登山者情報657号

【2002年09月01日/石転ビ沢/井上邦彦調査】

急告:石転ビ沢の状態は極めて危険です。岩登りや沢登りの技術を有する熟達者以外は入渓しないで下さい。

気温の上昇が見込まれたこと、寝不足であることから、ダイグラ尾根の計画を変更して石転ビ沢に入渓した。06:46天狗平発、24℃湿度70%。爽やかなブナ林を進む。07:11砂防ダム通過。時折ひなたに出るとじりっと暑い。07:34うまい水通過、07:47近大慰霊碑通過。08:07梶川出合には雪の欠片が残っていた。
08:35石転ビ沢出合着。門内沢の雪渓は崩壊したばかり、上流に回りこみ雪渓を渡るためには、崩壊をかろうじて免れている不安定な雪渓に上がることになる。登山道を戻って渡渉点を探すが、梅花皮沢(石転ビ沢と門内沢が合流した地点から下流は梅花皮沢となる)には左岸に雪渓が残っており、安全な渡渉点は見つからない。様々探した結果、雪渓崩壊地点のすぐ下流、石転ビ沢と門内沢の合流地点にポイントを見つけた。数センチ足を濡らして、飛び石伝いに渡り、梅花皮沢右岸を若干下って右岸の水場に出た。道刈りのされた登山道を進み、石転ビ沢右岸で食事を取る。2〜3パーティがホン石転ビ沢下の雪渓でルート選択に苦しんでいるようだ。銀マットだろうか、時折光る登山者は、ホン石転ビ沢対岸枝沢下の急峻なガレ場に取り付き、悪戦苦闘しているらしい。その下の雪渓上右岸に人影が見え隠れする。あの辺りの雪渓はかなり危ない筈だ、心配になる。様子を見るため登れる所まで登ってみることにする。09:25発、踏み跡から平坦な雪渓を歩き、右岸の枝沢から川原歩きとなる。近づく程に雪渓は険悪な状態を見せる。単独の登山者が降りてきた。雪渓の右岸で見え隠れしていたのは彼とのことである。他には単独と男女2名の2パーティが登っているとのことである。単独は先ほどの銀マットであろう、当面のガレ場は無事越えたようである。2名パーティは何処に居るか分からないとのことである。
10:02右岸の枝沢から雪渓が始まる。彼等が通った右岸を登ってみる。とても雪渓に上がる気はしない。近づくことすら躊躇される。岩場に差し掛かった所で、それ以上進まないことを決めた。どう見てもこの先は命がけの山行となる。寝不足の身体では無理をすべきではない。無線でGZKにここから下山する旨を伝え、のんびりとルートの状況を判断する。右岸は岸壁が続くので、既に通行できない。左岸の草付キを登って雪渓に上がり、再び左岸に取り付き岩尾根をトラバースし、雪渓を進んで左岸の急峻なガレ場を登って石転ビ沢対岸枝沢に上がる。その先は状況を見ながら左岸のガレ場と雪渓を交互に進むことになるだろう。ともあれ、基本的な岩登りの技術が必須であり、縦走の荷物を担いではかなり危険度が高いと言わざるを得ない。
気が付くと、大岩が濁流で転がるような音が続いている。始めは雷かなと思ったが、雪渓の氷塊が崩れ始めているのだ。次第に回数が増え、音が途切れなくなってきた。足場を確認し、岩にしがみつくと、轟音と共に雪渓が崩壊した。一息入れる間もなく、再び氷塊が崩れる音が連続し、ゆっくりと雪橋が落ちていく、「シャワー!」水しぶきが雪渓の上部まで飛び散る。雪渓は中心部が無くなったものの足元にはまだ残っている。これが落ちた場合にはこちらまで影響があるかも知れない。足場を確認しながら下山を開始する。またもや雪渓が崩壊する。
川原に出た所で先ほどの登山者と会う。五泉市から来たと言う彼によれば、単独者は上部に行った。2名パーティはどうしたか分からない。確認はしていないが上部に向かったと思われる。始めは男性が大型ザック、女性が小型ザックを背負っていたが、途中から女性は空身となり男性が小型ザックを背負っていた。石転ビノ出合に大型ザックを置いて来たのだろうとのことであった。彼と一緒に下山したが、しかし彼の言う大岩の付近にはザックを見つけることはできなかった。
PS:翌2日、小国警察署により2名パーティは無事に登りきったことが、確認された。

うまい水(沢を登り、すぐ左に入る) 梶川出合
崩壊中の石転ビ沢出合(正面が石転ビ沢、右が門内沢)
石転ビ沢出合全景 石転ビ沢を望む
ホン石転ビ沢下流の雪渓状況 右岸から石転ビノ出合を見下ろす
崩壊前の雪渓 崩壊後の雪渓
崩壊途中の雪渓@ 崩壊途中の雪渓A
崩壊が治まった雪渓を見上げる 石転ビ沢と門内沢の合流点を渡る

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