登山者情報322号

【1997年10月17〜20日/大境山、飯豊連峰遭難/井上邦彦調査】

10月17日、健康の森横根において、1997年飯豊朝日連峰山閉いが行われた。朴ノ木峠の聖観音で法印の祈祷、その後朝日連峰天望台(展望台ではない)・原始の森・飯豊連峰天望台で武田会長と藤田自然公園管理人の解説を受ける。

飯豊連峰天望台で藤田管理人の説明を受ける

帰り道、飯豊の山並みに沈む太陽を惜しみ、峠に佇む。交流センターで乾杯して間もなく、飯豊連峰で遭難発生の知らせが入り、武田・藤田・井上は警察署に向かう。17:20頃、切合小屋から梅花皮小屋を目指して縦走中の東北学院大学WV部1名が烏帽子岳付近で転落、発見できずにメンバーは梅花皮岳山頂でビバーク体制にあるとのこと。一方、山閉いの皆は高貝さんのK2とチョモランマ遠征の記録、齋藤弥輔さんの飯豊朝日連峰のスライドを楽しむ。翌日の手配を終えて井上も山閉いに復帰。
10月18日、まずまずの好天。早朝、高貝・関は航空隊として、高橋は地上部隊として警察署に向かう。山閉いの一行は登山口の中田山崎にバス移動。爽やかな紅葉の山道を辿る。一名が遅れ気味なので高力さんがサポート。井上がトップ、今盛さんがラストに着く。県境直前の急登で休んでいると薮の中から声がする、沢を道と誤って登ってしまったらしい。県境に出ると道は笹で覆われてくる。僅かに降ると沢を降ってしまいそうなので、鉈でルート工作を行う。笹薮は次第に深くなり後ろの参加者が見えないほどだ。仰ぎ見る大境山はうっとりする黄葉ブナの森である。ブナの倒木を渡り、溝をジャンプで越える悪戦苦闘が連続する。沢で喉を潤し再び林の中を登る。尾根上に出ると潅木の薮道となる。膝に抵抗を受け皆必死の形相。両手で柴を掴んで最後の急登をクリアしたと思ったが、騙しピークが幾重にも続く。ようやく池を過ぎて草原に到着。ここで荷物を降ろす。途中で採取してきたナラタケで味噌汁を作り、柴栗を焼く。皆は三角点まで行って戻り、持参した缶ビールで乾杯!
大境山頂の草原で
無線に救助隊の様子が入る。稜線は風が強く、結局ヘリコプターはフライトできずに全員地上部隊として石転ビ沢を登っているようだ。大境山からは杁差岳だけが姿をあらわしたが、以南の稜線は雲に覆われている。山閉い隊は全員無事に下山し、ゆ〜ゆで入浴。井上は警察署で翌日の打ち合わせの後に帰宅。
10月19日、救助用具と食料の入った二つの重いザックを持って小玉川小中学校グランドに向かう。晴天であるが現場の烏帽子岳周辺だけが雲を被っている。07:30頃、一人で山形県警察ヘリ「月山」に乗り込む、上空の気流が激しくザック二つは無理とのこと、後から届けてもらうことにする。
「月山」から御西岳

空は透き通るように澄んでいるが、稜線の雲は激しくなびいている。そろそろ揺れますよ、ヘッドホンからパイロットの声が聞こえた途端、すうっと機体が落ちた。乱気流地帯に突入したのだ、シートベルトをきつく締め両手で天井のバンドにしがみつく。現場付近を旋回するが気流が悪く近づけない。私も必死で沢を覗き込む。「ザザ、赤いカッパと青いザックでしたよね」頭の切れた言葉が耳に響いた。一瞬、血糊に似た赤い物が視界をかすめた。「何かあります!」興奮してマイクに叫ぶ。「もう一度近づいてみます、私には見えないな、どの辺ですか、あっ黄色い物が見えます」。人間かどうかは確認できないが、これ以上近づくのは危険過ぎる。双眼鏡を取り出してみたが使い物にならない。アマ無線機で地上隊に捜索場所を指示する。ヘリはクサイグラ尾根へと着陸体勢に入ったが、風で飛ばされる。何度目かの挑戦で笹原にヘリの足が着く。外からドアを開けてもらいザックと共に転がり落ちる。が、動けない。ヘッドホンを外すのを忘れていたのだ。絡まったヘッドホンを外し、ザックを引きずり這い出す。
実線は滑落コース、破線は搬出コース

地上隊が沢を挟んで降下しているのが見える、無線で捜索場所を確認する。私も最小限の装備で下降することとした。まもなく伊藤さんが遭難者を発見、全員が集結する。発見位置からの指示で搬出ルート偵察のため、左手の沢を降ることにする。雪で覆われた沢は踏み抜けば何が起こるかわからない。慎重にルートを探る。小さいが滝もあり、空身ならともかく人を背負っての登高は難航が予想される。現場に着くと、既に意識のない近藤君が岩の上に横たわっていた。滝壷には口を開けたザックがあり、付近に衣類などの装備が散乱している。私が見つけたのはカッパのズボンであった。烏帽子岳北東250m標高1,900m、約300m滑落したことになる。早速、搬送方法を検討する。微妙に雪をつけた沢で背負うのは危険過ぎる。クサイグラ尾根はヘリポートとして優れているものの、背の高い笹薮を分け登るのは厳しい。私が降ってきた沢は滝がある。距離は長いが、地上隊が降ってきた沢と草地を選び、近藤君にカッパ・ハーネスを着け寝袋に収容する。吉田君がロープの先端で確保し、全員で少しずつ担ぎ上げる。草付きのため確保支点が取れない。ピッケルのピックを突き刺し支点とするが、大きなショッ クがかかればひとたまりもないだろう。支点が不安なため滑車は使えない、草地に食い込むアイゼンだけが頼りだ。隊員に疲労の色が出始めた頃、与四太郎ノ池に到着。
梅花皮岳から飯豊山と烏帽子岳
一息つくと朝日連峰の上に鳥海山と月山が浮かんでいる。稜線に登ってみると、先ほどより風が弱くなっている。行けるかも知れない、与四太郎ノ池でヘリを待つこととする。東北学院大学WV部OBの二人がクサイグラ尾根に降ろしてもらった私のザックを背負ってきた。悲しい対面である。近藤君を担ぐ役、彼のザックを担ぐ役を決める。「月山」が近づいてきた。発煙筒を焚き、GPNが誘導を行うが、巻き風の中で傾斜のある笹原にはなかなか着陸できない。周囲が閉ざされており突風時に逃げ道がないこともきつい。
与四太郎ノ池での救出作業

近藤君を収容するや否や月山は機首を捻り上げ、「ご苦労様」の一声を残して朝日連峰に消えていった。転落現場に立てた黄旗を回収し、梅花皮小屋に戻る。石転ビ沢なら明るいうちに降れるが、ズタズタの雪渓は緊急時以外通りたくない。今夜は梅花皮小屋で近藤君のお通夜を行うこととした。
後列左から、井上・高貝・吉田・関・羽田・横山
前列左から、伊藤・仁科 救助隊員
梅花皮小屋へ戻る

10月20日、後始末を皆に頼み、03:38伊藤さんと二人で梅花皮小屋を出発。欠け始めた月だが十分に明るい、ヘッドライトを消し、夜の稜線散歩を楽しむ。04:06北股岳、04:44門内岳、05:02扇ノ地紙で一服。
滝見場から石転ビ沢

ダケカンバノ峰でパンをかじり、07:36天狗平着。迎えのパトカーで警察署に戻った。