登山者情報430号

【1999年11月14日/大日杉〜五段山〜地蔵岳〜大日杉/木内茂雄調査】

1.メンバー 高橋、木内

2.タイム

大日杉小屋6:00〜6:15水場〜6:45楢の木眺め〜6:50松の木眺め〜7:00巨大ミズナラ〜7:20古道(ブナ大木倒れていた)〜7:25少し下り〜7:35惣兵衛眺め〜7:45大岩からみ〜7:50天井ブナ〜7:55〜緩やか〜8:05五段山(1,312メーター)8:15〜8:45牛ヶ岩山〜8:48五枚山〜9:10御前山〜9:25地蔵山(30メーターで血の池)〜10:35三国小屋10:55〜11:25七森〜11:45種蒔山11:55〜12:05お坪への分岐〜12:35御沢入口〜12:40お坪12:50〜13:10目洗い清水〜13:53地蔵岳〜15:40大日杉小屋

3.記  録

今山行実施の本計画は10月23日、24日で五段山のサラサドウダンの大木の紅葉を見ることであった。しかし、当日の午前0時に隣りのバアチャンが亡くなってしまったので、急遽中止した経緯のある登山である。そして、メンバーも同じ高橋氏で、休みが取れないので日帰りとした。

前日まで、天気予報が間違いなく快晴なのを確認して出てきた。大日杉小屋前の駐車場に着いたのは丁度明るくなる6時であった。我々が身支度をしている時にもう一台車がやって来た。二人で今頃昇る物好きもいるものだと話したものだ。(そう言う我々は何だろう)そして、その車は後で判ったことだが長井の美人単独行であったとは......。

駐車場を出て直ぐ木の橋を渡る、そして今まで右に小屋があったのだが、今は取り壊され左に以前と同様な小屋が新築中であった。12月に完成したと聞いている。右に地蔵岳方面を見ながら真っ直ぐ進む。そして、間もなく大きな道を標識に沿って左に入り少し下ると、一人用吊り橋に出る。橋に上がるため四、五段の梯子段が有る、吊り橋のワイヤーが背中のザックに引っかからない様注意してあがる。そして、対岸でまた梯子を降りる。それから山菜採り用の道らしき道を少し登り歩くこと暫し、左に水場が有り塩ビ管より水道の如く出ている。そして“この先五段山まで水場なし”と標識が有る。また暫く行くと登山道は標識に沿って左に入る。

登りは次第に急になり、杉林と雑木林を繰り返して登って行くと、直径10p位の丸木を斜めに輪切りした標識が有り、“楢の木眺め”と書いて吊して有る。(この様な標識が随所に吊して有る。)“巨大ミズナラ”に着く頃、本山と小屋が良く見える様になった。葉っぱの有る時期はこんなに見通しは良くなかったと思った。

登山道には霜が降りていて、落ち葉と一緒に滑り易い。歩き始めて1時間20分でブナの大木が倒れている処に着く、古道が真っ直ぐ伸びていたが左に新道をとり5分も進むと下りになった。そして、朝日を真っ正面に浴びる様になり三国小屋が見える様になった。

“惣兵眺め”に着く頃道はなだらかになっていた。そして待望のサラサドウタンの並木が始まった。しかし、かすかに期待していた『葉っぱ一枚でも良いから紅葉を』と、考えて来たが残念ながら幹と枝だけであった。

20分位なだらかに下って行くと登山道整備の為だろう数10年も経ったサラサドウタンが切られていた。整備といいながら非常に残念である!。初夏に来た時、そんなに邪魔になる木は無かった様な記憶がある。そして、現場の状況を見ても切らないで避けて通れると思った。一度切った木は元に戻せない!。

この後、“大岩からみ”を過ぎるとまた急登になる。この辺りより、本山は背中方向になっていた。

“天井ブナ”を通過、道の整備は相変わらず良いが何か木を切り過ぎる様な気がする。私が神経質なのだろうか?。

そんなことを考えながら歩いて行くと、やがて道は緩やかになり平らな五段山頂上に着いた。(1312と表示されていた。)標識があり左、谷地平、右、牛岩山1,401となっている。右に曲がって直ぐ右に小さな池が有り、薄氷が張っていた。此処にも標識が有り、左、地蔵山3.5K、右、登山口3Kとなっている。そして、握り飯を食べながら進行方向を見やると、今度は本山が真っ正面に見える。

一服後、平らな頂上をなだらかに五分下ると右に3分で“水場”という標識が有った。6月に来た時はこの標識が無かったので此処に有るのがわからなかった。

道はなだらかでのんびり散歩気分で歩く。30分も歩くと小高いピークがあり、五枚山と標識有り。そして平らな道を3分歩くと牛岩山と標識が有った。何の変哲もない平らなピークなので標識が無いと気がつかないで通り過ぎてしまう。 どうしてこの名前が付いたのだろうか?。どうもこの牛は寝ている様だ。

