登山者情報1,842号

【2014年08月〜10月/梅花皮小屋昆虫記2014/草刈広一調査】
はじめに
 6月, 小国小学校5年生の「白い森学習」(於「横根・健康の森」)のお手伝いをした時,講師の一人だった小国山岳会・井上邦彦会長から, 8月に梅花皮小屋の小屋番をしてみないかとのお誘いを受けた。山岳会員でもない自分にその大役が務まるか自信がなかったが, 山形県と福島県のレッドデータリストの改訂の調査の最中であった。 2014年はその最終年度で, 特別保護区内での昆虫の捕獲許可ももらえたので, 絶好の機会であった。
 山岳会のメンバーの予定がはっきりし, 都合のつかない8月18日から23日までの5泊6日が, まず筆者に割り当てられた。
8月18日
 8時, 飯豊山荘出発。梶川尾根の急登だ。しばらくするとコジャノメが姿を見せる。先に草刈・高橋(2013)が報告した生息地は湯ノ沢を挟んで対峙する丸森尾根であった。今, 梶川尾根でもみられることがわかった。流紋岩からなるアバランチシュート地形が発達し, イネ科植物などの草原が発達するこの一帯では, 登山道がない尾根でもおそらく広範にコジャノメが生息しているものと考えられる。そのような理由から, 本種は山形県のレッドリスト種であるものの, 具体的な産地名を今回公表した。さらに昨年筆者は, 飯豊町側の白川上流部で, また今年, 榎並 晃さん(私信)は新潟県側の胎内川上流部で, それぞれゴヨウマツの生える痩せ尾根で本種の生息を確認しており, 飯豊山地をとりまくように広範に分布しているようである。
 この日梶川尾根では, 600〜850mの間に5頭が目撃され, 内1頭を撮影した(図1)。丸森尾根での2012年の観察では, 第2化の初見が8月30日であり, また垂直分布は500から700mであった(草刈・高橋,2013)。梶川尾根での観察の結果, 飯豊山地の集団の第2化は8月中旬から発生すること, 分布上限も850mまでみられることが新たに判った。この標高は, 大高(2011)の山形県内の種ごとの「最も高い標高」のコジャノメが空欄になっており, 確認が必要であるものの, 県内で最も高い記録と思われる。
 1200m付近で, 小国山岳会の若山さんと会う。前日ダイグラ尾根を登り, 御西小屋に荷上げして一泊し, 下山してきたという。彼は梅花皮小屋にいる竹田さんに, 現在地や疲れている私の様子, それに到着は午後3時頃になるだろうことなどを無線で伝えてくれた。
 それから間もなく, オオゴマシジミが姿を現し3頭を確認。内1頭を1300m付近で捕獲した。筆者(2013)が産地として記録した地神山と梅花皮沢の中間地点であるものの, 梶川尾根での確認は初めてである。
 扇ノ地紙に到着。主稜線歩きだ。門内岳周辺ではタカネマツムシソウでベニヒカゲやウラギンヒョウモンそれにアカタテハが吸蜜し, 矮性のチシマザサ葉上ではヒオドシチョウが翅を休めている。北股岳山頂では霧の中に筆者の影が映り, 腕を回すと大きな輪が眼下の中空で連動する。ブロッケン現象だ。ここを下ればやがて霧の中に梅花皮小屋が見えてくるだろう。
8月19日
 利用客が全員出発した後, 山岳会の竹田さん(通称バーボン)に掃除のやり方を教わり, 販売品の在庫確認をし, 前日の売り上げを帳簿に記帳する。竹田さんは石転ビ雪渓コースで下山するということなので, 管理棟に「外出中」の札を下げ, 雪渓上部の黒滝までご一緒する。黒滝周辺ではシナノキンバイやミヤマキンポウゲが花盛りだ。会津駒ヶ岳ではこの花でトホシハナカミキリが得られている(斎藤ほか, 2011)。飯豊山では板垣(1972)の記録以降得られていないのでこの花をみてまわったが, みつからない。黒滝上部に段状の緩傾斜地があって, 細流に根を張るフキユキノシタの群落となっている。その葉上には中型のトワダクサカワゲラや小型のカギホソカワゲラ属(ホソカワゲラ科)の一種がみられた。トワダクサカワゲラは山形県のリスト(市川・草刈, 2013)になく, 初記録の種だ。
