登山者情報1154号

【2008年06月07-08日/大日杉〜御西小屋/笠原正雄調査】

 昨年の同じ週に弥平四郎から飯豊山に上った。今年は、更に御西小屋まで行ってみたいと出かけることとした。また、飯豊山の頂を踏むのは今回で5回目であるが、大日杉からは以前より気に掛けていて、初めてである。
【7日】
 6:30―大日杉小屋P着。R113から県道8号を進み、登山口に到着。自宅から走行173km。山形、新潟、宮城ナンバー等7台があった。のち熟年夫婦がやって来て歩き出して行った。コンビニ弁当で朝食、ゆっくり準備をしていると、新潟からの10数人隊が到着。一気に賑やかになる。―07:25―新潟隊は五段山方面に入って行った。彼らは出発前に地蔵山か地蔵岳かを話し合っていたようだが、そちらに向かって行った。もちろん橋が無いことは承知の上の様子であった。同時に、私は右折して地蔵岳に向かって歩き出す。
 ―07:50―5分前に鎖場を登り、ザンゲ坂一合目の標識。この登りでどっと汗をかく。ここを過ぎればやや傾斜が緩む。―08:15―長之助清水。登路から左に斜面道を10数m下る。山腹から湧き出た水が流れ落ちている。―08:30―御田。広い直進道が登っているが、標柱の矢印が右折を示している。そちらに進んでみたが、すぐに草が覆っている。戻って直進すれば、右折道と合わせる。
 ―09:15―緩い登りだが、着実に高度を稼いでいる。虫がうるさくなり、ディートをシャツと帽子に噴霧したが、効き目が無い。左の耳たぶを刺されて膨らんで来た。―09:35―地蔵岳に向かう鞍部に雪が残っている。登りにかかって暫らくすれば、夏道となる。
 ―10:00―地蔵岳標柱通過。この手前で、朝先行入山の熟年夫婦が下山して来た。足慣らしの地蔵岳ピストンと言う。飯豊山から御西へはガスると進路が分かり難くなるとアドバイスを貰う。―10:15〜10:25―少し下って残雪に上がり休む。地蔵岳からここまでの間シラネアオイが多い。切合小屋が見えてきた。草履塚はしっかり見えるが、飯豊山はピークに雲がかかっている。
 ―11:00―目洗い清水。小刻みに夏道の登降を繰り返し再び残雪となる。標柱が雪で倒されている。左の雪の下からどんどんと水が流れ出ている。すぐに夏道。―11:35〜11:45―見事なダケカンバの道を過ぎて、御坪の小広場。種蒔山への尾根を見上げる。本日入山で、切合小屋でブランチを楽しんで来たと言う夫婦が下りて来た。この先のルート取りを聞いたところ、彼らは御沢には降りなかったと言う。
 ―11:50―右に入る広い踏み跡があった。進んでみたが、10数メートルで途切れ、雪も無い。戻って直進する。ほどなく御沢分れの標柱前に着く。直前までどちらを行くか決めかねていたのが、足が右へ向いた。雪渓に下りる道が1本あったが、先に伸びる道を進み雪渓に降りる。この出口に赤布が下げてあった。ダブルストックからピッケルに持ち替えて、12:00沢の底部に向かって斜下降する。落石跡があったが、左岸からと思われる。右岸は喬潅木でその心配はないようだ。徐々に傾斜が増して来て、正面は壁になっている。登りやすい雪斜面を選べば、自ずと右に進路を取るようになる。最後は右手のピッケルに左手を添えて強く突き刺したり、または、左手を雪面につけて四つん這いで急登する。キックステップもやや浅く、時々ブレードで足場をカットして立ち止まり、呼吸を整える。支尾根に上り左に進めば切合小屋前に出て、夏道を20数歩で小屋入口に着く。
 ―12:35〜13:15―ここには誰も居なかった。飯豊山が見える。ベンチでランチタイム。のち川入入山の女性一人が下って来て、同僚3人が山頂へ向かっているが、自分は不調のため草履塚までで戻って来たとのことだ。ここで皆を待ち、今夜は三国小屋泊と言う。彼女から聞いた話だが、種蒔山への鞍部で引水ホースから水が出ているそうだ。本山は見えるが、その先はガスがかかっている。2万5千分地形図を広げて飯豊山から御西までのコースを再確認する。
 ―13:50―切合小屋から夏道を少し下り、およそ30分の残雪登りとなる。掘られた夏道に降りる。すぐに草履塚。少し寒くなって長袖アンダーシャツの上に半袖シャツを重ね着する。―14:10―姥権現。御秘所を男女3人が下っている。彼らと行き交ったのち、単独若者男が降りて来た。御西まで行き、戻ってやはり三国小屋泊と言う。また、松葉さん(御西小屋管理人)が御前坂を登っていると聞いた。もしかすると、御西小屋泊は私1人かも知れないと思っていたので、今夜は安心して小屋で過ごせると嬉しくなった。
 ―15:05〜15:20―本山小屋。誰も居ない。ガスがかかって来た。休んだのちもう一枚長袖シャツを着込み、鐘を叩いてから出発。山頂に向かうと風がやや強くなる。―15:45―駒形山との鞍部で腰を下ろして休んでいた松葉さんに追いつく。数分会話してから先行する。12日に資材運搬でヘリが飛ぶので、その下準備に来たとおっしゃっていた。
 ―15:55―駒形山。この先の残雪歩きで、SAKAIと書かれた赤旗が施してあった。途中右に上る道が露出していて、御西岳山頂三角点へと続いていた。
 ―16:45―御西小屋着。ガスの中に黒い大きなかたまりが現れて小屋着。昨秋参加した登山道整備箇所はまだ雪の下だった。入室すると2階からラジオが聞え、一足だけあった。2階に上ると彼は右側に陣取っていた。左側の床が何故か濡れていたので、雑巾で拭く。また、風で揺られて天井材から落ちたのだろうか、細かい木片が散らばっていた。話始めれば、下越山岳会の坂井さん(以後Sと記す)と言う。同じく大日杉入山で大日岳を目指したのだが、先が見えないので諦め、2時から飲んでいたそうだ。ザックの物を全部床に広げ楽々と使わせて貰う。
 暫らくすると松葉さんも到着し、私とSでビールを一杯ずつご馳走になる。何と美味しいことか。更に松葉さん、トッテつきペットボトルに茶色の液体を持って来た。底に黒いものが沈殿している。すすめられて恐る恐る飲んでみた。焼酎に挽いたコーヒー豆を入れたものだ。焙煎の焦げ味と甘みが感じられる。暫らく3人で話をしたが、松葉さんは1階に降りて行った。
 Sと会話を進めるうち、彼は、今春、HZUさんらと5人で歩いた高知山〜二王子岳(本情報1138号)の際、我々が鞍部で昼宴会をしている時、三王子から下って来た同山岳会4人隊のうちの一人であることが判明。Sよりズブロッカというポーランドの香草入りウオッカをご馳走になる。更に楽しく会話が弾む。8時頃就寝。
【8日】
 4:00―起床。夜中に少し寒くなって一度目覚め、外に出てみたが、依然ガスが濃い。―05:50―松葉さんは作業があり、もう一泊になりそうだ。Sと2人で歩き出す。ガスで視界は20〜30メートル程度。風はほとんど無い。
 06:05―Sが赤旗を回収しながら進む。上空うっすらと青空がのぞいた。期待が持てる。―06:25―駒形山への途中。ここで残雪歩きは終わる。暖かくなって雨具上衣を脱ぐ。
 ―06:50―飯豊山頂。この前後は風がやや強くなる。ガスの流れで左手の沢を見おろせたが、すぐに覆われる。―07:10〜07:25―本山小屋。―08:05―姥権現。重ね着一枚を脱ぎ、草履塚の登り返しにかかる。これまで雲の中だった大日岳頂が見えて来た。
 ―08:25〜08:40―草履塚。私の携帯は不通だったが、Sのものは3本立った。借りて自宅に予定通りの旨を連絡する。大日杉を朝3時45分発で飯豊山日帰りピストンと言う健脚年配者がやって来た。
 ―08:50〜09:15―切合小屋。よく晴れて来た。残ったウイスキーを2人で分けて飲む。Sは昨日種蒔山別れ付近の残雪路に赤旗を使ったため回収しなければならない。ここでSを見送り、私は少し遅れて、ピッケルに持ち替えて雪渓ルートを降りる。上山と同じルートで降り、急斜面は途中からピッケルでスピードを抑えシリセードする。中間で停止して、御沢を見下ろし写真を撮る。―09:25―急斜面を終えストックに持ち替える。
 ―09:30―夏道に上がり、御沢分れ標柱。暑くなって脱ぎ、アンダーシャツ一枚になる。―11:10〜11:20―地蔵岳山頂三角点。昨日朝の新潟10数人隊のうちの4人男女が居た。その10数人隊の中に昨秋の登山道整備の際一緒で、私の顔を憶えていた方がいると聞いた。4人男女は昨日歩き出し後、地蔵岳経由に変更して、ここをピストンしたと言う。渡渉覚悟の地蔵山経由との2隊に分かれて、切合小屋で合流泊だったそうだ。―13:00―P到着、歩行終了。

