登山者情報373号

【1998年09月13日/石転ビ沢〜ダイグラ尾根/木内茂雄調査】

メンバー 
 横沢氏、木内
タイム
 (9/13)飯豊山荘5:15〜6:20ウマイ水清水〜梶川出合〜7:30石転び出合7:40〜11:20梅花皮小屋
 (9/14)小屋6:05〜7:45御手洗の池〜9:25御西小屋9:40〜10:45大日岳11:20〜12:00文平の池12:20〜12:55御西小屋 14:20〜15:40本山小屋
 (9/15)本山小屋7:15〜9:15宝珠山−10:37千本峰10:47〜11:25三等三角点〜12:15水場標識−13:15吊橋〜飯豊山荘14:00 

記  録
(9/13)
今日から3日間の週間天気予報は概ね晴だ15日がいくらか崩れるかも知れない横沢氏と山荘前のゲートで5時に待合せて出発した相変わらずの砂利道を20分ばかり歩き、砂防ダムに着いた階段を登り堤の上に出て見ると、釣人が3人居て、2人は水の少ないダムの湖底に降りて糸をたらしていた我々はそのまま歩き続け、ウマイ水清水まで一ピッチで着いた1回目の朝食をとった今山行での花は余り期待して来なかったが、矢張り駄目であったあったのはアキギリ、小さい紫の花を一杯付けたアキチョウジだと思われるもの、トリカブトの一種のオチクラブシ?、サラシナショウマだけであった
さて、天気は秋晴の澄みきった青空でとても清々しいそして、石転び沢の上を稜線迄目で追うと、新旧の梅花皮小屋がクッキリと見えた(温身平から)。そして、沢には雪は無く、ガレ場を石伝いにステップをとって登った一時間も登った頃、昨日高貝氏とダイグラ尾根を登り、梅花皮小屋に泊まって降りて来た、高橋氏に会った鼻の頭を赤くして(酒焼けか、日焼けか?)そして疲れている足取りに見えた昨日のダイグラが堪えたのか、昨夜の酒が利いたのか、後で聞いたところ、今朝は全く飲まなかったとのこと、何処か体が悪いのではないのかと気になったと思いながら“天気が良いのはそのせいだろうか”なんて冗談も考えたそれから、彼と別れ又、限りないガレ場を登りだした細かい石とか、砂の上は不安定なので、大きめの安定した石を探しながら登っていると、昔の岩登りの感覚が足の裏に伝わり懐かしく、また楽しい。
気温は少し高く、横沢氏は結構汗をかいた様だ殆ど沢の本流沿いに歩いているので、黒滝まで水に不自由はしないザックの上には鰹の刺身が一匹分が付いているそれが食べられる事を期待してそして、小屋に居る関氏にビールを冷しておいてくれる様、頼み、他の事は考えず、唯、ひたすら最後の一ピッチを頑張った。小屋直下のテント場に着いて、新しい小屋を見ると、まだ鉄骨組の状態だが、古い小屋より三周りも大きく見えた。
黒滝から何とか一ピッチで到着した。早速、横沢氏とビールで乾杯したのは言うまでもない天気は相変わらず良く、腹も一段落したところで、横沢氏は小屋の外で昼寝を決め込んだ。小屋に戻り、周囲を挑めたが花は皆終わりで、狂い咲きしたハクサンイチゲ、ミヤマキンバイ、チシマギキョウが一つか二つ、そして、もう終わりのイワインチン、トリカブトがちらほら見掛けるだけだった。
3時頃だったろうか、湯ノ平方面に下って舞茸を取りに行った、高貝氏が何も持たずに帰ってきた。その後何をしたか定かでないが、何時頃からか鰹の刺身を肴にして、横沢氏、高貝氏、関氏、私の4人で一杯になっていた。登山客は満員という程ではなかったので、一階でコタツを台にしてユツクリ宴会ができた。                              
横沢氏の話では、最初に少しビールを飲んで、それからボトルー本、清一升、更にウイスキー少々が四人の腹に入ったとのことであった。それでも夜8時前には四人コタツに足を突っ込んで寝た。関氏がコタツに行火を入れてくれたので寒くはなかった。もっとも外気もそんなに冷えてはいなかった。
(9ノ14)
今日は大日岳に行き、それから御西小屋の管理人をすることで出発した。昨夜のうちに、横沢氏が川崎から来た3人の男女パーティと、同行する打合せになっていた人達も一緒であった。そして烏帽子岳辺りから新潟より来た、丸田氏が、いつの間にか、何んとなく、行動が同じになり総勢6人となっていた。
天気は今日も快晴、振り返って見ると、梅花皮小屋には工事の資材運鞭のヘリコプターが音をたてて、頻繁に行き来しているのが見えた。辺りにはまず、花はなく、紅葉には今少し早く、中途半端な時期であった。御手洗の池に行く途中だったろうか、狂い咲きとは言いながらミヤマキンポウゲの結構なお花畑を見ることが出来たのは、幸いであった。

