登山者情報417号

【1999年07月10〜11日/丸森尾根〜石転ビ沢・遭難/井上邦彦調査】

既に定例となった登山道整備であるが、今回は丸森尾根と梶川尾根を行うこととした。本隊はJM7ODD・JF7KRS(親子)・JL7AZA・JL7HLV・JF7HZU・正木・加藤・峡彩山岳会(小山・松原・南山・若林・高橋・高橋)、日帰り隊はJF7IIV・JF7PWD、日帰り梶川尾根隊は、JJ7AJE・JG7QKGである。
05:43天狗平を出発、岩稜に汗を流す。ツルアリドウシ・オオコメツツジが咲いていた。07:20〜45、水場、上部に残雪が見え水量は豊富であるが、何時もながら冷たくはない。以前に取付けた標識が駄目になり、かろうじて誰かが付けた青く小さな標識が残っている。チゴユリ・マイヅルソウ・ツクバネソウが咲いている。

丸森尾根 1,30mの水場
足場を作る

途中で蒲生氏と会う。初対面であるがホームページでお馴染みである。
いよいよ崩壊地で作業開始となる。昨日頼母木小屋に上がっていたJN7OTJが合流する。ルートの設定に悩むが、概ねこれまでのルートをベースに足場を刻み、最上部に土嚢を詰み水の流れを変えることした。ここまでは事前にLFDとKRSがブッシュで刈り払いを終えている。KRS・OTJはブッシュで道刈りを始める。

土嚢を積んで水の流れを変える
所々に水のはけ口を掘る

尾根筋の登山道は流水が集まることにより深く掘れて行く。丸森尾根上部では一度、登山道を掘れた道の脇に移動している。今回の目的は、途中から水の抜け道を作り、流水が集まらないようにすることである。
丸森峰で森林限界となる。丸森峰の標識は1990年の国体時に設置したものであるが、破損し読めなくなった。付替える必要がある。この先僅かだが登山道が雪で覆われている。高山帯でも所々土嚢を積み水路を整備する。
12:15地神北峰到着、缶ビールで乾杯し、日帰りのIIVとPWDが下山する。ミヤマダイコンソウ・イイデリンドウ・ヒナススユキソウ・ヒメサユリ・キバナノコマツメ・マルバシモツケソウの咲く稜線を頼母木山小屋に向かう。
小屋の水場の取水口は露出しているが、ホースの具合が悪いのか水は出ない。水場に向かう途中で融雪水を得られる。まもなく小屋の管理人が入るので、対応するだろう。小屋で吉田明弘氏に会う。彼もまたE-MAILでお馴染みであるが、初対面である。
既に泥酔状態になって、同宿の方々にご迷惑をおかけしていた20:00頃、無線機に遭難発生の知らせが入った。しかし、その場所が石転ビ沢なのか門内沢なのか、ホン石転ビ沢なのか北股沢なのか全く分からない。遭難者は自分で屈伸運動ができるほど元気だという。これでは出動のしようがない。もう少し詳しい状況が入ってから検討することにした。
翌朝5:00頃、杁差岳が綺麗に見え、佐渡島・粟島もくっきりと浮かんでいる。しかし地神山方向は視界が全く効かない。JF7PWD・JF7QVH・JI7KCN等の一次隊が出発したとの無線が、JM7NOO・JL7GZKから入る。昨夜事故を目撃したと言う通報者からの聞き
取りを行ったが、要領を得ない。通報者を連れて石転ビノ出合に向かったとのことである。PWD達が通報者と直接話をしているのであれば、問題はないだろう。それにしても現場が分からないのは厄介である。

頼母木小屋から杁差岳
北股岳山頂から扇ノ地紙


我々は登山道整備のため、誰もピッケル・アイゼンを持参していない。この状態で滑落現場に出向き作業することは危険性が高いと言うより、自殺行為である。迷った末、全員を集めて行動できる者がいるか尋ねた。当然全員から、無理であるとの回答。比較的小さなツルハシがあった事を思いだし,私一人が現場に向かうとこととし、皆には予定どおり登山道整備作業を行ってもらうこととした。
一次隊のが石転ビノ出合に到着する予定時刻は07:30とのことである。その頃まで扇ノ地紙に行っていれば、何処が現場であっての対応できるだろうと考え、朝食を取り、06:14頼母木小屋を出発する。ほどなく雲の中に突入する。06:43地神北峰でデポしてあったツルハシを藪から出す。06:55地神山通過。
07:18扇ノ地紙通過、PWDの無線が微かに入ってくる。GZKに中継してもらうと、既に石転ビノ出合に到着しており、門内沢ではないことが判明した、ホン石転ビ沢の確立が高いとのことである。
07:35門内小屋通過、北股岳の登りにかかると雲が切れて、日本海が見えてきた。一次隊で先行している横山隆蔵がホン石転ビに向かうことにする。しかしQVHからの無線では、石転ビノ出合にテントを張っていた方が、昨日の事故に居合せ、途中まで付き添っていたとの事が分かり、彼によればホン石転ビ沢ではなく、北股沢とのことである。北股岳直下石転ビ沢側の旧道を歩いてみるが、崖崩れが激しく、とても通れるものではない。ここから北股沢を下り現場に向かうことも検討したが、ツルハシ一本ではやはり恐ろしい。梅花皮小屋で何か道具を借りることができるかもしれない、小屋に向かうこととする。
08:35梅花皮小屋で作業中の加藤氏達から、山菜採り用のアイゼンとスピッツェのないピッケルを借りる。草付けの広場から急斜面の雪渓に入る。アイゼンが殆ど効かない。これでも軽アイゼンの中では、ましな代物である。玩具のようなアイゼンのみで石転ビの雪渓に入る登山者を見かけるが、本当に恐ろしいことを平気でやっているものだと呆れる。軽登山靴の縁を使って下り、草付け(中ノ島)の夏道を下り、再び雪渓を下って北股沢出合に到着する。途中、隆蔵の無線からは絶望的な内容が漏れてくる、発見したらしい。北股沢を見上げると、北股岳に真っ直ぐ伸びている急峻な雪渓に人が取り付いている。一次隊のメンバーであろう。登るにつれて息が荒くなる。
岸壁と雪渓の隙間に遭難者が倒れており、PWDとQVHが彼を寝袋に入れている。やけに救助隊の数が多い、見なれない顔ばかりである。彼らは懸命に遭難者と雪渓を結ぶ通路を削っている。見上げる斜面はかなりの角度である。上部で滑落し止まれずに、この隙間に落ちて岩に激突したらしい。

