登山者情報944号

【2005年08月13-14日/天狗ノ庭遭難/井上邦彦調査】

喜美と治二先輩の遺影に渓流地図を供え帰宅途中の12:15携帯電話が鳴った。車を止めて見ると「松山」の文字、嫌な予感が頭をよぎる。「天狗ノ庭で骨折」とのこと、自宅で1膳掻き込み、12:25小国警察署に顔を出す。
現状を確認すると、10:55小国町役場に携帯電話で第一報が入り、日直からMMBを経由して小国警察署へ連絡が入った。
一行6名は天狗ノ庭から約10m梅花皮小屋に向かったところで、女性1名が転倒し左足首を骨折した。テントあり、時折晴れるとのことであった。梅花皮小屋を呼び出すと、視界は50-60m、石転ビ沢方面は明るく新潟方面は暗い。御西小屋と本山小屋は、視界50-60m先ほどまでは良かったが今は何も見えなくなった。
山形県防災ヘリ最上は、依然として修理中である。山形県警察ヘリ月山はフライト時間が99時間に達したため使用出来ない(規定上100時間毎に点検が必要、点検先までフライトするのに1時間が必要、従って使用出来ない)。小国町では山形県を通して新潟県防災ヘリはくちょうにフライトを要請した。1回目のフライトでは雲があり発見できなかったとのこと、12:36にもう一度フライトするが、やはり雲のため遭難者を発見できなかった。
遭難パーティから天狗ノ庭まで戻り幕営するとの連絡があった。救出作戦を立案する。今日これから隊員を集めて、現場まで行くのは夜間になる。夜間に負傷者を搬送する場合に負傷者に与える負担を考慮する必要がある。雨天が予想されるので、むしろ一晩テント内で過ごすほうが、負担が少ないと考えられる。御西小屋に搬送する方法もあるが、長期戦になった場合、御西小屋では充分な食料・寝具が得られない可能性がある。経験上御西小屋は梅花皮小屋よりもガスが晴れにくいので、ヘリによる救出が難しい。また稜線上の視界がなくても、梅花皮小屋ならば石転ビ沢に下ることにより視界の確保が可能である。よって御西小屋よりも梅花皮小屋に搬送するのが良い。
@ 本日中に梅花皮小屋まで一次隊を派遣する。天候条件に恵まれれば現場まで行き、確認することも考えるが、その場合、隊員の宿泊場所の確保に留意し、翌日の作業に支障を及ぼさないよう配慮する。
A 明日、明るくなる時刻を目標に一次隊は現場に到着し、直ちに梅花皮小屋に向け搬送を行う。搬送途中で視界が確保されたら、その時点で防災ヘリはくちょうにより吊り上げを行う。
B 梅花皮小屋に到着し、石転ビ沢の視界が確保された場合は、直ちに石転ビ沢を下降し、北股沢出合もしくは石転ビノ出合までの間で吊り上げ作業をおこなう。
飯豊班長他にFAXを流すと共に、中央班員に電話をする。しかし本日は8月13日お盆の墓参り、帰省客の受け入れのため、次々と断られる。何とか、中央班長のQVH、小国署MES、私HZUの3人を確保する。
3人だけでは現場から梅花皮小屋までの搬送で体力を使い果たす。最大限で北股沢出合までの下降が限界である。シナリオでは石転ビノ出合までの搬送も考慮に入れている。ホン石転ビ沢出合の通過は雪渓を通れず、苦労と危険が伴う、二次隊が必要である。二次隊は、梅花皮小屋から先の搬送を一次隊と合同で行う。
ここまで整理して、自宅に帰り、道具の準備を行う。小国警察署に3人が集合した時点で、装備を最小限にすることを指示、警察車で出発した。途中のコンビニで各自お握りを調達。走る車の中でザックに荷を入れ、昼食を取った。
湯沢ゲートを開き、14:35砂防ダムから歩き出す。私はズック靴に半ズボン・Tシャツ、QVHは半ズボンに地下足袋である。14:55うまい水を通過。15:20梶川出合のヘツリで、水量があり足を濡らす。15:38-41石転ビノ出合、穴の開いている門内沢雪渓の奥を横断し、石転ビ沢を渡渉し右岸に出た所で雨が降りカッパを着る。右岸の踏み跡を辿り、雪渓は右岸寄りを進み、右岸から入る枝沢は陸に上がり、切り立った雪渓を右岸から巻いて再度雪渓上に出る。