 大型のセリ科・オオバセンキュウの花には多くのハナアブ類に混じって, キオビホオナガスズメバチ(環境省レッドリスト情報不足種)がみられた。他に高山性のスズメバチに5種(ツヤクロスズメバチとそれに寄生するヤドリスズメバチ, ニッポンホオナガスズメバチとシロオビホオナガスズメバチ及びそれらに寄生するヤドリホオナガスズメバチ)がおり, 石川県白山では飯豊にいたキオビホオナガスズメバチ以外の5種がすべて確認され, 種ごとの垂直分布や個体密度などが調べられている(石川, 2006)。飯豊山地でも今後詳しい調査を行い, 何種が分布しているのか明らかにしていきたい。シロオビホオナガスズメバチは朝日山地の平岩岳(1600m)で記録している(山谷・草刈, 1995)。
 ナンブタカネアザミやヒトツバヨモギにはやや小型のフキヒョウタンゾウミシの一種がみられ, 交尾している(図4は御西岳の別のペア)。一方オオバセンキュウの葉にはより大型で青白色の一種がみられ, こちらは交尾個体をみたことがなく, 単為生殖のハイイロヒョウタンゾウムシなのかもしれない(図6, 15は御西小屋西方の個体)。この日はゆっくり観察しながら引き返し, 昼前に小屋に戻って登山者の来訪を待った。
8月20日
 北股岳と梅花皮岳の鞍部にある梅花皮小屋は, 加治川に沿って吹き上がるダシ風が,冬季に限らず通年で収斂する。特にこの日は風が強く, 常に霧が発生し, 時折小雨となった。前日, 小屋脇のテント場と, すぐ下の雪田に設置したピットホールトラップを8時に回収。どちらもコクロナガオサムシが優占しており, 筆者(未発表)が2012年8月30日に門内岳付近のギルダ原で生息を確認したチョウカイヒメクロオサムシは, ここでは確認できなかった。
 その後は管理棟に缶詰状態。新田次郎の「孤高の人」を読みながら, 登山者の来訪を待つ。
8月21日
 小屋の掃除中, ヤガの一種を拾う。この日も強風で視界不良。時々風雨。「孤高の人」を読み終え, ルソーの晩年の作「孤独な散歩者の夢想」を読みながら, 井上会長の無線を時折受信し, 来訪を待つ。植生復元の調査をしながら3人(他に環境省羽黒自然保護官事務所の柘植さん, 潟jュージェックの川端さん)が到着したのは, 4時近かった。川端さんが調理するポトフに舌鼓をうちながら, 話題は植生調査の結果だけでなく, 30年近く前に遡る会長と筆者との出合いの頃の話まで及び, 夜は更けていく。
8月22日
 ようやく天候が回復した。井上さんら3人は6時過ぎ植生調査に出発。今日は御西小屋に泊まるとのことである。筆者も他の登山客が全員出発したあとに掃除を済ませ, 後を追うことにした。途中, 烏帽子岳を過ぎた亮平の池で, 高山性のトンボ・ルリボシヤンマの死骸1つと羽化間もない2個体を確認して撮影し, 天狗の庭で調査中の3人と合流した。かつてテント場などに利用され荒れた天狗の庭に, 特別に立ち入ることができた。ここの小さな池にもルリボシヤンマがいた。ヌマガヤ草原にはミヤマヒナバッタの幼虫がいて, 成虫の鳴き声も聴かれた。
 御西小屋管理人で小国山岳会の羽田さんにお会いしたかったので, 時間を計算して, 3人と別れ先を急ぐことにした。烏帽子岳と御西小屋間のルートは, ほぼ稜線の北東・山形県側, つまり雪田の発達する背風側にある。雪田の解けた傍から高山植物が花を咲かせるため, 同じ植物の花が3ヶ月以上の間, どこかでモザイク状にみられる。その代表種の一つ, ナンブタカネアザミには, ヒョウモンチョウの仲間が数多く集まっている。山麓のスミレなどを食草として初夏に羽化した後, 夏の間どこかで夏眠をし, 秋に交尾・産卵するといわれているが, 飯豊の稜線に避暑にくるおびただしい群れを目の前にすると, 夏眠をするのが本来の性質なのか疑いたくなる。
