登山者情報396号

【1999年05月04日/遭難事故(石転ビ沢)/井上邦彦調査】

仕事から帰宅すると、警察署から電話があった。遭難事故発生とのことである。早速に小国警察署に出向くと、アマハムで交信中であった。
状況を確認すると、二人パーティが16:30過ぎに石転ビ沢で、スキー滑降中に骨折、無線で救助を求めてきたとの事である。たまたま梅花皮小屋にいた佐藤さん達がスコップを持って現場に出向き、急斜面に横穴を掘り、穴の中に天幕を設営し、負傷者を収容するとのことである。武田会長(救助隊長)・高橋事務長(ODD)もやってきた。穴を掘っているのはODDの指示らしい。署長室でこれまでの情報を整理する。

@遭難パーティは日帰りか、それとも縦走?装備はどの程度か?
→川入からの縦走であり、寝袋等のあり、食糧も充分である。
A正確な位置は何処か?
→具体的には不明であるが、小屋から200m下部、梅花皮岳寄りの斜面である(雪崩の大半
は北股岳側からの発生であり、そこなら安全度は高い)。
B遭難者の様態は悪化していないか?
→骨折時の出血は確認していないが、すくなくとも現在の出血は認められない。マットとストックで左頚骨を固定している(ブラブラ状態とはなっていないようだ)。意識は明瞭で、ショック症状も認められず、様態は安定している。
C登山技術はどの程度か?
→冬山のでのビバークを経験している。
D同行者の負傷等はないか?
→特に問題はなく元気である。
E善意の協力者の安全は確保されているか?
→ビバーク体制に入り次第、梅花皮小屋に引き上げる予定である。
F天候の予測はどうか?
→低気圧が近づいており、暖かい南風が入り雨となってきた。降水確率は、今夜18〜00時(50%)、00〜06時(60%)、06〜12時(40%)、12〜18時(80%)、18〜00時(100%)である。

ここで要点を絞り込む。
@ 雨の石転ビ沢は雪崩の巣である。雪渓の崩壊や転滑落は技術により克服できるが、上から飛んでくる雪崩は運の問題である。特に視界が著しく制限される荒天の夜間においては防ぎようがない。危険性が高すぎるので、夜間出動となれば、梶川尾根から梅花皮小屋経由を検討する必要がある。
A 夜間現場に到着しても、救出作業は明け方を待って行うことになる。ヘリコプターを使う場合も同様である。せっかくビバーク体制に入っているのに、悪い条件で無理に動かすことは、場合によって必ずしも良い結果とはならないこともある。
B ビバーク地点は安全度が高く、症状も安定している。

結論
@ 雪崩の危険性が特に高いホン石転ビ沢出合の下から上部は、04:30以降の行動とし、降水確率の低い午前中に収容作業を終了し引き上げる。
A 一次隊4名で現場から下げる。天候が許せばチャンスを掴み、ヘリコプターで吊り上げを行う。吊り下げ作業は馬力の高い防災ヘリ最上とし、町長から出動を要請する。想定される吊り上げポイントは、遭難現場・北股沢出合・石転ビノ出合であるが、北股沢出合から上部はガスる可能性が高く、石転ビノ出合が有力である。ヘリコプターが使用できない場合は、人力による搬送を行うこととし、二次隊を編成する。
B 一次隊は、01:30警察署発、02:30砂防ダム、03:30石転ビノ出合、06:00遭難現場着とする。二次隊は2時間遅れとする。
早速、飯豊班長藤田栄一氏に出動依頼、中央班の名簿から隊員をピックアップし連絡をとる。(隊員の招集時期が遅いと感じる方もあると思うが、初期の段階でおおよその判断は仮定しており、むしろむやみに騒ぎ立てることにより出動隊員の数を増やし、遭難者の経済的負担を増大させることになってしまうため、今回は上記のような経緯を踏んだ。緊急性が極めて高い場合は、また違った経過を取ることになる)。