暫く雪渓の上を進み左岸に寄り岸壁と雪渓の状態を観察しながら進む。安定した所から左岸に移りガレ場を登る。途中には庇のように薄い雪渓が被さっているが、これを避けて16:28ホン石転ビ沢対岸の小沢に上がる。雪渓を眺めると崩壊こそしていないものの亀裂は大きく裂け、とても通れる状態ではない。小沢を過ぎてから雪渓に上がる。亀裂が一本横断しており、その先がなんとなく窪んでいるので、左岸のガレ場を通り観察しながら通過し、ピッケルを抜いて雪渓に上がる。遅れ気味のQVHがホン石転ビ沢付近に見えた。MESに雪渓の通過方法を教えながら登る。
17:02北股沢出合の清水は露出している。黄旗に従って進み、黒滝手前で雪渓末端の厚さを確認しながら左岸の踏み跡に移る。さらに踏み跡を辿って黒滝の上に出て、左岸の夏道を上がる。QVHの姿が見えず心配になるが、北股沢出合下に確認し、安心する。黒滝から上の崩壊した雪渓は姿を消している。そのまま沢身を登り残雪の上方から中ノ島(草付キ)末端に取り付く(このルートは滑る岩を登るのでお勧めできない)。シナノキンバイ(盛)・ミヤマキンポウゲ・モミジカラマツが眼に染みる。
17:24右から来る登山道と合流する。この先はルートがはっきりする。下山時に誤って真っ直ぐ下らないように注意したい。MESも中ノ島(草付キ)に上がったことを確認し、以後は待たないで登り、17:48梅花皮小屋に到着する。
結局、砂防ダムから梅花皮小屋までカッパを来た時以外は休むことなく登った。これは、雨が降っていたので休むと寒くなるからという理由だけである。
小屋では、何時もの通りOTJが出迎えてくれた。濡れた物を干し、パンツを絞り乾いた長ズボンと長袖シャツに着替える。この分では、天狗ノ庭まで行っても逆効果になるだけ、梅花皮小屋泊まりと決める。QVHも到着して缶ビールで乾杯、しかしOTJによると、本日丸森尾根を登っている峡彩の南山さんがまだ到着しない、無線も通じないと心配顔。我々はOTJの食料を当てにしてお握り程度しか持参していない、OTJは南山さんの食料を当てにして、美味しいものは昨日食べてしまったとのことである。
19:30になっても来なければ何らかの対応を考えなければと相談していると、19:00過ぎに、ひょっこりと南山さんが顔を出した。食料がきた!期待して南山さんのザックに注目が集まる。彼のザックから出てきたのは、道刈り用ブッシュの燃料が2缶、ブッシュの歯、ガス・・・皆、肩を落とす。それでも5名が揃い、管理棟で暫し楽しい一時を過ごす。
02:10トイレで眼を覚ます。外に出ると濃いガス。もう一度毛布に潜り込み、02:30目覚ましに叩き起こされる。お茶を2杯のみ、ザックに最小限の荷物を入れカッパを着込み、03:06ヘッドランプの灯りを頼りに3人で梅花皮小屋を出発する。03:25梅花皮岳を通過する。天候小雨、視界2〜5m、ヘッドランプの光が霧に反射してよく見えない。何度も歩き慣れている道なので、傾斜や方向、道脇の石や潅木などで現在地とルートが分かるが、始めての方なら右往左往するだろう。03:42烏帽子岳を通過する。先ほどからOTJとGZKの交信が聞こえる。何時もの事ながらGZKの支援は本当にありがたい。
04:12亮平ノ池を通過する。乱反射するヘッドランプより、静かに広がり始めた微かな明るさの方が歩きやすい。掘れた道のときだけランプを点ける。道が二つに分かれ瞬間迷うが、ライトを点けて上をみると、見慣れた急斜面、これを登って沢状の窪道を抜けると、04:27御手洗ノ池となる。
事故発生地点は分かるが、その後彼らが何処に幕営しているかは分からない。時折、大声を出して呼び掛けながら進む。彼らは携帯電話で、小さな池の脇を通ったと話している。とすれば、稜線上の新道ではなく一面笹の藪になっている旧道を歩いてきたものと思われる。そこに戻れば幕営により破壊された広大な裸地(幕営地)がある。山形県側から稜線に上がる部分で旧道に足跡がないか観察するが見つけられない。新道を進んで標柱から天狗ノ庭(広大な裸地)に降りて探すこととした。
新道を進み小山を越えた途端、04:48天狗ノ庭標柱の脇に2張のテントを見つけた。遭難パーティである。全員起床してテントの脇に立って出迎えてくれた。
