登山者情報202号

【弥平四郎口】

勤務終了後一旦自宅に戻り弥平四郎へ向かい、喜多方から山都町に出る。川入に向かってすぐ左折して国道459号に入るのだが、夜間のためか昨年と同様に戸惑ってしまった。スレ違いなど望むべくもない細い道を進む、途中の宮古は集落を挙げて蕎麦を売り物にして賑わっている所である、ぜひ何時かは私も食べてみたいものだ。真ケ沢でようやくまともな車道に出る。ここからひたすら祓川に向かう。現在は途中の極入でバスは終点となる、所々夏の集中豪雨の傷跡が残っているので運転に気を使う。弥平四郎直前から新稲荷峠を経由して川入へ抜ける道路は、両コースを一度に調査するときよく使うのだが、11月18日から明年2月13日まで交通の時間規制が行われている。弥平四郎で舗装道路は終る。この先の川は禁漁区なので、釣りが目当ての人は留意すること。ブナの林になってくるとまもなく右手に大きな登山口の看板が目につく。その僅か先に駐車場があるが、1台も見あたらない、今夜はここに泊まることとする。空に縫い針で無数の穴を開けたような黒い部分がない星の群れが、木の葉の落ちた大きなブナの木にまとわりついている、至福の一時である。冬用の寝袋を出すと黄色いク ライミングテープで縛られていた。今年の春先に富士で亡くなった斎藤君の仕業である。暫し感傷にふける。
18日6:22駐車場発、看板まで戻りブナ林の歩道に踏み込む、ブナを始めとし様々な木の葉が、葉縁や葉脈を白くさせて凍り付いておりサクサクと音を立てる。ツルアリドウシの赤い実が目を引く。沢への下りは滑るのでついつい走りだしてしまう。祓川に架かる橋は、前半は電柱を3本縛った丸木橋、後半はスリットの入った砂防ダムのようなユニークなものである。渡り終えると小さな広場、ここにはまっすぐ枝道があるが、登山道は左に折れて尾根に取り付く。今年は茸が不作であるが、道の端に3個のムキタケが出ていた。茸による食中毒で最も多いのがツキヨダケとこの茸と間違えたケースである。まだ小さいうちのツキヨダケはムキタケとそっくりで、私も外見だけでは判別がつかないことがある、割ってみて根元が黒いものがツキヨダケなのだが、実はもっと簡単な見分け方がある、ツキヨダケは茸の出始めに出現し、ムキタケは終わりの時期に出るのである。ということは、今回の茸は紛れもなくケキタケということになる。
6:38〜45、祓川山荘で休憩。うすべりが敷かれてあり、毛布5枚、台所には水が出ていたし食器やまな板もあり、便所は大3小1、ブナ林に囲まれた清潔な二階建ての小屋であり、窓や玄関には冬囲いがされており、玄関に「降雪が多くなりますと入口から中に入れません、二階の窓から出入りします、窓の鍵は絶対にかれないでください。弥平四郎自治区長」に張紙がされていた。登山者カードに記入する、私の前には10月11日と記載されていた。
松平峠に向かう登山道沿いにコンクリートの水槽が二箇所程ある、登山者の声に山荘で水が出なかったとあったが、私たちは蛇口を捻れば水が出るのが当り前の社会に慣らされ過ぎているのではないだろうか、水を確保することの苦労を思う。ブナやホウの倒木が道を塞いでいる。ブナは意外に根が浅く風に弱い樹木である。山刀を持ってきていないので、そのまま通り抜ける。黄色いテープが道の両側に張られている、ブナの倒木を輪切りにした物が転がっており幾ばくかのナメコが凍っていた。これはナメコの菌を打った物である、天然物とは違う栽培物であるから採ってはいけないのだが、採る人もいるのだろう、以前には罠をしかけていますので立ち入らないで下さいと脅し文句の張紙が掲示されているのを見かけたことがある。
道端の雪が次第に多くなり、小動物の足跡がある。そういえば昨夜はタヌキ2匹とアナグマ?1匹、白いウサギ1匹を見かけたが、もうノウサギは色を変えたのだろうか、飼育していたものが逃げだして野生化したのかも知れない。上を見上げれば峠から上はみな白い。