 一番多いのがやや小型のウラギンヒョウモンで, 次にミドリヒョウモンが目立つ。近年減少傾向にあるオオウラギンスジヒョウモンも, 少ないながら混じっているのが確認された(図7)。ここでの3種の出現割合は, 低地でのそれとほぼ対応しているが, 低地で増加しているメスグロヒョウモンがみられない点が興味深い。ヒョウモンチョウ類の中で唯一, メスだけが黒と白からなる翅をもち, 一見して種が判別可能なメスグロヒョウモンは, 一度もみていないので, おそらくオスの混入もないものと思われる。やや日陰を好む本種は, 放置された里山で勢力を増しているものの, その習性が高山の明るい環境を好まないものと思われる。またクモガタヒョウモンも今回確認されなかったが, 今後注意していきたい。
 高地性の種で, 蔵王が日本の土着北限のギンボシヒョウモン(山形県準絶滅危惧種)は飯豊山地未記録であるが, 姿の似ているウラギンヒョウモンに混じって訪花にきていないだろうか。
 蛭川(2013)によれば, 長野県では冷夏の1993年と2003年にはクモガタヒョウモンは夏眠したが, メスグロヒョウモンはしなかったという。他の種ではどうなのか, そして冷夏や猛暑が山頂への避暑移動へ及ぼす影響など, 人為営力の変化や温暖化で急変しつつあるヒョウモンチョウ類の動態に, 飯豊稜線での観察はさまざまなデータを提供しそうである。
 ようやく御西小屋到着。貸し出し用の毛布を小屋の外で干している羽田さんに挨拶。歓待戴き缶ビールをごちそうになる。二人で話し込んでいると, 「渡り蝶」のアサギマダラが飛んできて, 羽田さんの帽子に止まった。青い色の花だと思ったらしい。写真を撮らせてもらう。アサギマダラはこの日と下山する翌日に, 合わせて約40頭を目撃したが, すべて稜線を北東から南東へ, すなわち山形県側から新潟県側へ越えていった。稜線は加治川や胎内川流域から常に強風が吹きつけるが, アサギマダラは例外なく逆風に向かって南へと飛んでいく(図5)。約40頭のうち, 羽田さんの帽子に止まったものと, セリ科の一種に訪花したもの以外は, 稜線に降りることなく新潟県の谷に吸い込まれていった。小国山岳会の金野君によれば, ダイグラ尾根の中腹では, 林床に咲くキク科のハグマ類の花によく訪れるらしい。
?差岳から三国岳に至る主稜線の間で唯一, 御西小屋〜本山の間を歩いたことがないことを告げると, 呆れた顔をしながらも羽田さんは, まだ時間があるから行ってくるように勧めてくれた。宿泊客の集まりだす3時までは, 梅花皮小屋にもどらなければならない。草月平にさしかかると, タカネマツムシソウなどの見事なお花畑で, ベニヒカゲの多さに驚かされる。図2は後翅裏面の褐色帯が特に白味を帯びた個体で, 長岡(2000)も切合産の同様なメスの標本を図示している。黒い眼状紋も中の白い点が前翅, 後翅とも出現しにくいとされる飯豊山地の個体群にあって, 図3の個体にははっきり現れている。朝日山地内での変異はある程度調べられているが(大高, 2013), 飯豊山地内での変異の実態は, 今後の課題だ。レッドデータ改訂のため許可されている数頭のサンプリングでは, 山地全体の変異の把握は困難であるし, 今の筆者のスタイルに合致した写真撮影などの方法で, 長い時間をかけてデータを集めていくつもりである。
 草月平の観察で時間が過ぎ, ここで引き返すことにする。御西小屋の羽田さんに挨拶し, 天狗岳付近で再会した井上さんら3人と小休止後, 梅花皮小屋を目指す。小屋に間近い梅花皮岳山頂付近(2000m)で, 岩陰から2頭のベニヒカゲが飛び出した。とっさに足を止め蝶がいたと思われる地面を覗くと, まだ数頭のベニヒカゲが身を寄せ合っている(図8)。少し前から天気が急変し, 風雨となってきたため, 寒さをしのぐ行動と思われるが, 集団でのこのような本種の行動は, 後日高橋真弓先生にお聞きしたところ, 知られていないとのことである。
 なんとか3時に小屋にたどりつく。すでに到着している10名ほどのパーティーに受付をしてもらう。4時を過ぎて食事の支度をしていると, 御西小屋の羽田さんから緊急事態発生の無線が入る。石転ビ沢雪渓の終わりの辺りで, 女性の方が動けなくなったとパートナーから井上会長の携帯に連絡があったとのことである。空リュックとハンディー無線を背負って雪渓へと向かう。幸い女性は回復しゆっくりと登坂されていたので, 黒滝の下で出合い, リュックを交換し, 無事小屋まで3人でたどりついた。
