登山者情報1,912号
【2015年08月14日-15日/梅花皮小屋遭難〜石転ビ沢/井上邦彦調査】
14:49小国町役場の遭難担当者から「梅花皮小屋の管理人(OTJ)より、50〜60歳の男性が、胸が苦しいと訴えていると小国警察署に連絡があった。隊長(EHJ)には連絡済みであるが、町外に出ている」と電話があった。取り敢えず小国警察署に向かう。
15:29隊長と連絡がつく。現在村上市に出掛けているので帰るまで頼むとのことである。15:39OTJと電話が通じる。37度8分だった体温が38度7分まで上昇している。過去に高山病になったことがあり、酸素が欲しいと訴えて息苦しく咳き込んでいる。たまたま小屋にいた県外のガイドの方は「肺水腫でないか」と言っているらしい。
役場担当者が小国病院の医師に相談した結果、「診断ができないのでなんとも言えないが、気管支か呼吸器系統の疾患かも知れない。高山病は考えにくい。肺炎の可能性も考えられる」小屋でできる処置としては「身体を冷やすこと。氷などがあればビニール袋に入れ乾いたタオルで包み、額、脇の下、首、鼠径部に当てる。水分を十分に摂取させることだろう」体温を2時間おきに測ることを合わせてOTJに連絡する。
要救者が救助要請を行い、県警ヘリを手配したが、何分に天候が悪くフライトができない。夜間に地上隊を出したとしても、リスクばかりが大きく有効な手立てだとは考えられない。明朝を期してヘリで救出するのが最善である。明日の天気予報は曇りである。
要救者の体重を確認した所、72kgだという。担ぐのは大変そうである。天気予報は置賜では曇りであるが、下越は雨マーク、天候が回復しても北股沢出合から上は雲に覆われる可能性がある。
たまたま御西小屋管理人に入っているAXLは救助隊副隊長の1人である。彼に連絡して明朝05:30まで梅花皮小屋に支援に来てもらうことにした。
隊長が小国警察署に到着。門内小屋にはLTQが入っている、彼は日本登山医学会のファーストエイド研修を受けている、彼にも協力してもらおうとのこと。本人の了解がもらえたので、亀山さんに連絡して定時連絡等の免除をしていただくことになった。
明朝、要救者の体調が可能なら3人でサポートを行いながら北股沢出合まで下り、そこからヘリでピックアップする計画を立てた。そんな時、鳥海山で行方不明事案が発生しヘリの要請があり、明朝県警ヘリはそちらに向かうとの情報が飛び込んできた。役場から防災ヘリにも出動要請を行う。
また地上隊として中央班と飯豊班が各3人、これに警察官3人、隊長を入れて総勢10人、04:00警察署集合とした。さらに雲の状況を逐次視認しながら連絡調整を行うため、樽口峠にPWDを配置することにした。
翌早朝、登山口に向かう車の中で要救者の状態を確認する。昨夜は40度まで上がった体温は37度8分まで下がったが、脈拍が112/分と高くなっている。
登山口が近くなると雲海を抜けて飯豊連峰が聳える。部分的に青空も見えるが、稜線は危惧したとおり雲を被っている。
林道終点から歩き始めると、無線でそれぞれの情報が入ってくる。両小屋から駆けつけた2人を加え3人で、2階に寝ている要救者を1階に下ろしトイレで用を足したが、サポートをしても自力で歩ける状態ではない。
嘔吐をしたと連絡がある。呼吸が困難なので担いで搬送することにより症状が悪化する心配があるとのことである。胸を圧迫しないように担架に乗せて、足場の悪い急峻なガレ場を降ることは実際の問題として無理である。稜線の雲が取れない限り、救助の方法は手詰まりとなる。祈るような気持ちで登山道を進む。
OTJから小さな声で「心肺停止となった、蘇生法を交替で行っている」との連絡は、一気に地上班に重苦しい空気をもたらした。だが、誰も歩みを止めようとはしない。
門内沢の雪渓を渡り、石転ビ沢を飛び石伝いに渡渉し食事を取る。沢の飛沫かと思ったら、雨が降ってきた。合羽を着るが雪渓に上がると寒い。
心肺停止の連絡から約1時間経った頃、天候の回復が見込めないことを確認し、本部に搬送準備の承諾を求める。搬送を行うということは心肺蘇生の中止、つまり死を認めるということである。新隊長にとっては厳しい試練であるが、これから繰り返される悲しい判断のスタートになるかも知れない。
小屋にいる3人に、管理人室からレスキューハーネスとロープを出して可能な範囲で搬送を行うよう指示を出す。
合羽を着て歩いていても寒い、雪渓を黙々と登る。隊長・副隊長(GCS)・中央班長(LFD)はさすがに速い。私がようやく露出した清水のある北股沢出合に到着した時点で、休憩を終えた彼らはザックを置いて登り始めた。
黒滝の左岸で雪渓から離れて踏跡に移る。黒滝の上流にはほとんど雪はない。両手を使って踏み跡を辿るが、要救者を背負って下げるのは危険である。ルートを探しながら、隊長達の後を追う。
中ノ島(草付き)最上部で左の小沢を横切った所で、要救者を担いできた3人と合流する。要救者と彼のザックを受け取り、全員で搬送を始める。
私はより良いルートを求めて、旧道を降りてみたが、草が足場を覆っており適さないと判断。また中ノ島(草付き)と夏道の間の小沢を詰めてみたが、ここも適さず。結局夏道を降りることにしたが、足場が悪く四苦八苦である。本日、梅花皮小屋泊まりの予定で登ってきた小国山岳会員のDCUを救助隊に編入する。
できれば中ノ島(草付き)の途中でピックアップして欲しいのだが、本部からは「ホン石転ビ沢出合と石転ビノ出合の間でピックアップ予定」と連絡が来る。
黒滝のすぐ上部は、隊長がルートを見つけて沢沿いに降る。黒滝からも雪渓までは気が抜けない。真上からの確保ができないので、足がもつれたり滑れば、口を開けている雪渓と黒滝の間に転落する事になる。一歩一歩緊張が走る。
何とか雪渓に出て、北股沢出合で休憩を取る。ここで山小屋管理人の3人はそれぞれの山小屋に戻ってもらうことにした。たまたま登ってきた登山者がいたので、全員で写真を撮る。
雪渓はこれまでとは違い足場が安定しているが、やはり要救者の重さが足に来る。何度も交替を重ねて降る。無線で「空港が雷雨のためフライトできない」と連絡が来た。士気を落とすが、ともかく降るしかない。時折激しくなる雨の中、少しずつ降る。
防災ヘリがなんとか樽口峠に到着したのは、我々がホン石転ビ沢まで下った時の事だった。ところが今度はこちらが激しい雨となった。なかなか思い通りにはいかない。本部からは石転ビノ出合まで降ろして欲しいとの連絡が何度も入る。