山の斜面を横切るようにして徐々に高度を上げていく登山道は、雪が山側から押してきて私は次第に川側の道の縁に追いやられていく。三角形のブナの実を拾い、皮を剥いで口に運ぶ。たっぷり脂肪を含んだ青い味が口中に広がる。
900m付近から登山道は殆ど雪に覆われるが、凍み雪なのを良いことにこのままズックで登る。急斜面のトラバースが始まると雪崩の跡がある、露出した岩には氷が張り付いている。ズックではやはり限界がある、プラスチックブーツに履き替える、ペースが落ちる。緑色で瓜に似た模様のあるウリハダカエデの枝を拾って杖とするが、細くしなって不安定である。やや太い枯れた枝を折って杖を作るが、この手の物は僅かに力を加えただけで折れてしまうので注意が必要だ。1150mで一度尾根登りとなる、3cm程度の霜柱が小石やブナの実を持ち上げている、歩きやすい。
さらに雪に覆われた急斜面のトラバースとなる、登山道沿いに複数の人間が歩いたような跡がある、その上を歩くと靴が潜るのできつい。トレースを外してキックステップで進むとまもなく、7:55ブナの木に「十森」と書かれた黄色の菱形の標識が打ちつけられている、登山道が小沢を横切っている部分が水場になるのだが、すっかり雪に覆われている。天幕2張り分のスペースがある、10分ほど休憩とする。
8:25〜30、松平峠に着く、標識が見あたらない。ここからここから陽があたる尾根道である、とたんに膝までのラッセルである。
栂峰・吾妻連峰が見えてくる。雪のない部分があると助かる。北東側の斜面はウサギの遊び場になっているらしく特徴のある足跡が縦横に駆け回っている。ほどよく締まった雪の上は、体重の掛け方さえ間違わなければ、そっとそのまま歩けるのだが、一度かき乱されたところはそうはいかない、狭い尾根では誰もが同じルートになる、微かなトレースが邪魔になるばかりである。
太陽が当たった雪は、水分を含んだ粒々となる。砂のように風化した花崗岩の表面に小さな流れができている。凍り付いたブナの幹の胸髭状の苔が柔らかくなり、滴りが幹を伝わる。初冬の飯豊の小春日和である。
マルバマンサク・リョウブ・サラサドウダン・タニウツギ・ウルシの実が残っている。ムシカリは既に耳の長い悪魔のような新芽ができている。常緑の植物はササの他に、赤い実をつけたハイイヌツゲ。イワウチワとオオイワカガミの葉は紛らわしい、花が咲いていれば一目ではっきりするのだが、葉だけの時は先がやや凹になっているのがイワウチワ、凸になっているのがオオイワカガミである。葉のない時期は幹に目がいく、不断は気づかない特徴が見えてきて面白い。ナラやブナの高木は分かりやすいが、潅木に紛れていると迷う。リョウブは皮が剥がれやすく赤っぽい。コシアブラは枝のつき方に特徴があり、先端が獣に食べられたような感じになっている。ウルシは枝分かれが少なくすらりとしており、幹に縦の線が入っている。
喜多方の市街地は屋根が雲母のように光っている。薄らと雪が積もったこの時期には、隠れた道が見えてくる。祓川山荘から松平峠に至る途中から、そのままほぼ水平に沢に向かう踏み跡が確認できた。1m程の雪の上に約5cmの新雪が積もっており、上手に歩くと旧雪は体重を支えてくれるが、予想が外れるといきなり潜りとても疲れる。雪庇が作られ始め風紋が見られる。マンサクの枝に氷が張り付いている。
9:33三本のダケカンバに着く、一本は枯れている、「清水→」と書かれた看板が登り降りともに見落とすことのないよう両方行に2枚釘で打ちつけられている。清水は右手の小沢に降るのだが、小沢は一面雪に覆われている。
9:44小さな雪庇を乗り越して「疣岩分岐」と書かれた標柱に出る。振り返ると磐梯山頂は雲に隠れているものの、猪苗代湖と会津盆地が高感度カメラで撮影した夜景のように輝いている。この先は、わい化したブナとダケカンバが同じ様な樹形となり、手首から先だけが雪の上に出て私を招き入れようとしている。大日岳と御西岳が見えた。雪稜を覆う青い空が、見上げるほどに青さを増して、ついには群青となって頭上にのしかかる。風が雪の粉を走らせ、波になり龍のように舞い上がる、杖を持つ素手が痛い。先行者のトレースは跡形もないが、時折踏み抜くことでそれと知れる。
