登山者情報777号

【2004年01月04日/沖庭山/井上邦彦調査】

正月太りの身体を動かしたくなり、毎日見ている沖庭山に上ってみることとした。小渡橋を渡り暫く行くと車道の分岐がある。右手に登っていくと雪が出てくる。260m杉林が終わる所に車を留め、08:54歩き出す。見上げると急な雪崩斜面であり、雪の少ない今の時期だから歩ける。
09:01、300m大岩に虚空蔵様の祠が祀られている。ここでカンジキを履く。動物の足跡はウサギが多く、次いでリス、ヤマドリ、キネズミが見られた。今回はメジャーを持って行ったので、足跡を測ってみることとした。
ウサギの1歩(後足の先端から先端まで)は83cm、片方の後足の幅は90mmであった。次いでリスの1歩(後足の先端から先端まで)は70cm、片方の後足の幅は23mmであった。キネズミはズルズルとした足跡なので1歩間隔は測らず、片方の後足の幅は5mmであった。
沖庭山の東面(町中心部側)は小国断層と呼ばれる急崖が走っている。林道は断層を避けて伸びているが、小沢を挟んで断層の様子が良く確認できる。
ここで再び足跡を何回か測ってみる。ウサギの1歩は110cmから130cm、リスの1歩は80から90cmであった。
標高460mでブナ林からカラマツ(植林)に変わる。しつこく足跡を測る。ウサギの1歩は120cm片方の後足の幅は65mm、リスの1歩は35cm片方の後足の幅は15mmから18mmであった。
10:08パラポナアンテナに到着。広場から車道が左に延びているが、右の杉林を目指して登る。10:18ブナ林に入るとユウトリ沢の源流を挟んで巨大な岩が2つ聳えており、左の岩の上に社が立てられている。これが沖庭神社である。
松の峰の先、標高600m、10:30反射板に到着しODDと交信する。昼食まで帰宅の予定なのでここから下ることにする。
11:19虚空蔵様を通過し、11:30車に戻った。

以前、光兎山から沖庭山に仏像が飛んで来たという話を聞いたことがある。そこで参考文献を開いてみた。
「小国の信仰」
町の西境山地に沖庭山と呼ばれる巨大な岩塊がある。この山地は山形、新潟両県の境界にあり、ここを越える山道は沖庭峠と蕨峠などがある。これらは古来、越後海岸と陸奥内陸への通路として、物資、文化の交流に重要な役割を果たしてきた。殊に蕨峠の女川街道は、中世に栄えた信仰の山・光兎山への道でもあった。
光兎山は、貞観3年慈覚大師の開峰といわれ、山頂の神社には、平安時代の作とみられる5体の金銅仏があるといわれる。その中の1体は、慶長3年上杉景勝の会津お国替えの節、小国沖庭山に遷座されたといわれる。
神社の社殿は真東に綿糸南北3.1m、東西3.7mで狭小な社地は南北5m、東西6mほどの岩塊上に建てられている。御神体は昔から秘仏とされ、紫の布に蔽われて他見は無用である。
昔から、沖庭権現は作神として尊信されてきた。昔は神聖な山として女人禁制で、また明治時代までは、男子15歳になると「初お山」といって沖庭山にお詣りしたものである。
現在舟渡で行っている「獅子踊り」は、作神である沖庭権現に豊作を祈念し感謝する行司で、隔年9月初旬の秋祭りに奉納している。…以下略

「小国の交通」
光兎山頂奉祀の仏像七つのうち、1体は小国町の沖庭権現(沖庭神社)として奉祀されたという。神社には座高30cmの木彫、阿弥陀仏の座像が納められ、由緒書には文永7年(1270)塚原兵庫守建立となっている。
このことは光兎山と沖庭山は峰続きであり、また女川の通谷は小国への容易な通路であったから、修験道の教線延長として考えられる。…中略
光兎山を中心とする修験道は、はじめ天台宗(本山派)であったが、のち真言宗(当山派)に変わった。女川街道の小国側には修験寺院が多く、大日寺(舟渡)、大蔵院(若山)、密蔵院(長沢)などは、創立も古く越後とのつながりを思わせるものがある。…以下略

自宅近くから沖庭山を遠望する
小渡地内から沖庭山を仰ぐ
雪崩植生 虚空蔵様
ウサギの足跡を測る ユキツバキ
小国断層の急崖
キネズミの足跡
町中心部を見下ろす 右下の横根スキー場は雪がなく滑れない
林道を進む ブナ
林道を横切るリスの足跡
カラマツが植えられている パラボナアンテナの広場
勘倉峰方面 エゾユズリハ
沖庭神社
沖庭神社と勘倉峰方面 反射板
春を待つタラノ芽 松峰
荒川を挟んで東部町境を眺める
三面の山々
祝瓶山(大朝日岳は雲に覆われていた)