登山者情報376号

【1998年10月03〜04日/大日杉〜ダイグラ尾根/木内茂雄調査】

所要時間
10月03日:大日杉小屋05:25〜05:45ザンゲ坂〜06:12長之助清水06:30〜06:35御田〜07:30滝切合〜08:00地蔵岳08:20〜09:05目洗清水〜09:30御坪10:30〜10:35御沢経由切合小屋分岐10:45〜11:30切合小屋13:00〜13:30草履塚〜13:45姥権現〜13:55御秘所〜14:20御前坂〜14:50テント場〜14:53本山小屋
10月04日:本山小屋09:00〜10:35宝珠山標識〜11:35千本峰〜12:13三等三角点12:30〜13:00水場13:05〜14:00落合吊橋〜14:10車道終点 
記録
山に行く前には週間天気予報を良く聞く。前日の朝には3日全国的に快晴、4日晴れ時々曇りの予報であった。しかし、2日の日中は時々雨風の荒れ模様。夜になり、ダイグラ尾根を降りて来た時のためにために、高橋氏と2台の車で所定の場所に車を置きに行った。私の車を置いて、高橋氏の車に同乗して帰って来たが、往復とも風雨強く、明日は大丈夫だろうか、と二人で心配した。なにしろ一人は雨男ときている。私の家(伊佐領)まで送ってもらい、最悪の場合の打合せをして別れた。夜9睦の天気予報を聞いたが明日は快晴である。10時前に寝て、まず11時過ぎに目が覚めた。障子を開けて空を見ると曇り、又寝る.1時に日が覚めた。空を見る。満天星空、安心して眠ろうとしたが、後はウトウトで熟睡出来なかった。 4時の日覚ましで起きる。支度をして待つ事30分、ディーゼルエンジンの高い音で高橋氏が迎えに来た。直に出発。叶水〜大石沢〜九才峠〜中津川経由で小一時間かかって大日杉小屋前に着いた。夜明けが遅くなっており、この頃漸く明るくなって来た。車は此処で終点、身支度をして直ぐに出発する。このコースは、私にとって始めてであり、以前よりどうしても登りたい一つであった。今シーズンの初めに計画したが、天気悪く中止した曰くつきである。それだけに、期待は大きい。同行の高橋氏は何度も登っているとのことで、地理、地名に詳しい。
大日杉小屋は、駐車場から木の橋を渡ると、直ぐ目の前に立派なものが建っていた。相当の人が入れそうだ。そして、登山道は小屋を左に見ながら登り姶める。辺りはブナの林で、15分も登るとザンゲ坂に着いた。名前からするとかなりの登りかと思っていたが、ほんの5〜6分の坂で大袈裟に鎖を固定してあるが、さほどではない。ステップがしっかり切られているので、上級者には必要ないだろう。ザンゲ坂を登りきると、尾根筋に立った場所となる。この頃、背中に朝日を受けるようになった。花の名残はと見まわしてみると、ネバリノギラン、イワウチワ、ツルリンドウなどが有った. 50分程で長之助清水に着いた。水は左に数分降りた所に有り、微かに水の音が聞こえる.握り飯を一つ食べた後出発する、そして5分で“お田”に着いた。何となく平らなので、この名が付いたのだろうか、それとも天狗が田植えでもしたか…ここには直径1.5〜2メータ−もありそうな杉の大木が、杉として一本だけ立っていた。その根本には“御田三社権現’,・と刻まれた石碑が置かれていた。どういう云われなのか?また、“大日杉”の名はこの杉の大木からなのか?…登山道はなだらかな尾根道で、ブナの木が目立ち、その中にムシカーリ(オオカメノキ)が赤い実を付けている。この間の台風の影響か足元にその赤い実が散らばつている。“滝切合”に着く頃 右の尾根にダケカンバが目立った。お田より一時間程で滝切合に着いた。標識があり。“右鍋越山経て伊佐領”と記されている.国体の後はあまり通っていない様なので道は荒れている様だ。ここからブナは見当らず、低木帯になり、ムシカリの紅葉がきわだってきた。天気は良く、遥か前方には“切合小屋”が見えるようになった。急な登りもなく楽に“地裁岳”に着いた。
地蔵岳頂上は右に数メーター行き、二・三段登った所の平らな場所であった。そして、此処から待望の飯豊本山が程良く見える筈が、霧で八合目辺りまでしか見えなかった.ここにはナナカマドの木が有ったが、台風の影響で葉っぱは全部飛んでしまい、坊主になっていた。道を左に取り、いくらか緩やかな下りがずうっと向こうまで続き、そして、又登り切合小屋へと見通しが効く。高橋氏が“昔ははこの辺りにセンジュガンビが群生していたが、乱掘されてしまったと嘆いた。と、話している時、狂い咲きのセンジュガンビの白い花を見つけた。見回すとまだいくらか有る様だ。その他注意して捜して見ると、ツルリンドウ、ヒヨドリバナ、ウメバチソウ・ミヤマコウゾリナの名残があった。道は、そんなに急でない下りが続き、途中はムシカリの赤い実が日立つが、高度が下がるに従ってブナが現われ出した。40分近く下り、ー番低い場所になるかなと思う頃、“日洗い清水”に着いた。左下数メーターの辺りで水が光っていた。そして、5、6メーター進んだ右手に格好のテント場があった。それから今度は穏やかな登りになり、20分も進むと道の両側にヒメサユリの名残が有った.花の時期にはヒ メサユリ街道になるだろう。更に登り、見通しが良くなり、今度は岳樺の散歩道となる。岳樺の葉っぱが少し落ち、白い木の肌が鮮やかに輝いて素晴らしい景観である。此処が御坪、という地帯である。