2度ほど隊員が要救者を背負ったまま足を崩した。私達は背負い手を交替する時も要救者を下ろすことはない。もういちど担ぎ上げるのは大変だからだ。だが膝をついた以上はしょうがない。皆でなんとか持ち上げては石転ビノ出合を目指す。
「ヘリが向かった!」無線が知らせたのは、ちょうど雪渓が平坦で広い場所に着いたのとほぼ同時刻であった。隊員がヘリの飛来に向けて左岸寄りに逃げる中、要救者を下ろしレスキューハーネスを外し、彼のザックを準備する。隊長1人がてきぱきと作業を進める。
防災ヘリもがみは雨の降りしきる中、目の前にホバリング。後ろの回転翼から激しく水飛沫が流れる。ピタリと位置を定めると、じわじわと隊長が待つ要救者に近づき、航空隊員2人が下降してきた。3人で要救者を担架に乗せると、後方で待っていたヘリがまた近づいて行き、隊員が付き添ってピックアップ。要救者を収容すると、すぐに要救者のザックを担いだもう一人の隊員を回収。それと同時に勢い良く踵を返すと、梅花皮沢下流へ落下するように飛び去っていった。
この一連のヘリの動きは何時もと異なる。通常は隊員を下ろすと離脱し、安全な上空で準備ができるのを待っているのだが、今回はその場に留まっていた。また収容し帰る時には私達に合図というか挨拶をするような行動を見せるのだが、それもなかった。やはり雨の中の視界が厳しい中でのギリギリのフライトだったのだろう。
ヘリを見送り、私達もまた、暑い下界に戻ることにした。
湯沢ゲートで飯豊班と合流 隊長から概況が説明される |
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林道終点で最終チェック |
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ブナ林を進む |
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梶川出合 |
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門内沢が見えてきた |
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石転ビノ出合 |
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石転ビ沢 やはり中ノ島(草付き)から上部は雲 |
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門内沢に向かう |
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左は石転ビ沢、右門内沢の雪渓を渡る 間もなく門内沢も渡渉になるだろう |
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雪渓を渡る |
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石転ビ沢を飛び石伝いに越える |
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渡り終えて休憩 |
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カッパを着て石転ビ沢を登る |
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石転ビノ出合を見下ろす |
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北股沢出合の清水がようやく露出した |
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先行者はザックを置いて上に向かった |
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黒滝 |
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黒滝から北股沢出合を見下ろす |
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黒滝は左岸の踏跡を辿って巻く |
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黒滝の上流 |
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降ってきた3人と合流する |
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中ノ島(草付き)の旧道は草で足元が見えない |
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シナノキンバイ |
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前日(14日)に成人式を終えた救助隊員のTAKU |
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北股沢出合にて |
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防災ヘリもがみが飛んできた |
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航空隊員が下降する |
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水飛沫を上げて頑張るもがみ |
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要救者をピックアップ |
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続いて要救者のザックも回収 |
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救助作業を終えて |
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山に静けさが戻った |
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おわり