登山者情報419号

【1999年07月18日/大日杉〜地蔵岳〜五段山〜大日杉/木内茂雄調査(単独)】

タイム  04:55大日杉小屋−05:35長之助清水−05:45御田05:55−06:55地蔵岳07:05−07:30目洗清水−08:00お坪〜09:00切合小屋09:40−10:40三国小屋10:45−(地蔵水場道〜横峰〜地蔵小屋跡〜地蔵山)11:55〜13:00五段山−14:35大日杉小屋
記録
先週、切合小屋に登った人からの情報によると、ヒメサユリが最高であったと聞き今週もまだ花見は出来るだろうと想い、雨を承知で出掛けた。今回のコースを日帰りでやるのは去年から考えていたので、梅雨のさなか、花を楽しみに大日杉小屋前を歩き始m。空は曇っていたが、雲は高く暫くは南は大丈夫と雨具を付けず4回目の見慣れた道を進む。20分でザンゲ坂を通過、蒸し暑く休憩している3パーティを抜いてきた。
ブナ林を眺めながら長之助清水を通過して、1ピッチで“御田”に着いた。此処にある大杉の傍らで2個日のオニギリを食べ小休止する。この辺りからツルアリドウシの小さい白い花が咲いていた。2個の花が並立して咲いているのが特徴である。その他の花は見当らず、アカモノの赤い実が其処かしこに目立った。先に進むとシロバナクモマニガナがチラホラしてきた。それから、何所かでギンリョウソウを見た。
右から来ている尾根に岳樺の林が見えると間もなく、地蔵岳の頂上である。左の斜面のガレている所をトラバース気味に登ると、やがて傾斜が緩やかになり地蔵岳の平らな頂上に着いた。辺りミヤマキンポウゲが少し咲いていた。真っ直ぐ5〜6m進み2,3段上がると本当の頂上で、左から切合小屋、草履塚、本山、右にダイグラ尾根がパノラマに見える。本山の頂上は少し雨雲がかかり始める。
後に振り向き、ふと見るとセンジュガンビが僅か二つ咲いていた。以前T氏が言っていたが、“前には沢山あったが盗掘されて殆ど無くなってしまった。”ということ思い出して、つくづくと憤りが込み上がってくる。そんな事を考えていて、つい写真を撮るのを忘れてしまった。
小休止で“お坪”を目指して頂上を下り始める。先程から目当てのヒメサユリを少し見掛ける様になった。しかし、種蒔山まで盛りは過ぎてしまつていた。“遅かりしヒメサユリ”誠に残念なり、今回の目的の一つは駄目であった。
さて、他に花はないかと見回して行くと、頂上直下の右側の窪地にはまだ残雪があった。そして、目洗清水の斜面にも雪はあった。花は少ないがカラマツソウ、盛りを過ぎたニッコウキスゲ、ウラジロヨウラク、イワイチョウ、2〜3本ではあるが早くて驚いたのはウメバチソウが咲いていたことだ。それからミヤマコウゾリナが間もなく咲きそうであった。
“岳樺の大庭園”であるお坪で一服して、3個日のオニギリを食べながら本山を見やったが雨雲のなかであった。この辺りマツムシソウが有ったはずだと見回すと、あと10日で咲きそうな蕾をつけていた。そして、もう一つオミナエシ(ハクサンオミナエシ?)らしき黄色の花が直ぐに咲きそうであった。
此処で小国に居るODDと無線交信出来た。短いアンテナでも可能であった。雨に降られる前に切合小屋まで行こうと出発する。途中にゴゼンタチバナが有ったのと何所かに、2本白いシャクナゲが咲いていた。
今回もう一つ期待してきたのは、種蒔山斜面のチングルマの群生でであった。しかし、残念ながら雪の下であった。二個所残雪をトラバースした。稜線に近い方の残雪はトラバースと言うよりは、左上に登る感じであった。この頃、小雨と霧で道が見えず一瞬ではあるが右、平らにトラバースするのかと迷った。
雪の無い斜面にはショウジョウバカマ、シラネアオイ、ピンク鮮やかなコイワカガミ等が日を楽しませてくれる。そして、少しだけチンゲルマが咲いていた。
稜線に合流すると、少し風が有り傘では下半身は濡れそうであった。切合小屋近くでは、ヒメサユリ、ニツコウキスゲ、ヨツバシオガマ、マルバシモツケ、早いイブキトラノオが私を迎えてくれた。
小屋に着き、管理人に『梅花皮小屋新築中』8月末まで使用不可の案内板を手渡し、登山客にPRを依頼した。お茶を頂き、凍らせて持ってきたビールをと新聞紙に包んで来たのを取り出してみると、まだカチカチだったので管理人に普通のものと交換してもらった。それを飲みながら4個目最後のオニギリを食べる。
大休憩後、稜線で風雨に叩かれてはと雨具で身を包み、管理人に礼を言い三国小屋を目指した。雨はさほどでなく、この稜線歩きも花が結構楽しませてくれる。ピンク濃く鮮やかなヒメサユリもまだあり、ミヤマキンポウゲ、ミヤマホツツジ、そして、シロバナヘビイチゴだろうかなどなどが咲いていた。
この時間帯、登って来る登山者と数多くすれ違う。年恰好は私と似たり選ったりのオッサンとオバタンが多い。
下りでも蒸し暑く汗ばむ。雨具が邪魔であったが、三国小屋まで我慢した。このままでは汗で濡れてしまうと小屋で雨具を脱いだ。
小屋から左に折れて、剣ケ峯へと傘をさして下った。岩場にさしかかると鎖場1ケ所が雨で滑り易く、危っかしいので傘をたたみ両手も使い降りた。この辺りも登ってくるオバタン多く順番待ちしていた。この剣ケ峯、雨の下りは意外と厳しい。
あとはノンビリとしたなだらか下りである。地蔵山登り途中、“地蔵水場道”標識の所で真っ直ぐ行けば地蔵山なのだが、右に道を選んだ。前回来た時、右に行き横峯経由、地蔵小屋跡〜血ノ池〜地蔵山と行ける標識の案内になっていたので、少し遠まわりだろうが、どんな道かとこのコースを選んだ。
道は急ではないがドンドンと下る。こんなに下るのかと不安になる頃、右に水場があった。そして、其処から一寸下った所に標識が有り、右に川入方面、左に折り返す様に地蔵小屋跡と表示されていたと思うが、見ないまま、そう信じて登り返した。
ふと左の潅木適しに4〜5m向こうを見ると、何と今すれ違った人が平行して登っているではないか、一瞬唖然とした。間もなく離れていくだろうが何か損をした気持ちだった。
道は殆ど人が通った跡は無く、水で抉り取られた、一寸した谷間の登りがズーツと続いている。笹も有りその薮をこぎ、たちまちビショ濡れになり体が冷えてしまった。後悔先にたたず“馬鹿な周り道をしたなと”思い思い登るがなかなか地蔵小屋跡に着かない。いい加減登ったと思う頃、谷間もなくなり平らになり、そしてトタンをたたみ、古木材を重ねた地蔵小屋跡に着いた。つくづくと自分の愚かさに呆れたのだ!!!
すぐ先は‘血ノ池,そして左は三国小屋方面(最初から、こつちを来れば良かった)そして右直ぐ其処は平らな地蔵山頂上、其処に鎮座している小さな地蔵様が笑っている様だった。
また、ノンビリとした平らな下りが続いている。もう人には一人として会わない。吾一人の山である。途中の湿原には前回見たミズバショウが大きな緑の葉を伸ばしていた。そして、下を見ているとツマトリソウだけだなあと歩いていたら、五段山近くでいきなり2m以上もあるシャクナゲが見事な花を咲かしていた。雪に押されていた跡があり、前回気付かなかったのは雪の下だつたのだろうか。周りを注意して見ると向こうにもシャクナゲが咲いていた。
五段山で道は分岐しており、左に大きく曲がる。そして、数m行くと前回は左に行く道が有り標識も無かったが、今回は、木の枝で通行止めにしてあった。
ピンクのギンリョウソウかと思える様な今まで見たことも無い物に出会った。しかし花の形が全く違う、まずザックを降ろしカメラを取り出し、今山行初めてシターを切った。(井上:ショウキランと思う)