岳樺(ダケカンバ)

この辺りで“日向ボッコ”するのは贅沢だろうか?そして、岳樺越しに紅葉を前景して、そそり立つ飯豊本山は見事な眺めで、本山を近くに見ることができる、最高地点ではないだろうか?とにかく、飯豊連峰で一番のんびりしたい場所だろうと思う。私の文章能力ではこのすばらしさを上手く表現出来ない。早速、何枚かカメラに納める。

飯豊山(本山)

そして、何かを祭った祠に、錆びた剣が2本置いてあったので、これを前景にして本山を撮ろうとした。しかし、生憎と頂上に薄い霧がかかっていたので、晴れるのを待ったが結局駄目であった。それから、祠の前に賽銭が置かれていたが、空き缶を賽銭箱にしてあつたのは景観ををすこぶる壊していて、いただけない。何の事は無い、ここで一時間過ごしてしまった。

御坪

この辺り、来年はマツムシソウが咲くだろうと挑めながら“御坪”を後にした。5分で、右、御沢経由切合小屋<これは御沢上部に雪渓が残っている時に可能なコース>、左、夏道の種蒔山経由切合小屋コースである。此処を右に5分も行くと“黒井堰”いう史跡があると、高橋氏が言うので、ザックを置いて見に行った。なだらかに下って行くと数分で何と!大きな沢が直ぐ下に有った.大又沢の上流の御沢であった。沢に降り立って見ると、なるほど高さ約1m、横約60皿位のトンネルが有り直ぐ向こうは砂が結まっている様だ・実際高さはもっと有ったと思う。羽越水害で埋まってしまったとのこと。その傍に“史跡”とか刻まれた小さな石碑があった。或るガイドブックの文章を引用する“別名穴堰といい、寛政の昔米沢藩士黒井半四郎が下流の水不足解消と開田事業のため、前後20年にわたり長さ153mのトンネルを手掘りで飯豊山八合目にぶちぬいたものである”と、記されている.本当に大したものだ、文明の利器も無い時代に如何やって測量したのだろう?

黒井堰(飯豊山の穴堰)

感心しながら分岐まで引返し、又歩き始め。なだらかな登りで、種蒔山近くになると道は右に巻いて行き小さな沢に出た。沢筋を左上種蒔山方面に視線をやると、チングルマの群生が長く伸びていた。花の時期は素晴らしい眺めだろう!さて、途中から判っていたことだが飯豊山の“熊さん”こと小椋氏が山都コースより登って来ており、我々が来ていることもキャッチしていた。“今晩は本山小屋で”という伝言もきていた。そして、花の時期は良いだろうなあと話している時、タイミング良く切合小屋への稜線より熊さんが声を掛けてきた。直ぐ近くに小屋は見えており、我々も間もなく種蒔山からの稜線に合流して右に曲がると小屋は直ぐそこであった。

切合小屋で早速乾杯する小椋・佐藤・高橋(右から)

