登山者情報264号

飯豊連峰:{権内尾根〜大熊尾根/1996年11月23〜24日/井上邦彦吉田岳調査}

予定より30分遅れて05:30自宅発下関のコンビニで朝食と昼食を買う.大石ダムの駐車場に吉田君の車を止めて東俣林道に入る.左から林道を合わせ約600M入ると植物園に下る分岐があり、その先の遮断機は冬支度がなされ解放されていた.そのまま林道を進む.林道は東俣第一橋の袂まで延長されて、橋は第二橋と同様の鉄骨橋に生まれ変わっており、5台程度の駐車場ができていた.ダムから此処まで車の走行距離は8.2Kmをさしていた.登山者が一人出発の準備をしていた.本流の水を水筒に汲んで7:02出発する.
河岸段丘のブナ林から尾根を登ると三吉ノ峰と書かれた菱型の標識がある.登山道は此処から右手の急な斜面をへつって本流右岸のブナ林に入る.7:30東俣第二橋を渡り、幾度かジグザグを繰り返し尾根上に出る.ヒメコマツの痩せた尾根を登っていく.小雨であるが合羽を着るほどではない.標高600mにはロープが設置されていた.朝食を取り、標高630mヘリコプターで移動するための吊り具がついた雨量計を過ぎると雪が出てきたので、ズックからプラスチックブーツに履き替える.780mの僅かな突起を越えたいくばくかのブナ林の中に水場と書いた小さな標識がある.此処の水場は当てにならない.
9:20カモス頭にはブナ林の中に白い標識がつけられている、積雪20CM位.坪足のラッセルを繰り返しているうちにいつの間にか楓の峰は通り過ぎて、9:57権内の峰の白い標識のピークに出る積雪40cm.片側を氷で覆われた枝の群が手ぶれ写真のように二重三重に見える.新津から来たという単独行の方と先行後行を繰り返す.小雨はいつの間にか塵のような雪に変わり全く苦にならなくなった.11:25千本峰の白い標識を過ぎてから昼食を取る.やがて道形は跡形もなく消え失せて膝を越えるラッセルとなる.森林限界を越え、背の低い灌木地帯に入ると雪はクラストし幽玄な黄泉の国に迷い込んだような色彩の失われた世界となる.雲が切れ始め日本海が見えてきた、海老の尻尾で包まれた灌木の冬芽を吉田君と検索する.

13:00前杁差岳の標識が雪の上に頭を出していた.ここから左手は東俣川へ落ち込んでおり、鞍部はナイフになっているが特に問題はない.カメラを出して先を行く吉田君を写しながら大きな斜面を直登し長者平に出る.長者平は一面の雪原である.下降時に吹雪かれたならルート選択に迷うであろう.あとは緩やかな稜線を山頂に向かう.這松の出ている所は踏み抜きが多いので風下側にルートを取る.杁差岳山頂で吉田君は標識に張り付いた氷を削り落とし写真に収まった.山頂は殆ど雪が吹き飛ばされ小さな祠も露出していた.二王子岳の後ろに新潟東港から海岸が北に伸びており、正面には飯豊山も姿を見せ始めた.

小屋に入るのがもったいなくて暫く二人で時を過ごす.積雪はないが一面海老の尻尾で覆われており、白砂糖で作られたお菓子の家のようであった.予想どおり正面の戸は凍りついており開かない.二階の冬期出入り口から入ろうとするのだが、梯子の一段目が高すぎて荷物を担いだままではなかなかうまく上れない.苦労してよじ登り、今夜の宿を二階に決めた.雪を溶かしてささやかな二人だけの宴が始まった.無線のスイッチを入れると蔵王のGZKが応えてくれた.単独の方は一階に居を構えて、必死に凍てついた夏期入り口の扉を溶かしている.程良くアルコールが疲れた身体に回った頃、突然一人の女性が二階に上がってきた.聞けば今年の暮れから正月にかけて単独で入山するための荷上げだという.都岳連の遭対に関わっている佐藤真理子さんという思いも寄らなかったゲストを迎えて、彼女の持参したワインで飯豊の夜は更けた.
翌朝、意気投合した三人で大熊尾根を下山することとなった.6:30アイゼンをつけピッケルを手に分岐を確認し、微かな道を辿って下り始める.途中まで下ったものの新六ノ池の在処がわからない.あれやこれやと考えていったん登り返してみることとした.佐藤さんは両手で雪を円柱状に掘り弱層テストを始めた.まるで本番ねと言いながら喜々として高度計、磁石、地形図でルートを探している.単独行は確かに淋しくて人恋しくてとても恐ろしい、恐いからこそ時間がかかっても自分の身体で確かめていく.パーテイの場合、迷っていても人の同意が得られるとすうっと入って行ってしまうことがある.単独行だからこそ躊躇なく撤退もできる.彼女の始めての本格的な冬期単独行に幸多かれと願うと共に大雪の場合の潔い中止を希望する.

