登山者情報346号

【1998年06月06日/石転ビ沢遭難/井上邦彦調査】
朝日連峰山開きに集まった沢山の人で、五味沢のりふれ周辺は賑っていた。露天風呂で一汗流し付近を散策していると、
「すぐ小国警察署に電話するよう伝言があった」とLFDが呼びにきた。
受話器からGPNの声「石転ビ沢中ノ島で滑落事故発生、直ちに救出に向かうので手配して欲しい」、その場でLFD・HZU(筆
者)・吉田岳の3名を山開きメンバーから出すことに決めた。受付にいた山岳会メンバーに事情を説明、3名は各自の車
で出発した。私は自宅で登攀用具箱を車に積み込み、小国署で状況を確認し署長と協議の結果、今晩中に人力による救
出を行うこととした。
与えられたデータによれば、遭難者は47才体重50Kgの女性、右足脛部骨折、自パーテイ2名と通りかかった2名パーテイ
が付き添っているとのことである。携行する装備品を指示する。夜間の作業においては、荷物をぎりぎりまで削ること
がポイントである。
天候は曇り、飯豊山は中腹まで雲に覆われている。夜間の石転ビ沢はルート選択が極めて難しい。さらにガスっていれ
ば視界は4m程度まで落ちる。雪渓上と夏道では搬送に要する時間・体力ともに数倍違う。今年は異常に雪が少ない。
雪渓をぎりぎりまで使い切れるかどうかが重要な意味を持っている。暗くなるまでの僅かな時間が惜しい。
歩き始めたら食事をしている暇はない、渡された固いパンを胃袋に押し込む。赤色回転灯を点滅させサイレンを鳴らし、
私達を乗せたワゴン車が速度を上げる。横向きのシートに座っていたLFDが、気持ち悪いと中間の席に移ってきた。減速
し左側に寄った車でも、カーブの連続する道での追い越しは慎重にならざるを得ない。緊急車への道の譲り方を考えさ
せられた。
湯沢のゲート前に1台の乗用車が駐車されてあり、思わず冷や汗を流す。これまで何度かゲートを開けることが出来ず、
大騒ぎになったことがあるのだ。今回は何とかゲートを開けることが出来た。
終点の砂防ダムで隊を編成する。一次隊はHZU・GPN・吉田の3名、役目は最小限の装備でひたすら登り、一刻も早く現場
を確認し、下山体制を整えることである。二次隊はLFD・KRS・武内・二瓶・高山・阿部の6名、役目は下ってくる一次隊
と合流し支援することである。
17:04、無線の周波数を確認し、軽登山靴の吉田・運動靴のGPN・スパイク地下足袋のHZUが砂防ダムを出発した。17:17、
うまい水通過、あまり飛ばすと後が心配なので、はやる気持ちを押さえて速度をセーブする。17:25、地竹原通過。17:3
2、梶川出合通過、出合直前のへつりには雪が残っているが、徒渉部分はすっかり消えている。大岩を回り込んで雪塊に
ピッケルを打ち込んで攀じ上がる。後ろを見ると吉田さんだけがしっかりとついて来ている。副木とレスキュウハーネ
スは吉田さんが担いでいるので、彼にはどうしても頑張ってもらわなくてはならない。
赤滝手前から雪渓に入る。人を案内してきたのなら、迷わず夏道を行くだろうが、とにかく雪渓の限界を探らなくては
ならない。陥没した雪渓の弱点を縫うようにルートを探るが、どうしても急斜面のトラバースとなる。吉田さんがピッ
ケルを抜いた。
17:53、石転ビノ出合着。水場に立ち寄りお握りを流し込む。多少遅れてGPNが到着。登山靴に履き替えるというGPNを置
いて、18:00出発。次第に暗くなっていく。北股沢出合から上はガスっている。下ばかり見て歩いていると斜面が急にな
りすぎる、時折ルートを訂正しながら足を小刻みに動かす。「これだけ硬いと滑落するはずだな」と吉田さんがつぶや
く。スパイクが凍り始めた雪面に小気味良い。
無線機からGZKの声が飛び込んできた。LFDがこの周波数を連絡したらしい。「5.08(MHZ)で遭難現場と小国署が交信して
いる。そちらにアップして欲しい」とGZK。「こちらは行動中のため変更できない、4.98(MHZ)まで下がるようみんなに
連絡して欲しい」と私。障害物のない雪渓に出たのでアンテナを最大に伸ばし、周波数をロックした無線機をザックの
サイドに入れてマイクだけを胸ポケットに入れて行動しているのだ。ザックをおろす時間がもったいない。
18:30、ホン石転ビ沢出合通過。現場にいるのはWNN熊坂さんと知れた。負傷しているのは看護婦で右足首の上の部位が
骨折している、他には特に顕著な負傷はないとのことである。到着予定時刻を、19:00から19:30のあいだと伝える。
「腹部をやられていなければ予定どおりにレスキュウーハーネスで背負えるかな、しかし看護婦が折れていると判断し
た脛部の骨折であれば膝関節の固定が必要になる、持参した副木で間に合うだろうか、若干やっかいだな」これから控
えている応急処置が頭の中で駆け巡る。マイクに向かう息遣いが荒くなる、吉田さんも必死で黙々と登っている。
