登山者情報378号

【1998年10月10〜11日/ダイグラ尾根〜石転ビ沢/木内茂雄・高橋弘行調査】

タイム
(10/10)飯豊山荘〜車道終点6:07〜落合/吊橋〜ホダワラ6:55〜7:40池の平〜7:50水場8:00〜8:50休場の峯/三等三角点9:00〜9:35千本峯〜9:45岩場/立枯れの木目立つ所〜11:30宝珠山道標〜13:40飯豊本山
(10ノ11)本山小屋8:45〜本山頂上9:05〜10:00御西小屋〜10:25文平の池10:30〜11:00御西小屋11:15〜12:00御手洗の池12:15〜12:55烏帽子岳〜13:15梅花皮小屋〜13:25〜15:20石転び沢出合15:30〜15:50梶川出合〜16:40温身平砂防ダム.

記録
10/10)天気予報は10日、11日共快晴、雨0パーセント勇躍して出発した.上空は雲が無い快晴、周囲の景色は一週間前とは雰囲気が違い少し紅葉してきている.一ピッチで通称ホダワラに着いた.ここは丁度乗越になっている所で此処に体を乗り出した時、真正面に朝日を浴び眩しかった.朝食を済ませ出発、少し右後を見ると梶川峰が良く見えた.これから登るダイグラ尾根は東に向かっているのか朝日をズーツと浴び続け眩し過ぎた.≪後で地図を調べたら、何とダイグラ尾根は真南に向かっていた!≫ 
ホダワラから40分も登ると、池の平に着く.名前の通り平である.同行の高橋氏がつぶやく“平はいいなあ−”と、私は“下りがいいなあ”・・・・・・・・・
この左側に池がある.少し登って行き傾斜が緩やかになったと思う頃、左に舞茸が出そうな大きな楢の木があり、その幹に水場の標識がぶら下がっている.左に少し下がった所が水場であるが、そこには行かず舞茸を捜すが無かった.   
急な登りであるが50分で休場の蜂(三等三角点)に着いた.此処で視界がよくなり、雲ひとつ無い快晴なので、遥か遠くには杁差小屋まで見える.そしてこれから行くダイゲラ尾根特有の何回もの登り降りが手に取様である.一服あと、紅葉を楽しみながら先へと進む.千本蜂の道標を過ぎ10分も行くと一寸した岩場に出て、此処から下る.先週の下山の時に反対に見上げたわけで有るが、さほど急に思わなかった.けれど、見下ろすと、かなり急で高度感が有る.ここには、もう一つ特徴がある.何の木か判らないが、何本も立枯れた木が立っており、この岩場と上手く調和して辺りの雰囲気を出している.これが“自然”と言うものだろう.           この頃、遠くゴロゴロと言う音が2回した.まさかカミナリではないだろうと信じきっていた.岩場を降りてから更に下り、鞍部に着いた.緊急時に二張りのテントは張れそうだ.この場所を前後してヒメサユリの名残があった.シーズンにはヒメサユリのトンネルがあると聞いているがこの辺りだろうか.

さて、何だか空が暗くなってきて、今度は本当にカミナリと判るゴロゴロがしてきた。そして、小国町では雨になったと無線で連絡有り、ますます雲行き怪しくなり暗くなってきた.まさかと思っていた雨具をザックの下より取り出し身支度をした.
更にザックカバー着けた時、ザーツときた.(10時50分であった)絶好の準備体制であったのは不幸中の幸いと言うべきか・・・・・・.今回、通称・雨男”と言われている御方と一緒であるが、雨予報0パーセントがまさかこうも急変するとは驚きそのものである.怒るよりは呆れてしまった後の余裕というか、込み上がってくる笑いを禁じえなかった.或いは一説に言う”女心に秋の空”か?(全国の女性に怒られるかも)

