登山者情報570号

【2001年8月18日/石転ビ沢遭難/井上邦彦調査】

久々の家族登山、妻と息子の3人で石転ビ沢から梶川尾根日帰り登山を計画した。天狗平にはIIVと小国警察署員が登山者指導にあたっていた。IIVや小国警察署には事前にFAXで登山計画書を送付しているので、挨拶のみで通過する。LFDが先にダイグラ尾根に取り付いているとのことである。ダイグラ尾根を道刈中のAXL・前田君への差し入れを持ちながら御西小屋泊まりの予定である。05:40天狗平発。アブを潰しながら、温身平のブナ林の中を歩いていると、小雨が降ってきたのでカッパを着る。梅花皮小屋のMDEと無線が繋がる。
06:14砂防ダムを通過する。側壁には緑化のための緑色の覆いが張り付けられていた。登山道になってすぐのカレ沢で休憩をしようと思っていたのだが、名前の通りに涸れていたので先に進む。暑くなってきたのでカッパを脱ぐ。06:38〜47ウマイ水で1回目の食事とする。水位はやや下がっていたが、冷たくて美味しい水が飲めた。07:00地竹原慰霊碑通過。エゾアジサイ・オオイタドリ・コシジシモツケソウ・オトギリソウ・ヨツバヒヨドリ・シシウド・タマガワホトトギス・カニコウモリ・ヌスビトハギ・ホツツジ・ソバナ・オクモミジハグマ・カラマツソウ・ジャコウソウが咲いていた。これまで巻き道としていた落合には、情報どおり河床に新道ができていたので、足場を注意して新道を通る。ひと登りで07:16〜19梶川出合に到着する。ここで高齢者の女性グループ+男性リーダー?のパーテイに追いつく。飛び石伝いに梶川を渡ると、氷化し崩壊した雪渓の欠片が残っていた。彼らは雪の上を歩いて行ったが、我々は残雪を避け川沿いに進み夏道に上がった。ほどなく正面に門内沢の雪渓が見えてきた。足場を確認しながら赤滝のヘツリを通過すると、前方左手に石転ビ沢が見えた。やはり上部は雲の中である。
07:43〜49石転ビノ出合(門内沢出合)に到着すると、門内沢にはまだ雪渓が続いていそうだが、石転ビ沢は合流点のすぐ上で雪渓が途切れている。合流点の雪渓はまだしっかりしている。右岸の水場に渡り、大石の左手の踏み跡をたどり、石転ビ沢右岸を進む。そのまま雪渓のなくなった石転ビ沢の右岸を辿り、雪渓の末端でアイゼンを着用させる。半ズボンにランニングシャツなので、寒くてしょうがない、カッパを着る。暫く進むと右岸の枝沢に沿ってかなり雪渓が薄くなっている。左岸からも沢音が聞こえている。この付近は、今後は左岸にも穴が開き雪渓を通れなくなる。その時は一度雪渓から降りて、右岸沿いに川原を進み右岸側から雪渓に取り付くことになる。今回は雪渓の真ん中を進んだ。ウサギとカモシカの糞が多い。
若干の急斜面を登ると、08:48〜59ホン石転ビ沢出合である。ホン石転ビ沢の入口はまだ雪渓があるがすぐ上でなくなる。対岸の枝沢付近はかなり抉れ始めている。枝沢のすぐ上流の小さな枝沢の雪渓の上で休憩を取る。付近にはオタカラコウが咲いていた。ここから雪渓やや急になってくる。息子は雪渓の上で動けなくなっているトンボを拾って帽子の上や胸につけて登っている。雲の中に入ったので視界がなくなってくるが落石の心配は少なくなっているので、安心して高度を稼いでいく。雪渓は所々氷化しているので底の薄いズックは、足の置く場所に留意しながら登る。足を濡らしているので冷たい。
気が付くと無線機の電源が切れていた。MDEを呼ぶが応答はない。そろそろ下山してくる南山さん(数日間梅花皮小屋の管理を手伝ってくれていた)とすれ違う頃だと思いながら登る。北股沢出合に着くと、右手の北股沢側に急な雪渓が続いており迷い込みやすくなっている。平坦部を選んで進むと右手の尾根上に黄色い旗が見えた。北股沢出合の清水である。何処からとなくヘリコプターの爆音がする。