8月23日
 今日は下山の日だ。他の登山客が早々に出発し, 残っているのは昨日のお二人だけとなった。今日は門内小屋に泊まって明日下山するらしい。ゆっくり出発したいので, 2階の掃除はまかせて欲しいとのお申し出を受け, 1階とトイレの掃除をして6時30分に小屋を出た。まあまあの天気である。往きと同じく梶川尾根を下ることにする。途中1400m付近の登山道からはずれた源頭部で, タチアザミにオオゴマシジミが吸蜜にきていた。小国南部で「イイデアザミ」の方言で山菜として利用されているものの, 山形県(2014)のレッドリスト(絶滅危惧U類)に指定されている分布の限られた植物である。フロラ山形の高橋信弥会長の御私信では, 他に泡の湯付近, 叶水東滝赤石沢, 飯豊町岩倉葡萄沢, さらに吾妻山系の馬場谷地, 家形山へ至る堀田林道の湿地にもあり, 県内では米沢市と飯豊・小国町に限られるという。
 図9と図10のメスは同一個体で, タチアザミの花に執着し, 群落内を飛びまわって長い間訪花した。すぐ傍のミヤマシシウドの花には, ミドリヒョウモンや多数のハナアブとともにアサギマダラがやってきた(図11)。しばらくしてトリアシショウマでも吸蜜したが, また別のミヤマシシウドに戻った。
 梶川尾根の最後の急坂では, 8月18日と同じく5頭のコジャノメを目撃した。今回は800〜550mの間で見られた。約500m地点でキベリタテハを撮影して, 12時30分に飯豊山荘に下山した。
9月14日
 9月は14日から3泊4日の日程で小屋番となった。この日は小国山岳会のマサノブさんとシミケンさん, つがざくら山岳会のリョウさん, 福島のみっちゃん, それに月山ビジターセンターの大ちゃんの5人が先に梶川尾根を登ってるはずだ。荷上げを兼ねての, 一泊二日の山行らしい。荷の軽い筆者は, お昼前に梶川峰の手前でなんとか追いつく。梶川峰の少し上の池塘にはルリボシヤンマのオスがみられる。ここから扇ノ地紙までは登山道が荒廃し, 保全活動が重点的に行われている。登山者が体力に応じ, ボランティアで植生復元のための資材を荷上げするスタイルは, 飯豊方式と呼ばれ定着している。今同行している30〜40歳代の彼らは, これまで多くの資材を担ぎ上げたり, 保全作業のリーダーを務める猛者たちだ。夜は山や里の話で盛り上がる。外は満点の星空だ。
9月15日
 快晴で, 何人かは北股岳に御来光を見に出かけた。私は多めに持ってきた野菜類を, 長期滞在の羽田さんに届けるため, 御西小屋に行く計画を立てた。そのためマサノブさんら5人は, 小屋の掃除は自分たちがするから, 早く発つようにと促してくれた。ありがたい申し出に, またいつの日か再会を約束して7時前に小屋を出た。
 天狗の庭をすぎて間もなく, ベニヒカゲが現れ, ミヤマコゴメグサの白い花で吸蜜した。山形県内もベニヒカゲの9月の記録は, 昨年(2013年)の筆者(2013)による朝日の以東岳周辺の9月6日があり, さらに同じ朝日山地の天狗角取山で旧姓・武浪秀子さんが2005年9月11日に記録していたことが後日判った。しかし今回の9月15日の記録は, それより4日遅い確認となる。
 御西小屋に着き, 羽田さんにまた歓待を受ける。そしてまた飯豊本山を目指して出発。御西岳付近の登山道で, ヒオドシチョウかと思って望遠にしたカメラのファインダーをのぞいたら, なんとエルタテハだった(図14)。山形県ではこれまで, 奥羽山系の吾妻と蔵王のみで記録されていた。本州の中部以北と北海道に生息するこの蝶は, 新潟県でも局地的で, 準絶滅危惧種に指定されており, 福島県側ともども, 飯豊山地からの記録はない。ただ, 1941年の新潟県関川村「荒川筋」という記録がある(荻野, 2011に所収)。ダケカンバなどが幼虫の食樹であるため, 飯豊山地に生息していても不思議ではなかった種だ。木の枝に産卵するのは来春のため, 成虫で冬を越さなければならないが, 登山道(この付近は福島県)にいたこの個体は, 山形と新潟のどちら側に下って越冬するのだろうか。