灌木に結びつけられた赤布まで戻り地図と磁石を頼りに下ってみると、先ほどと同じ所に出た.霧が僅か薄くなった瞬間右手に大きな尾根が見え、瞬く間に元に戻った.左に寄りすぎていると判断し登り返しながらトラバースを試みたが急斜面にぶつかり、もう一度下ってきたトレースを登り返す.小屋まで戻り、高度計をしっかり合わせて先導する吉田君の方角を10m毎にチェックして下る.結果は先ほどと全く同じであった.腹をくくってこのまま下ってみようとした途端、佐藤さんの歓声が響いた.見る間に霧が晴れ一面に日本海が広がってきた.我々は雪原と化した新六ノ池に立っていた.右手の大きな尾根は一ノ峰である.緊張感が一気に融け、お互い顔を見合わせると笑いが込み上げてきた.
二ノ峰を越え、一ノ峰は飯豊では珍しい鋭いナイフリッジになっている.一足一足慎重にトラバースする.先行する私の手元から音もなくリッジの先端が刃が欠けたように向こう斜面に落下していった.慌てて急斜面にしがみつくようにピッケルを雪面に深く突き刺す.伸縮ストックにピッケルのピックを特注で取り付けたと自慢げに話していた佐藤さんは、ピッケルでなかったことをぼやいている.吉田君が熊がいるといいだした.教えられるままに目を向けると確かに沢を隔てて大きな熊が雪崩の出そうなひどの中程で四つ足を踏ん張って顔をこちらに向けている.望遠レンズを持ってくるんだったと悔やんだが、なによりこの急斜面では三脚を立てるどころかザックを降ろすこともできない.熊はゆっくりゆっくりと振り向きつつ藪の中に姿を消した.

なおも高度を下げていくと、広くなった尾根上はウサギを始めとする小動物たちの足跡で埋められている.陽は暖かく早春のようだ.合羽を脱ぎアイゼンを外しワカンを履く.タムシバの花芽を見つけた.今春はマンサクもタムシバも全くといってよいほど咲かなかった.来春はまたあの柔らかんな香りに包まれたいものである.登山道脇の一杯清水は、その部分だけ雪が融けていた.ヒメコマツの痩せ尾根に入る.雪はなくなりワカンを外す.ブナ林となり二本の丸太で作られた橋を渡り、11:00青い屋根の大熊小屋につく.1時間ほどゆっくり腹ごしらえをして、私と吉田君はズックに履き替える.
ここからはとても素敵な晩秋のブナ林を抜け、崖をへづり、幾度となく沢を渡る.セガイ沢を始めとする沢はいつもなら飛び石伝いに簡単に渡ることができるのだが、今回は増水している.始めはジャンプを繰り返していたが、いつの間にか皆平気でばしゃばしゃと沢を漕いでいた.このコースはうんざりするほどに長い、登っては下り下っては登り、どこまで行っても山の中である.飯豊連峰のアプローチはどこも車道ができ便利で楽にはなったが、その分何か大事なものを失ってしまったような気がする.このコースは飯豊に残された最後の昔ながらの登山道である.
15:05滝倉橋でザックを降ろす、鳥の声が聞こえてきた.トンネルのスイッチを入れると照明が10分間点灯する.トンネルの中には大したもん蛇まつりで使われる藁製の大蛇が吊り下げられている.大石ダムを渡る、前杁差岳に連なる権内尾根を仰ぐと、飯豊の深さに感慨深いものがある.15:21ダム駐車場着、吉田君の車に乗り東俣の車を回収する.こうして好天に恵まれた初冬の飯豊は終了した.
感想:最近の中高年登山者の欠点を並べ立てる私に、佐藤さんは、そのような会やメンバーがいることを肯定した上で、まじめに自分達の技術を磨き山行を作り上げている素敵なグループもいることを力説する.なるほど、ともするとトラブルを起こしたパーテイを登山者の代表のようにみてはいけないと反省する.帰宅すると米沢OnTheWey遠藤君から吾妻ぐるっとお掃除隊の報告書と、御西の会の飯田さんから集会報告書が届いていた.山を愛し山を敬い山岳ボランテアを実践している人達がいる.山はとても美しくお茶目で時に維持悪く残酷でとても優しい精霊達が棲んでおり、何よりも山の仲間達がいる.山に登りに行くと言うよりも山に会いに行く、そんな人々を思うととても嬉しくなって来た.