ショウキラン

唯一人山を満喫していると数多いトンボが飛び立つ、以前門内小屋でロを開けていると飛び込んで来る様な数に驚いたことを思い出す。
その時、トンボはこんな所に何をしに来ているのかと疑問に思ったが、トンボもきっと思っているだろう“人間様、この蒸し暑い雨の中、何をしに来ているのか?”と。
ここで、傘をさしながら“オツ”な気分になって一句、『物好きな何にたわむるトンボクン』ついでにもう一句、『登山者よ何にたわむる雨のなか』
さて、もう花も無く唯、ブラブラ歩いて行くと急な下りもあり、次第に左側はブナ林になってきた。そして、前回も記したが6〜7mもあるサラサドウダンの大木がズラっと並んでいる個所に来た。この頃だったろうか?下からの沢水の音が聞こえてきたのは。
更に下って行くと、40m位下の方に銀色がかった白い大きな動物が見えた。見るとカモシカの親子連れであった。口笛を吹いてもなかなか逃げない。近づいて母カモシカに突進されて来られてもかなわないと、二三度口笛を吹くと、おもむろに薮の中へと姿を消した。
写真を撮れば良かったなあと悔やんだがこれこそ、あとの祭。
次第に沢水の音は高くなり、やがて一人用の吊橋に降り立ち、今山行も終わりとなった。