ダイグラ尾根にて

一時間以上も経ったろうか、何時の間にか雨は止んだが、霧に風があり気温も下がっている.宝珠山の道標も過ぎ、二つ三つのピークを登り降りしてから御前坂と言われている登りにかかった.そして、間もなく低木と草地帯も終わり這松と石コロの道になった.途端に右側より風を受けるようになった。手が凍えそうなので、袖の中に引っ込めて歩く.相変わらずの霧なので、景色も見えず退屈であった.そんな時に妙案が浮かびあがった.風が吹き上げて来るので、“手を広げて奴凧の様な恰好をすれば楽に登れるだろう!”と試みた.真後からの風には少し効果がある様な気がする.しかし、斜め横から来る風には上手くいかない.残念な事に私は山男だ、もしも海男でヨットマンであれば上手くいかないだろうか?・・・・・・尚且つ新案特許の簡易型“帆”でも持って来たら頂上は直ぐそこではないだろうか?但し強風の時は危なくて使えないだろう・・・・・・・・・.なんて事を考えながら歩いていたら頂上に着いた.この頃、たまに太陽がおぽろに見えそうになったが、直ぐに霧の中に消える.霧、風共止まない.                
本山小屋までは直ぐそこだ.前を歩く高橋氏、何んとなく足早になった.小屋番の“熊さん”が用意しているビールを目指してのことか.小屋に着いた.靴を脱ぎ、雨具を脱ぎ、直ぐ様座りこんで何をしたかは言うまでもない.そして、今回は鰹を二匹持ってきた.”熊には鮭か酒”なんだが、熊さん鰹で喜んでくれた.夜、私は少量の酒で酔いが激しかったのを覚えている.早々にシエラフに潜りこんだが、二人はその後も何かしてたらしい.
(10/11)朝方少し寒くて目が覚めたがそのまま我慢.明るくなって外は陽がさしているようなので小屋から出てみた.全くの快晴だ!.遠くを見ると蔵王、その右を見ると吾妻連峰らしい山並みが墨絵のように浮かび上がっている.部屋に戻りカメラを持ち出した.でたらめに何回もシャッターを押した.それから、道理で朝方冷えたわけだ、小屋の前に有るドラム缶の水が5mm位の厚さの氷になっていた.再度、部屋に戻るとまだシエラフに潜っているいる高橋氏、何を言うかと思えば”そろそろ御来光の写真を撮らなくちゃ”なんて寝ぼけたことを呟いていた.

雲海に浮かぶ吾妻・磐梯と本山神社

二人も起き出して来て、まず全員気付薬を少しだけ飲む、これが熊さんといる時の日課である.
朝食を済まして二人で出発したのは9時少し前、天気はあまりにも良い.気分良く歩いていくと、直ぐ福島市の小学校の女の先生3人に会った(年齢不祥).景色がよいので記念撮影をしてあげる.そして、本山近くに来た時、高橋氏”杖を忘れた”と、小屋に引き返した.天気が良いので出る時から片手にカメラを持ったので忘れた様だ.飯豊本山から、昨日登ってきたダイグラ尾根を見ると、宝珠山があんなに下かと思えた.それを右に見ながら、頂上を後にする.
晴れ渡っているので、道はよく判るが5 分も下ると、右まっすぐ方向には紐が張って有り通せんぼしてある.霧の時には迷い易い個所だ.左に少し曲がって降りる.そして、又駒形山に登って降りて行く時も似た感じの個所が有るので要注意.霧の時はどちらかと言えば、左に歩く様にすれば間違えたとしても玄山道にぶつかるだけである.さて、この玄山道の前方下の所に雪が少し残っている.これを”御鏡雪渓”と言うそぅだ.本山小屋の熊さん日く、“今年は雪が少ない、毎年あの御鏡雪渓が消えたことが無かったが、今年は消えてしまいそうだ.”と言っていたのを思い出す.天気はあくまでもよく、大日岳は間近に見えるし、遥か遠くには左から磐梯山、越後の山並みか、谷川岳か、その後にあるのは北アルプスか?・・・・・・何でも見える本当の快晴だ.昨日の悪天候分を返してもらい、その上おつりまできそうだ.

