登山者情報690号

 【2003年3月15日/日中飯森山(1595m)・鉢伏山(1576m)/吉田岳調査】

 今回目指したこの飯森山は、飯豊町中津川と熱塩加納村日中との県境にあり、栂峰(第684号参照)の南西2kmに位置する。そして何と我らが飯豊山の飯豊権現はかつてこの山の山頂に鎮座していたという。つまり飯豊山の起源はこの山にある。そして山岳信仰の対象がより高い山へ移って行く時の流れに従い、この山に代わって名も無い高きお山(現在の飯豊山)に飯豊山という名が付けられたと言うのだ。真意の程は勉強不足で分からないが、いずれにしろ興味深い話である。今回は南陽市在住のGTVの案内により、IBYそして私の3名で、日中側より飯森沢を周遊するコースを行ってみた。
 米沢から大峠トンネルを越えてすぐの待避所に車を止める。IBYと私は山スキー、GTVはスノーシューを使い山頂手前で引き返してくるとのこと。まず当初の計画では最初の大桧沢を梯子で横断する予定だったのだが、橋より眺めてみると飯森沢を渡渉できると判断した。8時、栃平を出発。飯森沢右岸からトラバース気味に沢へ降り、スキーのまま沢を越えて左岸の尾根へ。ここからはひたすら尾根歩きである。滑り易いスネークシール使用の私は、急で堅雪の斜面に程なくかんじき歩行にチェンジ。カービング用ナイロンシール使用のIBYは、そのままどんどん登って行った。30分程でまたシール歩行に切り替えた。耳を澄ますと遠くから何かの声が聞こえる。猿かなとも思ったが、良く聞けば聞き覚えのあるあの声。上空に泣きながら飛んで行く白鳥の群れが見えた。北帰行が始まったようである。
 10時、1200m地点で一本。沢の対岸には下りのルートとなる飯森山からの尾根がばっちり見える。栂峰を登ったときも思ったのだが、飯森山はやはり真っ白である。1500m代の山でありながら、何故こんなに白いのか不思議なのだが、この姿こそが信仰の山になった所以であろう。 1518mピーク手前の痩せ尾根に入った所で、スキーを担いだ。ここが最難関地帯である。右側は崖の上の雪庇。左側は沢へと落ち込む正に雪崩発生源的な所で、クレバスも出来ている。まず私が先陣を切る。そしてクレバスは見かけよりも危険な状態で、雪庇側にもう少し寄った方が良いことを後ろに伝えた。ピーク直下の岩場は何列かの亀裂が走っていた。そこを私とIBYは左へ巻いて林から直登して恐る恐る越えたのだが、後ろから来たGTVは右を巻いて難なくそこをクリアしてしまった。ともあれ、1518mピークからは白銀の世界が待っていた。12時20分、1556mピーク着。GTVはここまでとし、後は無線でサポートしてくれることになった。とりあえず少量のビールで乾杯する。しかし先はまだまだ長い。
 12時40分、IBYと私は飯森山を目指し、GTVは下降を始めた。新雪の上にテンやウサギの足跡が縦横に走っている。それを見るとまさに楽園の世界である。13時20分、思ったより早く飯森山に到着した。撮影を済まし、滑降の準備にとりかかる。雪質はパウダー。しかしスキーの滑走面に雪(ぼっこ)が付いていた私は、滑り出し早々にずっこけてしまった。1460mからはまた登り返し。そして、14時20分鉢伏山到着。ここからは滑り降りるのみである。GTVと無線でコースを確認した。
 雪庇の上から大胆に滑り出す。緩斜面、痩せ尾根を含めて快適に滑れた。1462m地点からは左の尾根へ。そして立派なブナ林へと入っていった。しだいに雪が重くなり、両足に疲労が溜まっていく。IBYと私は「きつ〜〜ぅい」を連発しながら、止まり止まり滑り降りた。視界が効くため、終点地の方向は見当がつき、またGTV達が付けてくれた赤布も参考になり、ルートファインディングはそれほど難しくはない。途中、雪庇と共に落ちかけた人や、ブナの大木に衝突しそうになった人、足を捻りかけた人等もいたが、16時無事駐車場まで滑り降りた。GTVもほぼ同時だった。そして一同は、日中温泉へと向かった。 
飯森沢を渡る 900m付近、ブナ林を登る 静寂の中、
北帰行の白鳥の鳴き声が響いた
1,350m付近 尾根が狭まりだし、
雪庇が突き出している
1,480m付近 痩せ尾根、飯森沢側に
クレパス、息をのみながら通過
前方も松峰が、1,480m付近の
痩せ尾根
1,500m付近 雪庇とクレパスの稜線、
慎重にコースを探る吉田君
1,500m付近 クレパスを渡る 飯森山 1,518m地点から
飯森山への最後の登り 1,595m 飯森山に立つ吉田君
飯森山々頂から望む飯豊本山 二人の自己満足?!
飯森山に残したシュプール
鉢伏山1,576mから飯森山を振り返る 鉢伏山からの滑降コース、心が躍る
中央の尾根
自己満足その2鉢伏山に残した
シュプール
1,400m付近からブナ林が始まる稜線を
滑降する
看板