登山道の向こうは相変わらず本山が真っ正面である。緩やかな道を進み御前山を通過、地蔵山にと来た。小さな地蔵様が有り、そこから30メーター先が“血ノ池”とある。この辺り特に赤い処もないが、どうしてこの名称が付いたのだろう?。不思議だ。

道は二股になり、左に2分行くと地蔵小屋跡、更に水で抉れた涸れ沢を20分も下って行くと“水場道”から来た道と合流する。

我々は道を左にとり、10分も下ると“水場道”を通過し少し先に行った頃、単独行の若い男性に会った。今日初めての人である。『昨日三国小屋に泊まって他に二人居た。』という様な会話をしてすれ違った。そして、目の前には剣峰がせまってきた。平らな五段山から漸く登りらしい登りとなった。

天気は快晴で三国小屋も直ぐ近くに見える。“剣峰”と言うだけ有って登りでも気は許せない、岩場の途中でT氏記念写真を撮るということで交替でモデルとなった。

三国小屋に着いて、小屋の中を見たが誰も居ない。直ぐ外に出て二人でビールで乾杯となった。山での“此の一時”が何にも変えられない最高のものであるということは、お互いの顔を見れば一目瞭然である。

天気が良く、風がないので気温が上がり、長袖シャツを半袖までまくりあげて丁度良い。『こんなに暖かいのであればもっとビールを持ってくればよかったなあ!車に置いてきたのは失敗であった!。』と二人で悔やむことしきり。酒は持って来たが『これは地蔵岳で乾杯しょう』ということで残した。

ビールを飲みながら景色を見回す。大日岳、御西小屋、種蒔山、その後ろに本山のピークが少し見える。地蔵岳の向こうに朝日連峰、少し右下を見ると新しい大日杉小屋の赤い屋根が良く見える。以前には気が付かなかったが、小屋の位置少し変わったせいか、それとも木の葉が落ちているからなのか?。

そして、蔵王、吾妻、安達太良、磐梯、更に右を見ると、尾瀬の燧ヶ岳が見える。

視線を小屋の周りに移すと、これがひどい。周りの夏草が枯れ地肌が直接見えるが、そこに有るのは「何と、ビニール袋に包んで捨てられたゴミである。」この先歩いて行くと矢張り、山の斜面に数多く捨てられていた。確かに小屋を出る時にはゴミを持って出るが人目につかなくなった時、投げ捨てているのだ。余りにマナーが悪過ぎる。この様な行動者は山に登る資格が有るのだろうか。本当に自然破壊と言うことが判っているのだろうか!!。罰金ものだ!。折角、気分良く快晴の稜線を漫歩しているのにと、怒りを禁じ得ない。

気分を取り直し、これからの先を見る。切合小屋までの道のりが手に取る様に判る。この辺りは何回かの起伏があり、山らしい景観である。何回かの起伏を通過して、“七森の”の標識に着いた。そして、ここから20分で種蒔山であった。

種蒔山を下って行く時、右側に“御坪”へ直接下る道が有ったが、ショートカットせず切合小屋手前の分岐まで丁寧に歩いた。この辺り気温が低いのか10p以上もある霜柱が林立していた。

分岐から右に曲がり“御坪”へと目指した。夏で有ればチングルマ、その他のお花畑なのだが今は枯れ野原である。“御坪”で一服しながら、葉っぱの落ちた岳樺の白い幹を強調して写真を撮る。ここから見る本山はいつものことながら最高の眺めである。壮大な庭園の気分に浸ること暫し、余裕が有れば此処に一日位はのんびりしたいものだ。

さて、地蔵岳での“一杯”の仕事がまだ残っているので先を急ぐ。雲一つない天気で、登山道はズーット向こうまで見える。T氏いくらか疲れた様子。いつもならば登りになると離されるが今日は違う様だ。大きく二、三回起伏を越しただろうか本日最後の登りも終え“地蔵岳“に到着、“乾杯”となったのは言うまでもない。

少し“良い気分“になった頃、下り始めた。ザックの中は僅かな非常食だけなので、唯下るだけであった。

“お田”に近い頃だったろうか、何か用事があって立ち止まっていると上から誰かが降りて来た。何と女性の単独行であった。(今もそうだけれど、昔はかなり美人だった様だ)聞いてみると、今朝我々が大日杉小屋前を出発する時に車が一台来たけれど、その人だそうだ。そして、驚いたことだが本山をピストンして来たとのことだ。成る程早い、我々がモタモタしていると置いていかれてしまう。結局、駐車場まで一緒であった。

その間、聞いた事は、長井の人で山は10年のキャリヤという。それにしても驚いた、この時期にしかも単独行で本山まで日帰りして来るとは.......。

山キチそのものだ!。感心しているうちに辺りは暗くなってきた。もう少し話しをしてみたかったが別れを告げた。

                                      完