10:05〜15、疣岩山頂には標識も何もない、無雪期でも三角点か一つあるだけだ。展望は申し分ない、三国岳・七森・種蒔山・草履塚・飯豊山・駒形山・御西岳・大日岳・牛首山と峰々の名を挙げてみる。雪庇を風よけにしてレーズンパンを幾つかほうばる。ここから帰ろうか、三国岳まで足を延ばそうか、瞬間迷うところだ。天気は崩れそうもないし、剣ケ峰の様子を見てみたい、なによりもラーメンを食べたい。
疣岩山から一歩一歩帰りのことを考慮して小刻みにトレースを大切にしながら降る。概ねくるぶしが隠れる程度の抜かりぐあいである。最低鞍部からウインドクラスした雪面となり、11:51にダケカンバの純林の上端にある「大白布道分岐」と書かれた標柱につく。ここから望む剣ケ峰はナイフリッジになっており、かなり厳しい感じである。
11:05〜11:36、梯子を登り二階の窓から三国小屋の中に入る。遭難者調査のため通過者カードを回収し、昨日コンビニで買ったおにぎりをラーメンにいれて食べる。
帰途は、登りと下りは歩幅が異なるので自然に大股になりつつ自分のトレースを辿る。大日岳の山頂には何故かいつも雲がかかりやすい。雲の切れ間を見てカメラのシャッターを切る。さほどの風は感じないのに、すでにトレースが消えかかっている、やはり冬の山は油断ができない。11:22疣岩山、獅子沼分岐でコースはまっすぐの尾根から外れて左にトラバースとなるが、目印は何もなく足跡も全く消えていた、晴れていなければ疣岩山からそのまま巻岩山に尾根づたいに降るのがよいだろう。
12:35疣岩山分岐、雪庇に注意して巻岩山に向かう。登りになると北西側斜面にコースを取る。太陽が当たる角度と斜面の角度がほぼ平行になっているため、潅木の影が長々と伸び雪もクラストしている。
マンサクの新芽はちょろりとしていて面白い。ミズキは枝の先が赤い、小正月に団子差しをする木なので、この時期の方が親しみがある。鷲の爪のように黒く鋭く曲がった芽があった、ナナカマドである。葉は全て落ちて実だけが残っている、実にはだいだい色のものた鮮やかな赤色の二種類がある。しわしわの実の先端に黒い目玉がある。雪面に近いものは濡れており、光の反射が白い目玉となって鮭のイクラを思わせる。桜の幹はウワミズザクラだろう、オクチョウジザクラにしては幹が太いし、オオヤマザクラにしては潅木的だ。
13:08巻岩山、大日岳の角度が変わり牛首山の山ひだが立体写真のように迫ってくる。ここから一気に降る。左に出ている大きな尾根のふたつめが目指す八ツ小屋尾根である。降り始めると3m程の潅木の間に切り開かれた空間が伸びており、夏道と分かる。雪が腐ってきた、足元から転がり始めた雪玉が俵雪となって落ちていく。膝まで抜かったと思うと突然大腿部まで潜る。凹凸のある尾根道を不均質の雪
が覆っているので手に負えない。1340m付近から時折夏道が露出し始める。クラストした雪面に紫陽花に似たセピア色のノリウツギの花が落ちている。小ピークを越えるとブナの大木が出てくる。
13:56〜14:05、尾根の南側の窪地に「上ノ越」と書かれた標柱が立っている。夏道とは関係なく歩いているので、始めての登山者は見落とすことが多いだろう。ここから記憶と感を頼りに南西に降る。道を伐開したときの山刀目を探しながら、大きなトラバースとなる。
1060mにて誰かの足跡が行く手を横切っている。今回はまだ誰とも出会っていない。が、どうも様子がおかしい、近づいて良くみると、爪痕がはっきりとしている、熊である、しかも新しい、右手から来てすぐ左手脇の多少枯れかかったホウの大木で消えている。とにかく早くこの場を離れることとするが、膝下のラッセルで気ばかり焦るが進まない。どうもこの熊はこの周辺をうろうろしているらしい。何度も足跡が交錯している。
990mでようやく本物の人間の足跡に出会う。940mで雪はなくなり、尾根を降りきり小沢で喉を潤し、15:11駐車場に到着した。
1995年11月18日井上邦彦調査