すぐさまQVHが負傷者のテントに潜り込み、容態を確認する。私はお握りを2個頬張る。私も負傷部位を見て負傷者と会話する。靴は脱がされていた。爪先の感覚はあるが、爪先を上げるように曲げただけで痛みがある。単なる捻挫ではなく少なくとも剥離骨折か、それ以上の損傷があると判断した。QVHが携帯副木2本とガムテープで足首を固定する。
持参したレスキューハーネスを装着し05:20搬送を開始する。なお他のメンバーはテントを畳みパッキングして私達の後をおいかけることとした。
当初2本ストックを使用していたが、ストックが左足首に触れるだけで痛みがあるので、1本ストックとし、掘れた道などでは横歩きをして左足が触れないようにした。それでも私の足に僅か触れただけでも痛むらしく、一生懸命堪えている様子が伺えた。3人なので、背負い手を替わる時は、右足で石の上に立ってもらい、負傷者の左脇を1名が抱えてバランスを取り、その間に入れ替わった。歩きながらエネルギーinを飲む。
すれ違う登山者の皆さんに道を譲っていただきながら06:05御手洗ノ池、06:38亮平ノ池を通過する。負傷者が寒さを訴えるが、適切な方法はない。鞍部の岩場はMESが越える。今回は一切確保をせずに搬送を行ったので、一歩一歩が勝負である。いよいよ烏帽子岳の登りとなる、QVHが笹原を登り、私がお花畑を担当した。07:03にOTJが合流した。07:10尾根を越すところでOTJに交替。4名になったので以後は空中交替が可能となった。07:33順調に烏帽子岳を通過する。視界はないが、無線から二次隊が石転ビ沢を登ってきている様子を伝えている。08:01梅花皮岳を通過する。
08:28梅花皮小屋に到着、負傷者を本棟に降ろし、管理棟から毛布を運ぶ。まもなく遭難パーティも梅花皮小屋に到着する。歩いているうちは良いが、じっとしていると震えが来る。南山さんに雑炊を作ってもらい立ったまま腹に詰め込む。二次隊6名が到着する。二次隊からお握りをもらい貪る。小屋周辺は霧雨状態である。
天候の観察を行っているホン石転ビ沢出合のPWDから、「石転ビノ出合から、草付キノ広場までの間は、晴れている。ヘリのフライトは充分可能である。2名はここで天候の観察を継続する」との無線が届く。またGZKから「現在の天候が最良で、午後からは雨になる。その前に吊り上げる必要がある」との無線が入る。当初の計画通りである。屈強な二次隊との合流により、30分から1時間で北股沢出合まで負傷者を搬送することが可能である。うまく行けば中ノ島(草付キ)の途中で吊り上げることが可能かもしれない。あとは新潟県防災ヘリはくちょうのフライトとタイミングを合わせるだけである。私は救出の成功を確信した。
しかし、ここで想定外の事態が発生した。新潟空港の天候が悪く、はくちょうが飛び立てないと言うのだ。「またか!」過去にも現場はフライト可能なのに山形空港の天候が悪く、ヘリによる救助作業を断念した記憶が蘇った。新潟空港の天候回復と、石転ビ沢の天候悪化のどちらが早いかが、運命の分岐点となる。祈る心と共に、「福島県防災ヘリ・宮城県防災ヘリ出動を検討してくれ」と依頼する。
暫くして寒さに震える(隊員は何時でも対応できるよう着替えをせずに待機している)私達に悪魔のような無線が届いた。「最上・月山は飛べない。はくちょうは空港と石転ビ沢が晴れていても稜線が晴れなければ飛ばない。福島県や宮城県のヘリは来ない」そんな馬鹿な話があるか!無線を聞いている隊員から怒りにも似た声が上がった。皆、苛立っている。