 8月にベニヒカゲが多産していた草月平では, 古びたものが多いものの, 15頭ほど目撃された。急な降雪などがない限り, 何頭かは9月下旬まで生き残る可能性が充分予想できる。
 ベニヒカゲがタカネマツムシソウにとまったので, 撮影をしようとファインダーを覗いて驚いた。同じ花にトホシハナカミキリがとまっているではないか(図12)。筆者自身20代の頃南アルプスの北岳で, 確かマルバダケブキでみて以来の, そして飯豊山地では約半世紀ぶりの確認である。板垣(1972)は「飯豊の1500m以上の高山草原に産する。飯豊では草履塚に多い。花に集まる。7, 8月に出現する」と記しているが, 具体的なデータがない。白畑ら(1970)の調査リストでは記録がなく自らは得てないものと思われるが, 飯豊山に分布することを紹介しているので, おそらく板垣氏が1960年代に得ていたことを私信もしくは板垣氏の発表物で知っていたと思われる。板垣氏はかつて清水大典氏が主宰していた旧・米沢生物愛好会の「つち団子」に置賜昆虫記(T)を発表しているので, それに記録されている可能性がある(同昆虫記の(U)は1964年1月に発表されている蝶類のリストで, (T)はそれ以前の発行となるが, 「つち団子」は米沢市立図書館で収蔵されてない号があり, 未見である)。
 よくみると, 同じ株にもう1頭のトホシハナカミキリがきていた(図13)。これにより, 9月中旬という遅い発生や, タカネマツムシソウへの訪花という現象が例外的なものではない可能性が高くなってきた。本種の幼虫はハクサンフウロの根を土の中で食べて育つものと考えられており, 山形県では他に鳥海山のみ(山形県, 2003), 福島県では他に会津駒ヶ岳のみ(斎藤ほか, 前述)に分布しているだけだ。山形県では準絶滅危惧種に指定されているが, 白畑ら(1970)は「鳥海山における本種は, 登山者による植物帯の荒廃が原因で激減している」と当時すでに指摘している。飯豊山地でもおそらく, 板垣氏の調査した1960年代前半では珍しくなかったものと思われる。今後, この時期にタカネマツムシソウに着目して, 飯豊山地における分布や生息密度の調査が必要と考えられる。
 今回は玄山道分岐を過ぎた2038mのピークまで行ったところで, 戻る時間となり引き返す。御西岳付近のツツジ科の一種(ガクウラジロヨウラク?)で, フキヒョウタンゾウムシの一種が交尾していた(図4)。
 御西小屋西側にまだ残っている雪窪の付近で, また例の大型の青いゾウムシを撮影し(図15), 天狗の庭付近で毛深いムシヒキアブを撮影。本州特産で秋期に山地で集団発生するとされるハタケヤマヒゲボソムシヒキのようである。御手洗の池の西で, 稜線上では珍しいナンブアザミと思われるアザミの花に, 小さな虫が多数集まっていた。初めアザミウマの仲間に思われたが, どうやらハエの仲間の双翅目昆虫であり, 現在同定依頼中である。
9月16日
 朝はガスがかかっているものの, 予報に反し天気が良さそうである。午前中, 石転ビ沢上部の黒滝までパトロールを兼ねた散歩に出かける。飲料を冷やすための雪(といってもスコップでやっと砕ける氷状)が残る梅花皮小屋直下の雪窪(残雪窪地)は, 今日ですべて解けて地面が出そうである。その中心から近い場所では, 今が雪田植物の芽吹きの時期だ。その代表であるイワイチョウの新芽が好物らしく, ツキノワグマのフンがあちらこちらにみられる。霧の中, 出くわしたりしないよう, 時々大声をだしながら急斜面を下った。
