登山者情報876号

【2004年12月04日/俎倉山/井上邦彦調査】

毎年今頃になるとアトピー性皮膚炎で体中が痒くなる。職場が乾燥しているのが原因なのだろう。私の住んでいる小国町に皮膚科はないので、新発田市の皮膚科で診察を受ける。薬をもらい赤谷に向かう。天気予報は下り気味、さっさと登って来ることにした。
トンネル手前、右側の林道にゲートが掛けられている。左手には6台位の駐車スペースがあり、既に2台の車が止まっていた。
10:57歩き始め、ゲートを脇から通る。アスファルトの坂道である。右に曲がった途端に傾斜は緩くなり左手に看板が立っていた。看板の側には登山道らしき歩道がある。ここで車道を行くべきか歩道を行くべきか暫し悩んだが、登山道は琴沢沿いにある筈なので、歩道に入ってみることとした。
歩道の側には水路が続いているが、水は流れていない。標高を稼ぐことなくほぼ水平に進んでいくと杉林に入る。この辺りから水路に水が流れ始める。
11:03登山道は一旦登りとなり水路から外れるが、沢沿いであることには変わりない。足場の悪い所には橋も架けられている。11:11登山道が琴沢に入って道がなくなる。良く観察すると対岸(右岸)の岩場にコの字形の鉄筋が打ち付けられ鎖もある。どうやらここが登山道らしい。このまま右岸の岩場をトラバースするが岩に着いた苔で滑りやすい。鉄筋などで道を整備しているが注意が必要である。
11:18壊れたプラスチックの標識が下がっていた。下を見ると沢は二つに分かれている。東側の沢を渡って杉林へ入る。11:21尾根をひと登りすると若い杉と雑木の広い尾根になる。この辺りの登りが「七曲り」であろう。11:28枝の間から、右手と正面に峰が見えた。
これより緩く下り、また緩く登る平坦地が広がる。杉とブナの混在する中を進む。11:38小沢を渡り雑木林へ入る。11:45左上を見上げるとスラブ状になっている。
11:46沢を渡り左岸へ移る。11:51菱形の古い標識「七曲リ1.6km、お京?すぐ」とある。杉林の中に天幕1張り分の平坦地があり、すぐ脇に水が流れている。プラスチックの標識に従い進むと、11:54左の杉に古い矢印標識があり、右手の岩の上に遭難慰霊碑が立てられていた。慰霊碑には「田中勝栄君齋藤京子君遭難慰霊之碑」とあり、裏面には「昭和38年4月28日ひろわ沢、雪渓で死亡、新発田商工高」等の文字が読める。このあたりが「カツエの水場」であり「お京平」であろう。
11:57すぐ先で道は二つに分かれるが、指導標に従い左へ進む。12:00登山道は急になり、12:03左の沢を渡って12:04尾根に上がる。付近は見事な天然杉である。眼下には通ってきた杉の平坦地が広がる。12:06菱形の古い標識「お京平0.47、ジケの沢0.2km」と読める。
ここから左へトラバースするとスラブ状の沢源頭となり、12:10鉄筋のある岩場を斜登する。12:11沢の分岐で真ん中の尾根へ取り付く。市町境尾根が沢の上に見えるが、なかなか合流しない。
12:22ようやく尾根上に出ると潅木になる。ここから展望がいきなり広がり、蒜場山が見えた。また右足元の平坦な植林地には林道とプレハブ小屋が見えた。
12:26俎倉山々頂の広場には標柱があり登山者が一人休んでいた。眼前には昼場山が翼を広げて聳えていた。左に下る登山道は天狗の庭に向かうものだろう。ともあれ下ってみると、禿げた峰が見え、登山者一人とすれ違う。岩場でこのままトラバースするの、さっさと登るのか迷って、トラバースしたところ外れでした。
12:30-43「天狗の庭」と書かれた標識のある禿峰で食事を採る。この先にも下る踏み跡あるが危なそうなのでやめておく。遠く北股岳が真っ白になっていた。加治川治水ダムから蒜場山に至る全コースが一望できる。加治川の対岸には焼峰山が連なっている。
12:45-48山頂で先ほどの登山者に挨拶をし、下山を始める。12:56最後の沢を通過し、13:04平坦な杉林となる。13:06遭難慰霊碑の左にも駆り払い道があることに気づいた。
「越後の山旅」には俎倉山北北西の平坦地を「上ノ平」、786m峰東の鞍部「越途(戸)」から北に舌状に伸びている平坦地を「中ノ平」と記載している。また712m峰(鳥越)南の鞍部を通り、釜ケ沢から登ってくる登山道と、慰霊碑から真直ぐ南の市町境尾根に登る道も記載されている。つまり慰霊碑を基点として四方に登山道があることになる。
慰霊碑上の分岐と慰霊碑の分岐がこれに当たるのかも知れない。
天狗ノ庭ですれ違った登山者に追いつく。話をしていると、今夏針生平から祝瓶山経由で大朝日岳を目指したが、途中で疲れ平岩山でビバークしたとのことであった。13:40駐車場に到着。

今回のコース

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