隊員を全員集めて、私から現状を説明する。@中ノ島(草付キ)最上部から石転ビノ出合までの間に雲はない。近隣の峰も確認できる状況である。A新潟空港の視界が悪く、防災ヘリはフライトしていない。B仮に新潟空港を飛び立ったとしても、経験のない石転ビ沢で雲の合間を狙った吊り上げ作業は難しい。Cはくちょうがフライトする条件は、稜線の雲が完全になくなった時である。DGZKの予報によれば、現時点の気象が最も良く、今後は悪化する。つまり、はくちょうは来ないと判断する。E本部では福島・宮城のヘリを依頼する意思がない、もしくは依頼できる環境下にない。F結論として、本日のヘリによる搬送は不可能と判断する。G明日の気象は今日より悪くなると思われる。何時フライトできるか検討がつかない。H負傷者の状態からして、生命の危機が差し迫っているとは感じ取れない。Iひとたび負傷者の搬送を開始すれば、砂防ダムまで担ぎ通すことになる。J負傷箇所は左足首であり、単なる捻挫ではないと考える。従って左足を岩に接しないように配慮しつつ搬送する必要がある。K困難はあるものの、石転ビノ出合までは現有メンバーで搬送できると考える。しかし赤滝や婆マクレなど石転ビノ出合から下流の搬送作業を行えば、確実に左足首に多大な負担を強いることになる。L以上のことから「負傷者にヘリによる搬送が可能になるまで梅花皮小屋で待機してもらう」ことを選択肢のひとつにしたい。
無線で本部に、負傷者を梅花皮小屋に止め救助隊は下山することについて、遭難対策委員長もしくは副委員長の了承を得たい旨の連絡を行った。
次に、遭難パーティのリーダーを呼び、隊員の前で、私から説明を行った。@稜線は視界がないが50m程度石転ビ沢を下れば、雲はない。私の当初の考えでは、石転ビ沢でヘリによる吊り上げ作業をおこなうつもりであった。しかし現在、山形県防災ヘリは故障中であり、県警ヘリはフライトが99時間となったため規則上フライトできない。昨日フライトした新潟県防災ヘリが新潟空港で待機しているが、空港の気象条件が悪く飛び立てない。仮に飛びたてたとしても、乱気流が渦巻く風下の渓谷での作業は危険が高く、経験のない石転ビ沢では作業できない。ヘリによる搬出の条件は、空港と稜線さらに飛行コースに雲がないことである。気象予報では現在が最も良い条件で、今後悪化し雨となる。従って本日のヘリによる搬出は極めて難しい。何時、ヘリが飛べるかは分からない、少なくとも明日は難しい。A人力による搬送は、ひとたび開始したら戻れない。ホン石転ビ沢出合は危険であるが何とかなるだろう。石転ビノ出合から下流は左岸に強引に作られた夏道となる。負傷者を背負ったまま崖を転落する可能性もあるので、ロープで確保しながら通過することになる。負傷箇所が左足首であり山側となる。左足首が岩に接触することは避けられない。さらに隊員は命懸けの搬送となり、左足首を確実に保護することは無理であり、保障できない。爪先を上げただけで痛む状況を考えると、単なる捻挫ではなく、骨がやられている可能性が高い。その部分に圧力をかけた場合、本人の苦痛は勿論であるが、病院での整復が難しくなるかも知れない。その場合、社会復帰に支障が出ることもあり得ると考える。B幸い梅花皮小屋は毛布や食料等宿泊に必要なものは揃っている。Cここにいる救助隊員の多くは民間人であり、お盆の貴重な時間を割いて来ている。旅館(民宿)業もおり、掻き入れ時を犠牲にしている。可能性のないまま、ここに居ろとは言えない。ヘリが稜線で作業する場合は、航空隊員が下降してきて指示と作業を行う。管理人のOTJと助手の南山で充分対応できると考える。また救助隊員を長時間拘束することは、その分救助費用が嵩むことになる。D従って、負傷者を梅花皮小屋に残し救助隊員が下山することも視野に入れて検討したいが、どうか。
遭難パーティのリーダーは、素直に私の意見を受け入れてくれ、負傷者を小屋に残す方を選択したいと言ってくれた。私は、結論はまだ出ていないと言い、OTJとリーダーに航空隊が飛来してきた場合の対応を説明した。
本部からは先ほどの回答が来ない。催促するが、連絡中なので待って欲しいとのこと。寒さに震えて回答を待つ。長い時間が流れた気がする。ようやく本部から「負傷者を残して救助隊が下山するのも止むを得ない」と返事が来た。「誰の判断か」と尋ねる。「町民課長の判断である。負傷者の家族も了解している」
すかさず、救助隊員に下山の準備を指示する。私は本棟に行き、負傷者を始め遭難パーティの全員に対して、先ほどリーダーに話した同じ内容を繰り返して説明した。既にリーダーから聞いているのだろう、素直に判断を受け入れてくれ、ここまでの搬送や様々な配慮に感謝の言葉をいただいた。最後に私は必要なものがあったら遠慮しないで小屋の管理人に申し出て欲しいと話し管理棟に戻った。