池の周りも、まだ紅葉には10月位早い様子であった。天狗の庭の登りの正規の登山道は、以前より雨でえぐられて、背丈以上の窪地になってしまっているため、昨年より右側の這松と笹薮に新しく道が切ってあった。昨年は歩きずらくて、登山客から不評であったが2年目ともなると、大分歩き易くなっていた。

その頃、御西岳と大日岳方面は少し霧がかかり、見え隠れしていたが我々着く頃は晴れるだろう!そんな気象状況だったので、いつの間にか目の前に、忽然と御西小屋が現われたという感じで小屋に到着した。預かってきた鍵で管理人室の戸を開けたが、高橋氏が言っていた様に体を横にして入れる位しか開かなかった
荷物を置き、サブザックで大日岳へと向かった頂上辺りは相変わらず霧が行き交っていて見え隠れする状況であった最初、小屋より少し下るとチンゲルマの群生地があり、名前の如く種が推児車の様に沢山、風に揺れていた他にアカモノの狂い咲きを何処かで見た。このコースも6人の混成パーティで行動したこの辺りの“何とか楓”は一部紅葉が綺鹿であった。
頂上に着いた時は快晴で、西大日岳も目の前に見えたし、梅花皮小屋に資材を運んでいるヘリコプターまで、肉眼で見えた。牛首方面に数メーター降りるとシャクナゲが群生していた春には見事な花を見ることが出来るだろう。
                  
帰路、混成パーティは解散して各々挨拶して別れた私は下山途中、文池の池で横沢氏に先行してもらい、池に写る大日岳を撮るため登山道を左に外れ、池の畔で少しの間待機した。その間、梅花皮小屋の関氏より“頂上は晴れているよ!”と、無線で連絡してきたが、この辺りは霧が切れそうでなかなか切れない20分も粘ってみたが駄目であった。
諦めて御西小屋へと引き返すため、池より登山道へと20メーター程登り直したそれからも、時々振り返って見たが霧は切れなかった小屋に着いて、泊まる準備にかかったポリタンク、空いているペットボトルをサブザックに入れて、5分位の水場に行き水を確保した水量は梅花皮小屋程では無いが、この時期にしては結構豊富であった。
小屋に戻り、ビールを冷したそして、本山小屋よりこちらへ移動して来るという小椋氏こと“熊さん”を待つこと久しく、‘‘木内さんは居ますか”と、尋ねてきたのはキリスト高校の男子56人であった話を開いてみると、今日、熊さんは来ないとのこと、小屋番は若い衆に任せるから、私に本山小屋まで是非来てくれとの伝言であった。
お互い知っている同志、行けば胃腸に負担がかかる(最近少し胃腸が疲れている)ので、無線で色々理由をつけてこちらに居たい旨話たが、熊さんなかなか引き下がらない、ついに負けて行くことにした。
折角冷したビールを一缶ずつ飲んで、後は若い衆に任せ、横沢氏と出発した私の背中に有るのは小屋に置いてあった一升瓶(実は本山小屋は酒切れらしい)、そして、横沢氏の背中にはビールだけ、という出で立ち相変わらず天気は良く平坦な道をノンビリと歩いた今日は本山に登る必要はないので、玄山道分岐で下道を選んだ。
分岐から少し行った所に豊富な水が流れていたこの時期でも滑れない様だ其の先でも水場があった〔6年位前を思い出す、ダイグラを水を持たずに登り(私は普段行動中水を飲まなかった)バテテ本山頂上にやっと着き、這い松と藪を直接漕いで、実っ直ぐこの水場に飛び込んだのを。そして、其の後の梅花皮小屋までが辛かった事を〕
そんな事を考えながら、一寸油断をして道を外して右に少し下ってしまった晴ているので、稜線は見えるし、左上に小さな沢を登り直して、登山道に戻った下道も結構長く感じた稜線の道に合流する所は、特に標識がないので逆コースをとる時は慎重にしなければならない。
本山小屋に着いた何年振りだろう、飯豊神社がコンクリート製になっていた小屋の一階は、以前、土間でもう少し広かったと思ったが、床が張られ狭くなっていた周り込んで管理人室のガタビシ戸を附けると、熊さんがドンと座っていた周りにはキリストの女高生が3人位居た。
久し振りの再会を喜び、挨拶の後は何が有ったかは言う迄もない飲むのは3人、ビールで喉を潤し、酒一升終わった位の事と、一階で山の歌を歌い、二階に行って又山の歌を歌ったのは記憶に有るが、それから以後はうろ覚え、タバコ臭いシエラフに藩り込み、酔っているせいかチャックが閉まらなかったけれど、そのまま寝たのは覚えている。
(9/15)                              一
朝3時半頃、トイレに行くのを我慢していたら、横に居る横沢氏が“ライトを貸して”というので、貸してはみたが、私も行きたくなっけれど、肝心のライトがない、どうしよう、と思っていると、今度は熊さんがガサゴソ始まった。ライターで何かを探していたので、その明かりで外に出たトイレのそばに行ってみると、横沢氏が紙が無い、とウロウロしていた二人でその辺の草の葉っぱを取って、各々トイレに入った。