 雪窪の周辺の石の下には, 高山性のミヤマヒサゴコメツキの死骸がみられた。黒滝上のフキユキノシタ群落に到着。滝の段上であるここだけが, リュックを置いて一息つける緩斜面になっている。8月19日にみられた2種のカワゲラの仲間は, どちらも健在である。小さい方(カギホソカワゲラ属の一種)は, オタカラコウの葉上で交尾個体も観察された。そして小さな流れの石を起こすと, トワダカワゲラの仲間の幼虫がみられた。成虫になっても翅がない原始的なカワゲラで, 水温の低い山間の流れの中で4年かけて成虫になるため, さらに年月を要するムカシトンボとともに, その生息は安定した清流環境の指標といえる。筆者の自宅(小国町沼沢遅越)前の, 間瀬川にそそぎ込む富貴沢でも, 両種とも生息を確認している。ただしトワダカワゲラの方は, 幼虫がたくさんみられるにもかかわらず, 流れから離れて交尾・産卵するためか, 成虫をみつけられずにいた。
 トワダカワゲラの成虫は秋に誕生するため, フキユキノシタ群落の流れをさらに探してみる。湿っているものの, 流れからややはずれた石の隙間に, 大きな終齢幼虫がかたまってみられ, 中に成虫も混じっていた。どうやらここで次々と羽化が行われているようである。
 10時頃になって, 天気が急変し雷雨となった。ここから40分ほどあれば小屋に戻れる。今日は仙台からのツアー客16人が宿泊予定で, 食料の提供も予約されている。小屋で待機していると, 悪天候のため大日岳の往復をあきらめたらしく, 一行は昼過ぎには小屋に到着した。
9月17日
 今日は下山の日だ。ツアー客を含め全員5時過ぎには小屋を出たので, 食事を済ませ早めに小屋の掃除をする。箒ではいていると, 何やら虫も混じっていた。アカガネカミキリだ。
吾妻山ではダケカンバ林に生息しているが, 飯豊山地では初めてみた(斎藤修司氏によれば福島県側では珍しくないという)。切合付近の稜線の潅木にいたものを, ツアー客がリュックに付けて連れてきたのであろうか。
 下山のルートは石転ビ沢にした。常にスパイク長靴をはいているが, さらに簡易アイゼンをつけ, ネットの柄を改良したストックで慎重に下る。
 つぶて石付近の沢沿いでは, 稜線から姿を消したヒョウモンチョウの仲間が, 8月のナンブタカネアザミに替わって, 標高600mに咲くタチアザミの花にたくさん集まっていた。
10月11日
 山岳会の高橋副会長から, 小屋じまいのやり方を覚えるように指示を受け, 竹田さん(通称「竹爺」)と2泊3日で登ることになり, 6時に飯豊山荘奥のゲートで待ち合わせをする。竹田さんの知り合いで, たまたま登山口で一緒になった長岡市の鈴木さんに, 神奈川の山ガール2人を加え, 5人のパーティーとなる。
 五郎清水の手前の急登で, 手をかけるとひっくり返りそうな危険な石を, 門内小屋の小屋じまいのため登っていた下越山岳会の方が発見。100kgを超える花崗岩であったが, 竹爺と3人で工夫しながら下にずらして落ち着かせる。
 梶川峰にハヤチネフキバッタのメスが健在で, その少し先にはミヤマヒナバッタのメスの緑色型がこの時期でも生存していた。この夜は途中で採ったモタシ(クリタケ)などで労をねぎらう。
10月12日
 台風が接近しているため, 神奈川の2人は本山を経て弥平四郎に下るという予定を変更し, 鈴木さんと一緒に飯豊山荘に向けて下山した。その後, 梅花皮小屋の水源地をみに行き, 黒パイプの泥抜きをはずす。明日行う予定にしている貯水槽の水抜きの方法などについて, 竹爺に教わる。
 烏帽子岳まで遊びに行かないかと竹田爺に誘われたが, 私はまた黒滝で観察したい旨お伝えし, 石転ビ雪渓に向った。黒滝の上では, 8月と9月にみられたトワダクサカワゲラとカギホソカワゲラが, 今日も少なくなかった。
 トワダカワゲラの成虫も2頭いた。8月にサンプリングしたものは, 作成中の図鑑掲載用に奈良の写真家・伊藤ふくおさんが撮影した後, 大阪の市川顕彦さんへ転送された。今回, 飯豊に登る前日, 市川さんよりハガキが届き, あの個体はトワダカワゲラにしては随分小さく, ミネトワダカワゲラかもしれないので調べてみるとのことだった。そして後日判明したのであるが, ここに生息しているものは確かにミネトワダの方であった。この2種の分布は近年急速に判明してきており, 今井(2011)は両種の詳細な分布図を示している。 それによればおおむね阿賀野を境にして, 北にトワダ, 南にミネトワダが棲み分けている。