登山者情報1,277号

【2009年08月25日/梶川尾根遭難/井上邦彦調査】

 25日昼、LFDから「21日に父親から『飯豊山荘にいる。飯豊山に登る』という電話があったが、まだ帰宅していないので心配している」との電話があったがどうしたものかという相談を受けた。父親が使っている車の車種ナンバーを聞き、小国警察署から鍵を借りて登山者カードを回収してくるようにと助言した。
 やがて、「車は飯豊山荘前に駐車してあった。本人が記載した登山者カードがあった。彼は22日にダイグラ尾根を登り飯豊山荘(本山小屋の間違い?)、23日は梅花皮小屋に泊まり、24日に飯豊山荘下山となっていたが、下山コースは分からない。なお23日に門内小屋で幕営した高校生パーティが梶川尾根を下山してきたので話を聞いてきた。それによると、木の杖を持った本人と思われる登山者が23日に門内小屋に泊まり、24日朝「飯豊山荘に行くにはどちらに行けばよいのか」と尋ねられた。高校生たちは視界がないので停滞し、本日下って来たとのことであった。」との報告があった。
 小国警察署からお呼びがかかった。既に偵察飛行として月山(県警ヘリ)がフライトしているとのことであった。本人は月山を登り、その後に飯豊に来ており、帰宅予定もはっきりしていないとのことである。もしかすると頼母木小屋にでも泊まり、何食わぬ顔で下山してくるかもしれない。現時点では遭難とは言えないと判断した。
 ところが、情報収集のため連絡を取った家族から捜索の依頼が出た。今日中に下ってこない場合は、明朝は丸森尾根を登り梶川尾根を下山する捜索が必要かと思うが、まずは航空隊に丸森尾根と梶川尾根を丁寧に探してもらうこととした。
 外せない所要があったので、LFD(救助隊中央班長)とPWDに後を任せて米沢市に向かった。
 17:30携帯がLFDからのメールを受信した。「行方不明者を西俣ノ峰で発見、岩の上で手を振っている」とのこと。あそこに岩の上なんてあったかなと思いながらひと安心。
 18:43用事を終えてPWDに電話をすると、遭難者の位置はトットバノ沢で以前宮城の教員2名を救助した滝の上。吊り上げ終了。」とのこと。これで明日の出動はなくなった。
 翌朝、新聞には「フンスイノ沢で救助、左アキレス腱断裂などの重傷」と掲載されていた。
 小国署で情報を確認した結果、推定するに、彼は梶川峰のケルンからガリー浸食された補修個所を下った鞍部の広場(池のある所)で、視界のない中、足元ばかりを見ていたため左に下る踏み跡(水路)を登山道と思い込み、沢をそのまま下って転落負傷し、一夜を過ごして発見されたものであろう。
 まことに運が良かった事案である。なお私がデザインした登山カードには右側に略図が描かれており、コースを赤ペンなどでたどってもらうことにしている。これは。「飯豊山荘→梅花皮小屋」と書かれた場合、石転ビ沢・梶川尾根・丸森尾根・ダイグラ尾根の何処を通るのか分からないためであり、事案が発生した時に探しようがないためである。ぜひコースの明確化に協力をお願いしたい。