登山者情報563号

【2001年7月28〜29日/弥平四郎〜飯豊山/山田亘調査】

7/28(曇時々晴):7:04弥平四郎−7:22祓川山荘−8:39十森の水場−9:02松平峠着9:19発−10:04水場−10:15疣岩山分岐(休憩)−10:34獅子沼分岐−11:25三国小屋着11:55発−12:35七森標柱−13:06種蒔標柱−13:30切合小屋着13:45発−14:23草履塚-14:57姥御前−15:04御秘所−15:28御前坂−16:12一王子テン場(幕営準備)16:33発−(小屋でテント受付・神社でお札購入)−17:11山頂着17:22発?−(周辺をうろうろしてから水補給)−18:07テント着
7/29(曇後晴):4:40頃起床−5:00~5:30頃山頂−6:22テン場発−6:45御前坂−7:04姥御前−7:22草履塚−7:51切合小屋着8:03発−8:20種蒔標柱−8:44七森−9:27三国小屋着9:44発−10:36獅子岩分岐−10:50疣岩山分岐−11:33松平峠−11:53十森の水場−13:00祓川山荘−13:16弥平四郎駐車場着
7/28
なかなか起きれず3:40起床、4:00頃新潟市の自宅を出てR49を走る。京ヶ瀬のセブンイレブンで朝飯とパンを買い徳沢への分岐でR459に入る。奥川、極入を経て悪路を走り6:30頃弥平四郎の駐車場着。既に6台ほどの車があった。朝食のチャーハンを食べ、生茶で水分を多めに補給し、虫除けスプレーを軽く振り、7:04駐車場発、少し下ったところから沢に降りる。流された橋は復旧されていた。
いつもと余り変わらないはずだがザックが重く感じる。ゆっくりペースで歩き7:22祓川山荘通過。少し行ったところで導水管から水が漏れている部分があるのだが、その付近で登山道の山側を上方へガサガサと登る気配を感じた。この付近では1997年にも大きな糞を見ており、あるいは熊ではと思う。山腹をへつるようにつけられた緩やかな道を歩いていくと倒木でつぶされた部分に巻道が出来ていた。ここを過ぎるとまた緩やかな道が続き8:39十森の水場で喉を潤す。ここから松平峠はすぐという記憶があったのだが、着いたのは9:02分であった。じっくりと尾根を観察しながらパンと水を補給し9:19疣岩山への尾根に取り付く。幸い曇っており体に優しい登りである。
程なく痩せた砂岩質の尾根を渡る箇所がある。ここは風の強いときは怖いところだろう。慎重に渡り、ガスに助けられながらゆっくり登っていくと10:04水と書かれた箇所に出た。その少し手前で山案山子と思われる蛇が尾根を左手に横切った。(29日もほぼ同じ場所で同じような蛇が横切った。)水場を過ぎたところだと思うがすべりやすい砂岩にトラロープの着けられているところが2カ所ある。ありがたく利用させていただいたが、短い方のロープは基点がやや弱いように感じた。休まず登り10:15疣岩山分岐に出る。 このコースではこの登りが一番きついだろう。まずは一安心し、日が出てきたので日陰に移動し休憩する。歩き出すとガスの切れ目から一瞬山が見える。自分は飯豊山と思い「すぐ参ります」と呟やいたが、どうも大日岳のようだ。ともかく10:34獅子沼分岐通過、緩やかな稜線をゆっくり歩き11:25三国小屋着。かなり暑くなっていたので、小屋に入り消耗を防ぐ。小屋の人に聞くと30分以内の休憩は無料とのことだった。元気を回復し1:55三国小屋発、鎖場を経て12:35七森標柱、13:06種蒔標柱を通過し13:30切合小屋に着く。ここで素晴らしい水をたらふく飲んで今後の予定を考えた。
当初、切合に幕営して翌朝本山に往復して下山するつもりだった。しかし正直ここまでの展望はよくない。台風はそれたが完全に抜けていないため、ガスもすっきり抜けないらしい。本山までいけば、第一に日没と日の出というガスが落ち着くチャンスが2回あると思った。第二に明日は子守の約束があり午前中に山を降りたいのだが、その点でも本山に行く方が有利であった。第三に時間も13:30であり、遅くとも17:00には本山に着くと思った。切合にテントをセットして本山往復というのもチラッと浮かんだが、展望の旨味と時間に不安があったので、13:45切合小屋を出発した。