しかしミネトワダの一部が阿賀野川の北に進出し, 一部の支流で混棲地も知られている。さらに阿賀野川と並行して流れる加治川の上流, 湯の平付近でもミネトワダが隔離分布しているらしい。その北限記録を更新し, 山形県初ともなる石転ビ沢の生息地は, 湯の平の峰かげに位置している。湯の平のさらに上流の北股川や飯豊川沿いにどこまでミネトワダが進出しているのか, 石転ビ沢の個体群と連続しているのか, さらに飯豊山地全体での広がりはどのようなものか, そして石転ビ沢の下流に生息すると思われるトワダとどの付近で棲み分けているのか, あるいは混棲地がみられるのか。新たな興味深い課題が幾つも浮上してきた。
 この後, 黒滝の下に降り, 雪渓の先端部で石を起こすと, 多くのミネトワダカワゲラの成虫がみられ, 中に交尾は確認されなかったものの, オスが上にのっている2組のペアもみられた(図16)。越年雪渓の存在は, 低温と清流を好む本種にとって, 氷河期が去った現在も遺存的生息を保証していると考えられる。低温と豪雪が供給する豊富な落石も, 雪渓の後退により草地の中に固定され, 羽化・交尾・越冬の場所を提供している。石転ビ沢は, まさに本種にとって楽園のような環境である。
 雪渓のまわりでは, この時期もミヤマキンポウゲやシナノキンバイが咲いている。
10月13日
 昨夜は下越山岳会の笹川さん, 新潟山岳会のアキさん, 竹爺の3人と遅くまで山の話で盛り上がる。他のツアー客が帰った後, 笹川さん達に部屋の掃除をおまかせし, 竹爺と2人で水関係やトイレの冬支度を行う。すべて完了し7時過ぎに出発の準備をしていると, 昨夜中に小屋じまいをあらかた済ませ, 早朝に御西小屋を発ってきた羽田さんがやってきた。そのまま5人で梶川尾根を下山。途中の門内小屋も無人となり, 梅花皮小屋と違ってトイレも利用できないようになっていた。小屋の周辺でハヤチネフキバッタのメスを, 他の4人に紹介し観察してもらった。そして接近する台風で今にも降りだしそうな中, 足早に飯豊山荘の温泉を目指した。

おわりに
 カワゲラ類の同定をしていただいた市川顕彦氏(大阪市), 種々の情報を下さった高橋真弓氏(静岡市), 斎藤修司氏(福島市), 榎並 晃氏(新潟市), 高橋信弥氏(東根市), 並びに井上邦彦会長をはじめとする小国山岳会の皆様に, 深くお礼申し上げます。 

引用文献
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山谷文仁・草刈広一(1995) 上杉博物館館蔵昆虫目録(49) 膜翅目(社会性ハチA)ファウナ ウキタム 46:32.
図1 8.18 コジャノメ(梶川尾根, 750m)
図2 8.22 タカネマツムシソウとベニヒカゲ(草月平)
図3 8.22 ベニヒカゲのメス(草月平)
図4 8.22 フキヒョウタンゾウムシの一種(草月平)
図5 8.22 草月平のお花畑を舞うアサギマダラ(右上も)
図6 8.22 コバイケイソウ葉上のヒョウタンゾウムシの一種(御西小屋西方)
図7 8.22 ナンブタカネアザミにきたミドリヒョウモンのメス(左)と
オオウラギンスジヒョウモンのメス
図8 8.22 岩陰で身を寄せあうベニヒカゲ(梅花皮岳)
図9 8.23 タチアザミで吸蜜するオオゴマシジミ(1400m)
図10 8.23 オオゴマシジミ(図9と同一個体)
図11 8.23 オオバセンキュウで吸蜜するアサギマダラ(1400m)
図12 9.15 ベニヒカゲとトホシハナカミキリ(草月平)
図13 9.15 タカネマツムシソウとトホシカミキリ(草月平)
図14 9.15 エルタテハ(草月平〜御西岳間)
図15 9.15 ヒョウタンゾウムシの一種(御西小屋西方)
図16 10.12 ミネトワダカワゲラのペア(黒滝下)
図17 10.13 北股岳より 手前から梅花皮岳, 烏帽子岳, その中間に飯豊本山,
右奥が御西岳(緑がチシマザサ・ハイマツ群落で, 枯れ草部が高山草原)
図18 10.13 北股岳より石転ビ沢雪渓を見下ろす

おわり