白い円の中にさらに小さく見えるのが御鏡雪

鼻歌混じりの稜線漫歩とはこのことなり!.”秋の空”とは良く言ったものだ.写真を撮りまくりながら歩いても、1時間弱で御西小屋に着いた.小屋番の松葉氏がシエラフを干していた.“まず、ビールを”と勧められたが”文平の池迄行って来てから”と答えて、カメラだけ持って直ぐに出掛けた.先日、池に映る大日岳を撮ろうと試みたが霧で駄目であったので、再挑戦である.小屋より、大日岳方面へと5分も下るとチングルマの紅葉が始まっていた.この辺りシーズンには矢張、最高のお花畑の一つだ!.鞍部まで降りてから、小さいピークを一つ登ると右側に小さな池が有り、更にもう一つそれより大き目のピークを登り、そして降りると右下に大きな池が見える.これが目的の文平の池である.池の畔に立って大日岳方面を見ると、確かに大日岳が池に映るが風で波立っているのでボヤツとしている.強い風ではないが、待っても駄目そうなのでこの状態で2.3回シャッターを押した.今回も誠に残念である.

文平の池に映る大日岳

小屋に引き返して、松葉氏が勧めてくれるビールを飲んだ.高橋氏と二人で350cc一本にした.これから、先が長いので”もう少しどうか”と勧めてくれる松葉氏に断って早々に出発する.ノンビリして居ると石転び沢の途中で暗くなってしまう.相変わらず快晴で文句のつけようが無い.そして、前を見、横を見、後を見てシャッターを押しまくった.今日、このコースをとった理由に、御手洗の池で烏帽子岳を背景にして池に映る紅葉を撮ることであった.待望の池に着いたが少し遅かりし、葉が一部落ちていた.それでも何枚か撮った.小休止後、見えている烏帽子岳を目指した.途中、天狗の庭を通過したが、通常道は雨で大きく崩れているので、庭の保護のため左側に避けて通る.我々は偵察のため旧道を通って見た.矢張崩壊が激しい、当分通らない方が良い.
烏帽子岳を登り、そして梅花皮岳を登れば後は下りのみと判っているせいか足取りは軽い.二つの頂上で休むことなく、一気に梅花皮小屋へと降りた.頂上近くの日陰には霜柱が溶けないであった.歩いていると判らないが日陰の気温は低い様だ.小屋に着くと、新しい小屋は外壁工事が終わっていて戸締まりされていた.内装工事はまだで使用出来ない.外から見れば二つ小屋が有る様に見えるので記念に写真を撮る.

手前が現小屋で奥が新小屋

リンゴを食べただけで、石転び沢へと飛び込む.時は13時35分なのに陽はあたらない、ズーツと下の石転び出合辺りまで日陰である.草つき(通称中の島)を降りて行くと、黒滝の下からは沢一面大小の石がゴロゴロと散積している.雪は全く無い.高橋氏呟いた.“雪の無い石転びなんて「醤油の無い寿司」みたいなものだ!”と.しかし、実際はもっと凄い例えを言ったが公言出来ない.石の上ガラ場の上を唯、単調に、しかも急激に下るだけ.後を振り返り、見上げて見ると物凄い傾斜だ!昔からよくもこんなルートをとったものだと、つくづくと感心する.
いい加減歩くのに飽きた頃石転び出合に着いた.周りの紅葉も大したことも無いので写真にもならない.最後の大福モチを食べて、“暗くなる前に温身平までいこう”と言いながら先を急いだ.気がついた事だが、この一ケ月の間に石転び出合と梶川出合が変化していた.大きな岩が有ったり、流れが変わっていたりしていた.温身平まで一ピッチで行った.予想したより早く着き、明るい内であった.

筆者

今回一つの小論文というか一説を述べる.題して≪オナラと気圧の因果≫
前回の大日杉コースの時、初日は快晴であった.同行のT氏、頻繁にオナラをしていた.本人弁解がましく、“これは気圧のせいだ”なんて冗談を言っていた.何を隠そう小生も後を歩きながら連発して推進力をつけていた.そして、二日目は雨で、二人共何もでなかった.
そして、今回初日晴れていたが、天候急変で雨になった.思い出してみると二人共朝から一発も出なかった.そして、二日目雲一つ無い快晴でT氏連発した.偶然の一致だろうか?.それとも、冗談でなく気圧と関連があるのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・.                                                                                 完