7月17日(土)〜7月18日(日)に石転ビ沢〜飯豊山〜川入コースに出かけました。インターネットでの詳細な情報の提供や登山口での熱心なご指導ご案内には頭が下がる思いですが、それでも間違えてしまう登山者がいることは残念なことです。
以下の報告は、当方のホームページ http://www.bekkoame.ne.jp/~frmkuri に掲載するために作成しているもの(掲載は写真ができてからになります)ですが、何かの参考になるかもしれませんので、取り急ぎお送りしておきます。
第1日〜1999年7月17日(土)
新宿発夜行列車「ムーンライトえちご」で坂町乗換え、小国駅下車。町営バスで飯豊山荘へ。登山者カードを記入して9時15分出発。林道を行くと、ゲート前で警察と山岳会の人が登山道の状況を説明していた。案内図を受取り、話を聞く。
9時40分、石転ビ沢登山道の分岐を通過。砂防ダムの奥に連峰が見える。石転び沢出合までは夏道を行く。11時10分、石転ビ沢出合に着く。軽食をとり、アイゼンを着けて11時20分出発。雪渓の表面は固く、歩きにくい。石転ビ沢の合流点付近は雪渓が陥没しはじめている。時おりガスが降りてくるが、全般に見通しはよい。
13時20分、草付きの下部に到着。いったんアイゼンをはずして高山植物のあいだを登る。強引に右岸(左)側の雪渓を登ろうとする者がいたが、上部にはクレバスが開き始めていたので断念したようだ。草付き上部から左側の沢をトラバースするが、コース取りがやや不明瞭である。ここでガスが出はじめていやらしい。
対岸の岩尾根の切れ目に向かって一気に横断する。雪渓の斜度は45度はあるので簡易アイゼンでは危険である。岩尾根を横切り再び雪渓に出ると、ガスの向こうに梅花皮の小屋が見えた。14時15分到着。
ここで昼食を取り、14時40分出発。ここで北股岳方面からの年配の登山者(単独)が通過して行った。私はこの先の行程を考えて北股岳はパスすることにした。烏帽子岳の頂上でさきの登山者に会う。聞くと朝5時に入山して門内沢に誤って入り、門内小屋経由でここまで来たという。「目印がないから間違えるよなあ。でも向こうの沢の方が迫力があった。」などと涼しい顔でいっていた。たまたま残雪が多かったから登りきれただけで、本来は遭難の危険性が高く、あってはならないことである。
烏帽子岳からの稜線沿いの道は東(すなわち日陰)側に付いているので、まだ残雪に覆われているところが随所にあり通過に神経を使う。ペースをやや落として御西小屋に17時55分到着。大混雑かと心配していたが、宿泊客はほぼ定員と同じの約30人であった。
第2日〜1999年7月18日(日)
目が覚めると小雨模様。でも大日岳方面の展望は昨日よりは良い。4時10分、サブザックで出発。小屋直下の雪渓で先行パーティを抜いてほぼノンストップで大日岳5時5分着。雨は相変わらずだが飯豊連峰の展望はすばらしい。写真を撮って折り返し、6時に小屋に戻る。
小屋では昨日の夜8時ころに到着したという男性客が出発準備をしているところだった。みると私が石転ビ沢出合の手前で追い抜いた人だった。北股岳に寄ってきたために遅くなったという。暗い稜線は道がわかりにくくて大変だったらしい。荷づくり、朝食、水補給のあと、6時50分出発。霧で展望がなくなってきた。広大なお花畑を通り、飯豊山(本峰)に7時55分着。あっけないほど小さな頂上であった。証拠写真を撮って8時に出発。
御西小屋で同宿だったツアー・グループを御秘所の岩稜で追い抜く。その先で数カ所残雪の上を通る。切合小屋(9時25分着)、三国小屋(10時30分着)で小休止して剣が峰の岩稜を下る。ここで一瞬展望が開けたので地蔵山方向の写真を撮っていると、小国山岳会のユニホームを着た年配の登山者が通過して行った。雨傘片手に岩尾根をすいすいと下りていく。山慣れしていない者には真似のできないことだ。
雲はうすく、日がさしそう(ときおり影ができる)だが結局雨がやむことはなかった。この天候の中、次々とパーティが登ってくる。聞くと今日は川入口の山開きなのだという(飯豊鉱泉のお兄さんによれば、今日の入山者は250人以上とのこと)。
濡れて滑る山道を注意深く下り、登山口(御沢小屋跡)に13時20分到着。
キャンプ場から車に便乗して飯豊鉱泉へ行き、ひと風呂浴びて川入発14時45分のバスで山都駅へ、ここでSLばんえつ号とすれちがう会津若松行き列車で帰途についた。
                    栗原 真行 (茨城県つくば市)