09:34北股沢出合清水に到着。霧の中、黄色い旗の所に数名の男性が休憩しており、その中の一人が腕章をしており、MDEらしい。声を掛けるとやはりMDEであり、南山さんもいる。話し聞くと、08:55頃、南山さんが黒滝と草付キ(中ノ島)の間を下降中、叫び声が聞こえたかと思うと、その声が遠ざかって行った。慌てて駆けつけると、男性が一人登山道から転落していた。ここではまずいと思い、梅花皮小屋のMDEに無線連絡し、肩を貸して何とか登山道に上げて北股沢の水場まで下ってきたとのことである。遭難者の登山靴を見ると靴紐が途中までしか結ばれておらず、足首が固定されていない。このため転落の際に足首を大きく捻ったものと思われる。素足にMDEがシップを貼る。私がゆっくり足首を縦に力を加えるが、痛くないという。足首を横に曲げた時に激痛が走るという。これは典型的な捻挫の症状である。私物缶から三角巾を出し、草鞋掛け(仮称)で足首を固定する。さらにこれをゴミ袋で包みガムテープで濡れないようにする。MDEは既に救助要請を行っており、防災ヘリコプターもがみが近くまできているのだが、高度が我々と同じかそれよりも低い。石転ビノ出合(門内沢出合)まで来ているようだが、雲のため我々には近づけないとのことである。ホン石転ビ沢出合まで降れば何とか視界が開ける筈である。稜線は全く視界が効かないと言う。負傷者を背負ってホン石転ビ沢まで下降することとする。無線で15:30頃にホン石転ビ沢まで担いで下ろす旨を連絡し、燃料の関係でヘリコプターは一旦長井市のヘリポートに戻り待機してもらうこととなった。
負傷者の足首が腫れて来ている所をみると、剥離骨折をしている疑いも出てきた。たまたま下越山岳会の上条さんが、桧山沢隊を迎えに石転ビ沢を登ってきたので、一役を買ってもらうことにした。上条さんのザックはここにデポし、私のザックの中身を、息子と妻と南山さんのザックに振り分け、カッパを縛り付け簡易レスキューハーネスを作る。救助作業に従事できるのは、MDEと私、南山さんと上条さんの4人であるが、アイゼンを履いているのは上条さん一人である。必然的に上条さんが担ぐことになった。上条さんは本番で怪我人を背負うのは初めてとのことである。杖替わりに両手にピッケルを持ち、慎重に降り始める。私は上条さんの先に立ちルートを指示する。負傷者は72kg大柄なので負傷している足が雪面に触れそうになる。搬送を中止して、背負ったまま、負傷者の太腿を私のタオルで縛り、南山さんの細引きでザックの側バンドに括り付ける。MEEはピッケルバンドを使って負傷していない足の登山靴をザックに縛る。上条さんが疲れてきたので南山さんが交代して背負うが、アイゼンがないのできつそうである。
ホン石転ビ沢出合と北股沢出合の中程で雲から抜け出す。下から登山者が登って来るのが見える。本石転ビ沢出合の上で小屋番交替のため登ってきたOTJと会う。OTJはその場にザックをデポし、担ぐ羽目になった。OTJはスパイク地下足袋なので、ズックよりは良いが、不安定であることは間違いない。ホン石転ビ沢出合で、このままヘリを待つか、更に降るか悩む。風が下方から吹いている、ヘリは風上に向かう時に安定するので追い風となり、ホバーリングに苦労するだろう。さらに雲は気まぐれに上下する。絶対安全ということはない。少しでも標高を下げることにする。西置賜消防本部からヘリが長井市から飛び立ったと連絡が入った。