14:23草履塚に着くが展望は一瞬であった。江戸時代のものといわれる剣がなくなっていたのは残念であった。急な下りを経て14:57姥御前(これは関の山姥だろう)の鞍部を通過し15:04御秘所をゆっくりと通過する。15:28御前坂の標柱でGPSの電池を交換する。このときログが狂ったらしく日本海にポイントが打たれている。御前坂の登りは以前はつらかった記憶があるのだが、曇っているのと、マークがしっかりしているのと、終わりかけのヒナウスユキソウに励まされながらゆとりを持って登れた。16:12一王子テン場に着き、テントのセットをする。
16:33テン場を出て小屋でテント受付をする。500円であった。さらに神社が開いていたので1000円でお札を購入する。小屋は一杯らしく神社にもザックが入れられていた。小屋周辺で今夜は野宿といっている人と話す。テン場はゆとりがあった。小屋を過ぎゆっくり歩いて17:11山頂着、3人だけだった。一瞬開けるが、やがてガスが上って来たので山頂を離れる。(ログでは17:22山頂発?となっているがもっといた気がする)水場はテン場から100M下ったところにある。水を250cc程採り18:07テントに着きパンと水とコンビーフとパイン缶を食べて家族に電話する。通じるが電波状況は不安定であった。画像の整理をしてメールを2件打つがだめなようであった。ペグを4本しか持ってこなかったことを後悔して、強い風に悩まされながら寝る。重量カットのためフライを持ってきていないのでなおさら風を感じる。
7/29
4:20を過ぎても日の出の気配がない。どうせ展望もないさとフテ寝をしていたら、テントの中に紅色の光が射し込み、弾かれたように4:40頃飛び起きる。あわてて靴を突っかけて躓きながらテントを出るとまさに御来光であった。最後のバッテリーで2枚写真を撮るとデジカメは終わってしまった。自分は財布も水もPCもGPSもテントの中に放り出し、熱に浮かされたように山頂に向かった。5:00頃山頂に着くと飯豊はその全貌を見せつつあった。カメラがないのは残念だったが、金では買えない素晴らしい風景が自分の目の前に広がった。飯豊はまるで一つの生き物のように緑色をして豊かな体で横たわっていた。最初に眼を惹いたのは梶川尾根である。うずくまった象の鼻のように、マンデルブロ集合のように落下し白い雲の中に切れ落ちているのが見え、こんなスゴイ形をしていたのかと思った。次に扇の地紙から本山へのボッテリとしてうねうねと続く山容と緑の色を嘗めるように味わった。最後に眼をひいたのは、大日岳の異質性であった。緊張感はないのだが主稜線に対して鷹揚に対峙している印象を受けた。石転び沢は上部がわずかに見える程度だったが、何か大日岳に通じるものを感じた。口には出さなかったがカミュの「8月の荒れ模様の空・・・」という詩を思い出した。しばらく気絶したようにその景色を見ていたが漸くガスが上がってきて5:30頃山頂を離れた。これだけで飯豊に来た甲斐があった。飯豊は自分を裏切らなかったなどと思い、確かめようともせずテントの中で寝ていたことを恥じた。
後は、感じたことを書く。御前坂は風が強く前線の通過時は降りれないというのも納得した。切合小屋の水はこのコース随一と思う。:疣岩山分岐から松平峠への下りでは程好くガスがかかり気持ち良く下れたが、以前、晴天時に下ったとき消耗した記憶がある。また上の越経由よりは早いようである。自分の足は松平峠まででくたびれ祓川山荘まで正直惰性で歩いた。13:16弥平四郎駐車場に着き楽しみにしていたペヤングヌードルとパイン缶を食べた。今回一番怖かったのは極入までの林道で、水路の蓋を跳ね上げたかと車を降りて確認した後だった。左後方に異常がないのを確認して車の前に廻ると右前部1m位に蹲った蛇がいた。S字型に鎌首をもたげており直感的に「マムシだ。しかも怒ってる。」と思い、ハザードを点けたまま焦って発車した。R49に出たのは3時頃であり、弥平四郎から1時間はかかるようだ。新潟には下道で4時20分頃着いた。(水原で京ヶ瀬への近道を使った)
この2週間程飯豊から引力を感じており、本能で行った山行であったが、まさに飯豊の秘儀を見たという感じである。今までは、飯豊はいいですよと人に言っていたのだが今後は口をつぐもうと思った。なぜなら、飯豊の良さを自分はまだ知り始めたばかりだからだ。この奥深い優れた山域を歩き抜いて、いつか「飯豊はいいですよ」とさりげなくいいたいものである。

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