登山者情報1105号

【2007年08月15日/遭難:石転ビ沢/井上邦彦調査】

 ふと携帯電話に目をやると着信記録。時刻は14:44、発信者はTH、1分ほど前だ。電話をかけると「石転ビ沢で遭難発生」またかと思いながら小国警察署に向かう。
 OTJとPWDの交信を傍受するが要領を得ないので、ブレイクを発してOTJと直接話す。現場は石転ビ沢上部、黒滝を越えて踏み跡を辿り、右からの小沢を過ぎて小尾根を登る。やがて大きな三角岩のある所で左の小沢を渡り中ノ島(草付キ)に出る。この手前約5mで単独の登山者(58歳男性)が転倒、これを見ていた通りがかりの登山者が梅花皮小屋のOTJに通報した。OTJは事案の発生を下界に通報し、現場に急行した。現在PWDがODD宅でOTJと交信している。防災ヘリもがみが既にスタンバイしている。
 遭難者の負傷はさほどではなく、OTJがサポートして梅花皮小屋を目指している。ヘリのフライトを巡って話が交錯している。そこでOTJに、救助要請をするのかしないのか、はっきりさせることを要求した。すると「遭難者は救助要請をしないと言っている」と回答がきた。遭難者は梅花皮小屋に向かって中ノ島(草付キ)を登っているとのことである。それならそれでも良い、直ちに関係先にその旨を伝えた。まもなく、防災ヘリは出動を取りやめた旨の連絡が入った。
 やれやれ一件落着と胸をなでおろした時点で、信じられない無線が入った。「彼は眼が虚ろになり、視界に黒い点ができ、ぼやけて見えなくなってきたと訴えている」飛蚊症だろうか?「転倒時に右目の上部を打撲している」とすれば、網膜剥離や硝子体出血さらには眼底出血の恐れがないとは言えない。「救助要請をすると言っている」思わず何度か、本当に救助要請を行うのか確認した。
 現在地を尋ねると中ノ島(草付キ)最上部である。これからの行動をどうするのかと聞く。「草付キノ台地まで登って、そこでヘリコプターを待つ」とのことである。草付キノ台地は梅花皮小屋の直下にある雪窪状の大きなテラスで、昔は幕営地として使用されていた。確かにそこなら足場も良いし、ヘリが作業を行うにも適している。さらに小屋はガスがかかっており、それ以上登るとヘリが近づけないとのことである。
 THはすぐに防災ヘリの出動を要請した。ヘリとOTJの交信を傍受していると、草付キノ台地からは視界があるが、その上空に雲があるのでヘリは現場に近づけないで苦労しているらしい。
 恐らくいちど石転ビノ出合に下降し沢沿いに上流に上がれば、現場を視認することは可能であろう。しかし狭い沢沿いは乱気流の巣であり、沢底をなめるように低空で上がって行くには、操縦士がその地形に熟知し、気流が安定していて始めてなせる業である。
 視認に頼って繊細な操縦を要求されるヘリとしては、上空から現場に近づいていくのが常識である。ところが、遭難者は雲の下限にいるので上から入れないのだろう。
 ヘリから「遭難者を視界の効く所まで下らせて欲しい」との指示が出た。OTJとしては苦しい選択だろう。遭難者を下らせるのは賭けである。雲がどのように動くかは、微小気象であり、誰も分からない。仮に下ったとして、雲が降りてくればヘリは戻るしかない。その場合は、再び梅花皮小屋まで遭難者を登らせて収容する必要があるのだ。
 OTJはヘリに賭けて下山を開始した。この時点で私は警察署を後にすることにした。負傷者の容態からみて、今晩梅花皮小屋に泊まっても生命の危険性はない。従って今晩中に地上隊が出動する必要はない。県警ヘリ・防災ヘリの活躍によって、私達の役割は随分と変化した。つくずく有難いと感謝する。
 17:00過ぎに警察署に顔を出すと、遭難者はヘリで収容した。残ったザックをどうするか、これから現在治療中の遭難者に聞くとのことであった。