小屋に戻ってみると、熊さんがタバコを吸っていた私が又、寝ようとすると、熊さん日く“俺はもう寝れない”ときたもんだ。横沢氏と私も止むを得ず起きていたが、何もする事がないので傍に有ったビールを熊さんに渡したのが良かったか悪かったれそれが“呼び水”になりいつの間にか酒一升が空になっていた。
その後、7時前に我々二人は食事を済ませ、7時15分頃本山経由ダイグラ尾根を目指した天気はトイレに起きた時、星空であったがトイレを出た時には、星が見えなかったしかし、又、日の出時には良くなり、御来光をカメラに納めた。そして、歩き始めた時も良かった本山頂上よリ360度の景色を見渡せたが、快晴ではなかった。
ダイグラ尾根の途中で、迷い易い個所があるので赤ペンキでハッキリ表示してくれと、頼まれて来た20分位下った所で怪しい場所が有ったので、赤ペンキを付けた。それから、暫く進むと何か踏み後が不鮮明になってきた来年は道の整備をしなければと思いながら前進して行ったならば、何と我々が道を間違えていた。油断をしてしまった幸い晴れていたので、見通しがよく、左下前方に登山道が見えたので、それを目指して草薮をトラバースして軌道修正した。
そんな事をしていたせいか、まだ、そんなに歩いていないのに、前方に見える宝珠山がえらく速くに感じた。気を紛らわすため、辺りの花はと見るが皆終わってしまった名残としてアキノキリンソウ、オヤマリンドウ、ウメバチソウ、狂い咲きのコゴメグサ、そして、紅葉はと探せば、オオカメノ木の赤い実、期待のナナウマドは赤くならず、葉が茶色に丸まっているのがあった異常気象のせいか?更に下がった所ではまともなナナカマドが見られたが、まだ紅葉していない。それから、数個所でツルリンドウの花を見付けたこれはどうも何処の登山道にもあるようだ。
天気は次第に下り坂の様だ熊さんと、キリスト校の生徒達が御西岳とか、梅花皮小屋に向かっている無線連絡を聞いていると、稜線は雨がボツリ、ボツリして来た様だそれから暫くして我々の上にもボツリ、ボツリして来たそして、周りの山も少し雲に隠れ始めたが、大した事は無かった。
天気より我々は唯、ダイグラ尾根特有の登り降りを繰り返すだけであった何年か前にはこの尾根を往復日帰りしたのに、今回は片道、しかも下りなのに何だか長く感じた森林帯を下る様になったら、直径30センチもある舞茸でも取ろうなんて思って来たが、いぎその場所に来ても、横沢氏が−度だけ離れたブナの木まで行っただけ、以後は‘‘あの木では出ないだろう沖と言いながら遠くから挑めて通過するだけであった結局、何一つ収穫は無かった。
長い尾根も吊橋に着いて漸く終わった此処で迷っている人が居たと言うので、少し雨に滞れた岩に2個所赤ペンをスプレーで吹き付けた。
頼まれたこともやった後は、間もなく錬な砂利の車道を歩けば飯豊山荘に着く。
後日談、9月17日に5号台風の風で、本山小屋の屋根のトタンが2枚だか剥がれたとのことであった。