北股沢の現場に向かう救助隊員
発見現場

雪渓の上にスノーバーを2本打ち込んで支点としてロープを垂らしてぶら下げる形にし、雪渓の側面に作られたテラスを引きずり出す。そこからスノーバーによる支点でグリップビレイを行い雪渓を下降する。見なれない顔の救助隊は、てきぱきと指示に従い、技術も
こなれている。私は段取りと指示だけで済む。有りがたいことである。
北股沢出合で消防防災ヘリコプター最上を待つ。雲のため日本海を経由して来るとのことである。次第に雲が沸いてきた。北股沢出合から上は雲がないのだが、石転ビノ出合は雲の中である。最上独特の重く低い爆音が聞こえてきた。しかし、爆音は下方を探しているようであり、こちらに来ないまま帰って行った。最上に直接連絡できないもどかしさが増す。二度目のフライトは、上空から爆音が聞こえてきたが、生憎とこちらも雲の上である。
三次隊のJG7QKGが赤滝付近を登っている。無線で確認すると石転ビノ出合は晴れているとのことである。下降を開始する。ホン石転ビ沢付近で雲がなくなり、見る間に石転ビ沢全体が姿を現してきた。石転ビノ出合でロープを外し、最上に吊り上げ作業を行う。空
中から降りてきた航空隊2名が担架に乗せて収容する。

石転ビ沢全景
防災ヘリ最上から下降する航空隊員

ここまで大変お世話になったキャノン山の会の皆さんと分かれ、私達は水場で大休憩。後はのんびりと夏道を下る。14:41砂防ダム到着。帰宅後ラジオで遭難のニュースを聞く。死因は脳内出血とのことであった。
今回の遭難は、10日単独の登山者4名が次々と北股沢に迷い込んだことに起因する。ガスに巻かれて視界が閉ざされた時、知らず知らずにルート選択を他人に頼ってしまう傾向がある。北股沢は大きく3本に分かれるが、今回事故が発生したのは下部から見て一番左の最も急峻で北股岳に直接突き上げる沢である。クライミングの発想でなければ登りきれない場所である。
遭難者はあまりの急傾斜にルートを間違えたことに気づき下降し始めた所で滑落したらしい。雪渓や岩場の下降は登高の数倍の技術が要求され、恐怖心が増し、登っている途中で後ろを振り返ったため足がすくんで動けなくなる登山者も少なくない。
飯豊連峰石転ビ沢は、指導標識はなく(常にルートが変化しているので対応のしようがない)、自分で判断して行くことが要求されていることを肝に銘じて欲しい。
結果は、貴重な人命を失うと言う極めて残念な結果になったが、救助収容においては幸運であった。そのひとつは、遭難者が単独にも関わらず近くに別な単独登山者がおり、下山して警察に通報してくれたことである。さらに疲れを省みず石転ビノ出合まで救助隊に同行してくれ、石転ビ沢であることを確認してくれたこと。遭難者に暫らく付き添ってくれた別な単独登山者が石転ビノ出合に幕営しており、遭難現場まで案内してくれたこと。たまたま通りかかったキャノン山の会の方々が、全面的に収容搬送に協力してくれたこと、キャノン山の会の方々は登攀装備を持ち、その操作にも熟練していたこと(聞けば吾妻連峰の遭難救助で活躍しているとのこと)である。協力いただいた皆さんに、心から感謝を申し上げたい。またこの時期なのに、天候に恵まれ、ヘリコプターを使用できたことは幸運であった。また梅花皮小屋工事中の皆さん、ピッケル・アイゼンありがとうございました。
反省点をひとつ、やはり関係ないコースだと言っても、最低限ピッケルは携行しておくべきですね。

【1999年07月10〜11日/丸森尾根〜石転ビ沢・遭難/高橋弘之調査】

梶川尾根土嚢つみと排水路作りながら下山してきました。滝見場まで草刈りも終わりました。五郎清水の水場までの道が途中
大きくくずれていたので別ルートをつくってきました。
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