:25大玉沢通過。06:43〜47食事、07:22蛇引清水分岐、07:27上の分岐。航空隊まもなくフライトの無線が入る。07:40森林限界着。大朝日岳はガスに隠れているが、平岩山は確認できる。頭上をヘリが平岩山西の現場に向かう。振り返れば祝瓶山の後ろに白化粧した飯豊連峰が連なっている。

無事収容の報に喜ぶ救助隊員
後発隊も既に蛇引清水を越えている。本部と交信しここで収容作業を見守ることとした。大朝日岳下部は風陰に雪が見える程度、全山素晴らしい紅葉だ。航空隊員が懸垂で下降、ヘリポートを整備し負傷者を収容、救急車に引き渡して再度フライトし航空隊員と付き添い者を収容した。08:33後発隊と共に航空隊による全ての作業を確認し、下山開始。09:55〜10:01角楢小屋で全員集合。10:40駐車場に到着した。