マイクから無変調の音が流れた、妨害電波である。救助作業をしていると必ずといってよいほど入って来る。おそらく
何時もの局長だろう。
18:53、北股沢出合通過、とたんに雪が柔らかくなり、スパイクが効かなくなる。僅かに雪面に食い込む地下足袋の縁を
頼りに登る。濡れ始めた地下足袋の冷たさが素足に痛みとなってきた。ポケットから呼び子を出して2度吹いてみるが反
応はない。
頭上のガスの中にぼうっと黒いものが浮いてきた、目指す中ノ島である。再び呼び子を吹く、オーイという返事が聞こ
えた。吉田さんが遅れ始めた。私も数度立ち止まって呼吸を整える。中ノ島に光が見えた。無線機から「テントの中を
照らして負傷者の容体を確かめた」と報告がくる。ようやく中ノ島末端に取り付き、浮き石だらけの登山道を、落石を
起こさぬよう慎重に現場に近づく。
19:09、現場に到着。熊坂さんに挨拶し、さっそく負傷者のいるテントを覗き込む。ザックからヘッドランプを取り出し
状況を観察する。彼女は思ったより元気だが、やたらに寒がっている。
聞けば、滑落してストックで止めようとしたがかなわず、身体が二転三転し中ノ島の水場に足から突っ込んで停止、水
が体にかかるのだが動けない。たまたま通りかかった熊坂さん達に中ノ島まで引き上げてもらい、彼らのテントにいれ
てもらい、セーターや合羽を着込みホッカイロで暖めているとのことである。
あちこちに擦過傷はあるらしいが、当面の大事とはなっていない。肝心の右足は軽登山靴を履いたまま、枯れ枝が粘着
テープで縛り付けられていた。赤いズボンなのでよくは見えないが、本人の話によると、仮に出血をしていたとしても
大したことはなく既に止まっているとのことである。右足の親指はかろうじて動かせるという。持ち上げようとすると
激しく苦痛を訴える。登山靴や衣類はそのままにして固定することとした。
わずかに遅れて到着した吉田さんのザックから副木と包帯を出し、ナイフでテープを切り枯れ枝を取り去り、副木の先
端を曲げて靴当てとし(これがないと搬送中に副木が動いてしまう)形を整え、何とか膝ぎりぎりでカバーできた。負
傷個所を外して包帯で固定し、最後に私物缶のビニールテープで靴部分を補強した。お握りを食べ終えた吉田さんにレ
スキューハーネスの装着を頼み、私もお握りを頬張り、登山靴に履き替えアイゼンを付ける。ハーネスを点検し手直し
をしていると、GPNが到着した。
同じパーテイの男性2名はピッケルなし、軽アイゼンが一組あるだけで、自力の下降は出来ないという。正直、あまり
の無謀な登山に不愉快になるが、先ずは下山することが先決である。吉田さんとGPNに2名のサポートと私のザックを頼
む。熊坂さん達はこのままここにビバークしたいという、しっかりしたパーテイの様子なので、この時期の中ノ島は北
股岳から発生した落石が尾根上を越えることもあることを説明し、判断は本人に任せることにした。
19:46、負傷者を背負って下り始める。雪渓に出た途端、アイゼンの爪が効かない!やむを得ずキックステップの要領で
下る。負傷している右足が雪面に触れないように右足を谷足にしての蟹歩きとなる。同じ格好を続けていると右足腿が
引きつりそうだが、急斜面では仕方がない。一度バランスを崩しかけたがピッケルのピックを雪面に突き刺して事無き
を得た。ショックはあったようだが、幸い負傷している右足は雪面に触れなかったようだ。
20:00、北股沢出合で、光の点が「コップがあれば水がのめるぞ」と声を掛けてきた、LFDである。もう清水が出ている
というのである。しかし、余分なものは全て削ってきたのだからコップなどあろうはずがない。それはLFDも同じこと、
水を諦める。
程なくKRS・武内・二瓶さんが合流、両側から彼女を抱えてもらいLFDと交替する。気がつくと目の下は雲海となってい
る。もちろん頭上も一面雲で覆われている。雲に挟まれここだけが空間として広がっている。
雲海に突入していくと、見る間に視界が閉ざされていく。LFDの足元を皆のヘッドランプで照らす。交替を重ねながらジ
グザグに高度を下げていく。突如、彼女の悲鳴が谷底に反響した、背負い手がアイゼンの爪を引っかけてバランスを崩
したのだ、慌てて駆け寄って二人を抱え上げる。
視界はぼんやりとしてどこを歩いているのか見当がつかない。おそらくホン石転ビ沢出合付近と思うが、第三次隊の横
山隆蔵・舟山真人さんが到着。2名ともスパイク長靴にナメ棒というマタギ姿である。彼らにはさらに登ってGPN・吉田
さんと交替してもらうこととする。
なおも下って行くと藤田栄一・伊藤良一さんも到着、2名にも上に向かい強力メンバーを降ろしてくれるよう頼む。だが、
いくらしてもGPNや吉田さんは追いついてこない。無線でしつこく確認すると、負傷者パーテイの1名が、彼女の滑落の
際に止めようとして飛ばされ膝を打っており、自力で歩けないためロープで背負っているという。何ということだ!