10:46遭難パーティの皆さんに見送られて梅花皮小屋を出発、下山を開始した。草付キノ広場まで下ると、報告どおり石転ビノ出合まで綺麗に見渡せた。先行する隊員達が中ノ島(草付キ)を下っている。搬出できなかった不甲斐なさと悔しさが押し寄せてくる。
この駄文を読んでくださっている皆さんにこれだけは伝えたい。「少なくとも飯豊や朝日においては、携帯電話は通じれば儲けものであり、仮に通じても断続が多く内容が正確に伝わりにくい。アンテナが3本立っても、10cm動かしただけで(耳に当てただけで)不通になるケースが多い。バッテリーは下界より早く消耗する。遭難者からは通話ができても、下界からは不通のことが多い(遭難者の携帯電話の位置の問題)。メーカーや種類だけでなく、機種によって性能が異なるので、他人のデータは鵜呑みにできない。ヘリコプターは有視界飛行であり、気流や気圧による影響を直接的に受ける、大変にデリケートな乗り物である。ヘリは定期点検のため使用出来ない期間が頻繁にあり、数年でヘリの部品は全て入れ替わると聞く。外国製のヘリの場合、部品取り寄せのため修繕に長期間かかる場合がある。山岳救助におけるヘリの行動はアクロバット的な危険度の高い飛行を余儀なくされている。近年は各県に警察ヘリ・防災ヘリが配備され、各県の協力体制が整っているが、習熟した山域と違い、慣れない山域では行動能力が異なる。一つの遭難事案の陰では、関係者自身の生命を賭けた葛藤が渦巻いているのだ」
中ノ島(草付キ)の途中から左の夏道を下り、北股沢出合でズック靴からスパイク地下足袋に履き替える。北股沢出合下の亀裂は登りと違いそのまま飛び越える。ホン石転ビ沢出合は左岸の枝沢に上がり、右岸からの小沢は右岸に張り付いて沢に降り、再び雪渓を下る。11:50-05雪渓の末端で一息入れる。
左岸の踏み跡を辿り、石転ビ沢を渡渉し、門内沢の雪渓に上がる。雪渓の穴は確実に大きくなっている。梅花皮沢に今朝まで架かっていたスノーブリッジが崩壊していた。
12:21-31石転ビノ出合で全員集合する。相変わらず、石転ビ沢は中ノ島(草付キ)まで見えている。休憩している間に、門内沢が霞んできた、雨である。腰を上げて歩き出した途端、本降りとなり、慌ててカッパを着る。12:55増水し始めた梶川出合をバシャバシャと渡り、13:56砂防ダムに到着した。
翌15日は、予想通り本格的な雨。ヘリは話題にもならない。OTJに無線で負傷者の体温と脈拍を定期的に記録するよう依頼する。負傷者の容態は落ち着いているとのことであった。夕方、OTJから明日の収容作業手順の問い合わせがあり、MMBに問い合わせる。
16日朝、05:00前から自宅の無線機からOTJとGZKの声が流れる。稜線の天候は絶好。山形県側は良くないが、新潟県側は標高1,000m付近に雲海が広がっているとのことである。MMBも05:00には役場で作業を開始している。間もなく、稜線には実川から雲が湧いてきた。本山小屋・御西小屋・梅花皮小屋も雲に包まれる。山のレスキューは一瞬の勝負なのだ。無線を聞きながら、出勤の準備をする。
役場でMMBと会う。08:43新潟空港を離陸したはくちょうは、09:00梅花皮小屋上空に到着、09:06吊り上げ終了し、09:17新潟空港着陸。残って付き添っていた遭難者パーティ2名(3名は15日に下山)も09:10に梶川尾根に向けて下山を開始したとのことであった。
最後に、
ともすれば私達地上部隊のヘリに対する期待は過大であり、わがままになりやすい。冷静に状況を判断し負傷者を無事搬送してくれた新潟県防災ヘリ関係者の皆様、さらには陰で絶大なご支援を頂いた山形県防災ヘリ・山形県警ヘリ関係者の皆様に心からお礼を申し上げます。

今回のコース
石転ビノ出合 ホン石転ビ沢出合
登りのコース 下りのコース

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