直ちに南山さんのザックを敷いて遭難者を座らせ、私のザックとカッパを外す。妻と息子を雪渓の端に退避させる。やがて爆音と共にもがみが見えた。MDEが発煙筒を焚く。もがみは石転ビノ出合(門内沢出合)上空に停止しこちらを見つめている。もがみが我々を確認した旨の無線が入る。ゆっくりともがみがこちらに向かって来る。凄まじい風と共に頭上にホバーリングし、ワイヤーに吊り下がって航空隊員が下降してきた。隊員は負傷者の数m下に降りるとワイヤーを外して負傷者に近づく。もがみはすかさず踵を返して安全な場所に移動する。恐らく狭い谷底で微妙な風にさらされてのホバーリングは至難の技なのだろう。航行隊員が救助用のOリングを負傷者に掛け、無線でもがみに連絡を送る。MDE達が退避する。再びもがみが近づき、ワイヤーを下ろす。隊員は自分と負傷者と負傷者のザックを1本のワイヤーに固定し、腕を回してもが実に合図を送る。二人の体がふわりと空中に浮き、空に向かって上昇していく。誰かが大声を上げた。見ると負傷者が座っていた南山さんのザックが爆風で吹き飛ばされ、雪渓を転がり落ちていく。誰かが追いかけようとしたがとても無理、諦めてもがみの救助作業を見守る。もがみは空中で二人を収容すると、石転ビ沢出合で瞬間止まり、そのまま長井市方面に飛び去った。10:54収容作業終了。
妻と息子に確認すると、もう一度上り返す気はなくなっていた。楽しみにしていた山行が台無しになってしまった訳で申し訳ないが、時間から見ても諦めてもらうしかない。私達は互いの装備を確認しあい、南山さんと私達は下山することとし、皆は梅花皮小屋に向かうこととなった。南山さんはザックを追いかけて下山する。私達が追いつくと、彼は何とも言えない顔をしてザックを指差した。見ると雪渓の粘り気のある泥でザックは真っ黒に覆われ哀れな姿になっていた。南山さんはタオルで背負う部分だけを拭き取ると、途中の川でザックを洗っていくしかないと言い、私達と一緒に降り始めた。11:23〜34雪渓の末端でアイゼンを外す。さらに11:41〜55水場で休憩、居合わせた登山者に黄色い花の名前を尋ねられる。見ると門内沢にニッコウキスゲが咲いていた。石転ビノ出合(門内沢出合)の雪渓を横断し夏道に入る。先程の寒さが嘘のように暑くなってくる。12:17〜27梶川出合で休憩。13:43地竹原慰霊碑通過。無線からはAXL・前田君は飯豊山荘に到着し、GPNもダイグラ尾根を下っている最中という。13:21途中のブナシズクで喉を潤す。温身平の車道をだらだらと辿り、13:45天狗平着。飯豊山荘で風呂に入ると、AXLと会う。翌日新聞を見ると、その後、もがみは月山でも遭難者を救出したとのことである。
最近飯豊連峰においては、遭難事故が連続して発生している。これらの遭難には共通点があるような気がする。じっくりと原因を考えてみたい。南山さんからは、常識では考えられないような行動をしている登山者の報告を受けた。このホームページを見て自分も簡単に飯豊に登れるような錯覚を起こし入山するものがいることを数人から指摘を受けた。表紙にも書いているが、あくまでも熟達者の記録であり、誰もが記載されている装備や時間で歩けるものではないことを忘れないで利用して欲しい。

落合の新道 梶川出合
石転ビノ出合(門内沢出合) 石転ビノ出合を見下ろす
ホン石転ビ沢 ホン石転ビ沢出合から上部を仰ぐ
簡易レスキューハーネスで担ぐ もがみが空中で停止する
航空隊員が降りてきた 隊員が負傷者に近づく
吊り上げの準備完了 隊員と負傷者の吊り上げ作業
救助作業を終了して