大日杉小屋
新潟のメンバー
大日杉跡
ザンゲ坂の鎖
イワハゼ
オオイワカガミ
イワウチワ
長之助清水看板
長之助清水
カタクリ群生
御田標柱
地蔵岳へ
地蔵岳標柱
シラネアオイ
切合小屋が見えた
飯豊山ピークは雲の中
目洗い清水標柱
雪の下から流れ出ている
ダケカンバ越しに飯豊山
御坪
種蒔山と切合小屋
御沢分かれ
中央の沢を登る
左岸から落石
切合小屋から本山
種蒔山と切合小屋との鞍部
大日岳の雲の中
切合小屋を振り返る
草履塚と飯豊山
姥権現・頭巾がない
御秘所のハクサンイチゲ
御前坂のミヤマキンバイ
一ノ王子
御西にガス
飯豊山
宝珠山
駒形山から本山
辿った稜線
御西岳
Sakaiと書かれた赤旗
御西岳三角点
御西小屋
松葉さん
坂井さん
オニギリおじやで朝食
出発前に記念写真
標柱の頭か
赤旗回収
飯豊山へ戻る
飯豊山々頂
御前坂を下る
大日岳が見え始めた
御秘所のコメバツガザクラ
大日岳
飯豊山を振り返る
岩間にウスユキソウ
切合小屋への下り
御沢へ下る
シリセードの跡が分らない
雪渓から夏道へ
キクザキイチリンソウ
虫が写る
地蔵岳三角点
カタクリ