先着していた熊さんと再会の挨拶と同時に気付薬の話しとなった。まあ、少し位はということになり、少し!だけ飲んでそしてツマミも食べた。その後、熊さんと同行して来た佐藤氏も一緒に4人で歩き出した。天気は相変わらず良く、見通しがきくせいか、本山がグッーと目の前に立ちはだかっている。草履塚を登って行く途中で熊さんが立ち止まった。中腹辺りだったろうか、ここに小さいけれど夏場でも涸れずに湧いている水があると、教えてくれた。斜面の少し右側の草の有る所だが、文章では説明しにくい。大した距離もないピークを登り、下った所が“姥権現”であった.顔が姥で、お地蔵様の形をしたものが鎮座していて、体にはシャツの様なものを着せてある。誰かが言っていた。『シャツの下に手を入れて、胸に触れば女運に恵まれる』とか?もう一説には『昔、飯豊山は女人禁制であったが、或る時一人の女性が、内緒で登ってきたこところ、祟りにあい姥にさこれてしまった』とのこと。ここから10分も登ると“御秘所”といい右側がスパツと切れ落ちた岩場になっているが、短い距離であった.そして、間もなく“御前坂”の標識に着いた。この辺りにマツムシソウがあったと思う。 御前板より頂上を振り仰ぐと本格的な急登となっている。もちろん木はなく石と砂だけの斜面である。そしてこんな所にもオヤマノエンドウがありミヤマキンバイは少しだが狂い咲きしていた。形の良い花を接写でカメラに納める。花を捜しながらの登りであったがこの急登も30分位でテント場に着いた。ここは下から見上げると大きな石垣が見えていたがその影になっている。そして右に少し下ると水場になっている。真っ直見ると本山小屋は目と鼻の先である。ただしこの間は霧が濃いと迷うのではないだろうか。右に寄るようにして登れば迷わないと思う。さて小屋から先着していた熊さんが大声で“早く来いよおビールが無くなるぞお”と叫んで急げと催促してきた。高橋氏と最後の駈け足をする。まだまだ余力はあった。
小屋の前でお日様の光を洛びながらの乾杯は格別なものでありまた小屋の内に入ってからの酒も“感無量"なり‥夕方には先行して御西小屋まで行ってきた松葉氏に初顔合わせした。言うまでもなく夜は楽しい“宴"であった。参考までに先日の二つの台風で小屋の屋根トタンが大きく3枚吹き飛ばされていた。取敢えず一部使用可能であるがこの冬は駄目だろう。
10月4日:夜中風が強く屋根のトタンガバタバタしているのか、目が覚めた。便意あるも小屋に戻り、眠りなおしたが熟睡できず。他の人たちは飲みすぎかよく寝ている。結局最初に起きたのは私であった。朝食をしながら天候に注意をはらった。しかし、少し霧が切れ明るくなったりするがまた霧の中に隠れてしまう。好転する様子もないので、諦めて雨具を着込んで高橋氏と9時に出発した。
相変わらず風が強く気温も低く、そして霧である。風を避けながら15分くらいで本山に着いた。ここからは道を右にとりダイグラ尾根を下り出した。下り20分くらいは右に巻くようにして穏やかに下り、さらに右に巻くように行く道があるが、これは間違い。前回ここで右に行くように赤ペンキで印を付けてしまった。その後に行った高貝氏に訂正を依頼して直してもらった。道はここで左下に今までより急に下る。それから10分も下ると、また右に巻くような道がある。これも間違い。さらに5分くらい下って少し右に巻くようにしてから、また左に下っていく。この辺りで左にまっすぐ下りているガレ場がある。これが霧の時には迷いやすい所なので要注意である。前回ここと勘違いして、先ほどの場所に印を付けてしまった。「この2回右に巻いている道は、左の斜面にある登山道に着雪時、巻いている踏み跡でないだろうか」
さてこの頃より霧が雨に変わってしまった。風も強く視界は20m位だがその中でも鮮やかに紅葉しているものが見える。晴れていればノンビリと眺めて写真を撮るところだがそれどころではない黙々と下る。当初は宝珠山辺りで雨具を脱ごうと思っていたが風雨強くそのまま進んだ。結局雨が止み脱いだのは千本峯近くだった。紅葉もこの辺りから少なくなりまだ一週間は先だろうと思えた。そして写真撮る事も無く滑り易い道を転ばないで降りたので落合の吊檎に降り立ったのは小屋から5時間であった。
今回の山行の収穫は大きかった。まず大日杉コースの素晴らしさである。好天に恵まれたので余計に印象に強く残る。あの御坪周辺のダケカンバの白い肌の木々そしてその中から見る転豊山の雄姿は何か気持ちをほぐしてくれる。何回行っても良い。それから、ダイグラ尾根の下り始めて20分位の所の迷い易い個所をハツキリさせたこと。残念であったのは本山小屋の使用不可の案内が徹底されていないこと。飯豊町の大日杉小屋の前には目に着く様な看板は無かったし小国町の飯豊山荘前は、湯沢のゲート前案内小屋横壁に張り紙はしてあったが目立たない。そして丸森尾根コースには何の案内もない。本山小屋管理の福島県山都町の役場に聞いたところ新潟県山形県の各町村にも既に連格済とのことであったが何処の登山口もこんな状態でないだうか? この冬に遭難騒ぎがなければ良いが…

著者(木内茂雄)