雪渓の傾斜が緩くなってきた。石転ビノ出合手前で雪渓はズタズタになっている筈、先行しルートを指示する。夏道の
先端で高山・阿部さんが待機していた。アイゼンを外し背負いを交替する。
大岩の手前から右折し、踏み跡を辿る。角の立った石の累々としたルートに、右足が触れないよう気を使う。負傷者が
吐き気を訴えたためやむなく小休止。水場を渡り再び雪渓に出る。
いよいよこの下は赤滝である。ルート確認のためLFDを探すがどこにもいない、無線も通じない。やむなく全員のライト
を消してもらい、かろうじて判別される山際と空のスカイラインから現在位置を割り出し、記憶と照合してルートを決
める。
KRSに先行してもらい、右岸沿いで滝の音がする直前で停止、アイゼンを着けているKRSと交替し、私は一人先行してル
ートを探る。崩壊直前の著しく傾いた雪渓で、左岸すれすれのルートを選ぶ。一つ一つ覗き込んで雪渓の厚さを確認し、
ラインを指示する。
ようやく難所を過ぎた頃、LFDから無線が入る。私達が大岩の近くで休んでいる間に、吉田君さんと二人で闇に紛れて追
い抜いてしまい、現在は梶川出合にいるとのこと、至急戻ってくれるように伝える。
平坦な雪渓に気が緩んだのか、上陸ポイントを通り過ぎてしまい、慌てて担いだまま登り返し夏道に上がる。先行して
いるKRS達はそのまま強引に下ったようだ。確保なしで固定ロープを頼りに後ろ向きになって下る。足元では夜の梅花皮
沢奔流が轟々と逆巻いている。私もしんどいが背負われている彼女もさぞ生きた心地がしなかったことだろう。
大岩の間のルートは、何時もなら飛び跳ねて通り過ぎる所であるが、今夜はそうは行かない。一つ一つ足場を確認しゆ
っくりとした体重移動を心掛ける。それでもやはりジャンプが必要、着地する都度に背中で声にならない呻き声が聞こ
える。可哀相だがどうしようもない。
ようやくLFD・KRS・吉田・高山・阿部と合流し、ほっとしたところで苦痛を訴える負傷者を降ろし、休憩を取る。
上部ではロープと棒だけで、男性1名を交替で背負っているらしい、盛んに第4次隊を編成し至急レスキューハーネスを
届けてくれるように要請を繰り返している。GPNや隆蔵・真人さん達のぼやきが聞こえてきそうだ。こちらは一応フルメ
ンバーが揃った訳で、ローテーションを組みながら確実に下って行く。
そろそろ隊員の疲労もピークに達し始めたが、上のことを考えればわがままは言えない。ツブテ石を通過した時点で救
急車の手配を要請したところ、既に車道終点に到着しているとのこと。あと少しの頑張りである、力が入る。
ブナ林に入る直前で第4次隊の藤田繁明・横山孝蔵さんに会う。レスキューハーネスを背負ってきたとのこと、情報を
確認して別れる。川沿いの下手がぼうと明るくなっている、救急車のライトだろう。
23:21、よやく砂防ダムに到着。彼女を救急車に引き渡し、隊員同士で顔を見合わせる。「行くか?」「行くべ」「おま
えは?」「行くよ」、LFD・KRS・吉田・HZUは、ザックを警察のワゴン車に放り込み、パンをポケットに捻じり込み、23:
30、出発。
空身のなんと楽なこと、走るように足が進む。24:01地竹沢で上の隊と合流。さっそく交替で担がせてもらうが、重い!
彼女とは10Kg以上の差があるだろう。さらに山側の左膝を痛めているため、急斜面のトラバースではどうしても岩に触
れてしまう。
小玉川マタギの精鋭、隆蔵・真人さんが担ぐ、岩を掴んでふんばる足がプルプル震えているのが分かる。1931年生まれ
の栄一さんが、自分よりはるかに大きい彼を引きずるようにして担ぐ、総力戦である。皆、体力の限界近くまで疲れ切
っている筈なのだが、暗さは感じられない。やはり「生還」させることが出来る、救助隊にとってこれほど嬉しいこと
はないのだ。24:58、ついに砂防ダムに到着する。

関連:小国警察署第15号