準備をPWDに頼み、自宅に帰り晩酌(これがないと眠れない)をしているとPWDから電話がありQVHも一次隊に同行するとのこと。これで一次隊は5名となった。寝坊すると困るので出動ザックに寝袋を入れて警察署に向かう。
01:00過ぎに起こしてもらい、寝ぼけながら準備。ジフィーズにお湯を入れてもらい、消防分署で最上との交信用無線機を借りて出発する。
02:35ヘッドランプを点けて温身平を出発。前回と比べて驚くほど雪が消えている。PWD・遠藤・山口が先行、PWDを除き登山靴なのでそれ程の速度は望めない。HZU(筆者)・QVHはやや遅れ気味。今回は夜間の雪渓なので、隊を分裂させない約束である。5月1日LFD(登山者情報393号)データを参考にしながらルートを選ぶ。雪渓の上は、むしろライトを消したほうが判断しやすい。
04:04〜22、石転ビノ出合で腹ごしらえをする。PWDはここで地下足袋からプラスチックブーツに履き替える。LFDのデータにはなかったまだブロックの形が崩れていない新しい茶色の大きな雪崩跡が雪渓を埋めている。
天候は小雨、合羽を着ての行動なので動きがぎこちない。予想どおり北股沢出合の上部から上はガスっている。それでもこれくらいなら最上は可能かもしれないと期待を膨らませる。
雪崩跡を縫うようにして、05:16ホン石転ビ沢出合通過。まだ若い遠藤・山口に、ブロック雪崩の発生予想個所・落下する予想コース・逃げる方向と場所・何故に今のルートを選んでいるか等をレクチャーしながら登る。
05:51北股沢出合で、遥か上方に遭難パーティを確認。思っていたよりずっと上部で、中ノ島最上部から草付きの広場付近である。1人が立ち、何かが横たわっている、スキーも2本見える。
雪が軟らかくなってきた。私の無線機のアンテナを繋いでいるコードが断線しているらしく、具合が悪い。PWDの無線機によると、LFD達(二次隊)は順調にこちらに向かっている様子。GZKも例によってサポートしてくれている。
稜線に3人の登山者が現れたと思ったら、下降して現場に集合した。昨日雪洞を掘ってくれた佐藤氏達だろう。
急斜面になると雪面が固くなり、キックステップの靴先が僅かに食い込むだけ。06:17、一人先行していた遠藤が現場に到着した。06:24、ようやく私も到着。佐藤氏達は急斜面に素晴らしいテラスと雪洞を作ってくれていた。

遭難現場の天幕


さっそく防災無線で最上の出動を要請する。現場は雲の最下限、上方の視界100m、下方は鍋倉山が雲海に浮かんでいる。
天幕の中にいる遭難者は元気な様子。PWDがストックとマットを外し、エア副木を当てるが、遭難者のプラスチックブーツが大きいためなかなかうまくいかない。ついには半分しか閉まらない副木をガムテープでがんじがらめに固定してしまった。
消防本部から無線があり、空港の天候が悪いため最上はフライトできないとのこと。天候の回復を願うが、待っている訳にはいかない。
状況からみて、なんとかレスキューハーネスで可能と判断。アイゼンを履きカロリーメイトを1缶飲み干し、07:00、遭難者を背負い下降を開始する。滑落した場合はピッケル1本で止める覚悟で、確保はしないこととした。PWDと山口がしっかりと私の下でピッケルを構え、ゆっくりゆっくりと降る。例により痛む左足を谷側とし、右足を引きずるような格好である。軟雪のため、時折バランスを崩しかけるが、なんとか踏みとどまることができた。

レスキュウハーネスで下降を開始する

上方では佐藤氏達が雪洞を壊している。後から降る登山者が戸惑わないようにとの配慮からである。
北股沢出合まで下って、遠藤と替わる。身長差があるので、左足を引きずってしまい、軟雪に苦労している。PWDも担ぐのに疲れた時点で、QVH発案のエアマット作戦を実行する事とした。ブルーシートを敷いた中にエアマットを膨らまし、橇にしようというのである。チマキ状にしてガムテープで固定、両端をクローブヒッチで結ぶという、軟雪ならではの方法である。通りかかった登山者が、使ってくれと自分の断熱シートを差し出してくれた。橇は大変によく滑る。速度調整と確保に苦労する。
雪崩跡で雪面が荒れているため、方向変更がうまく行かず、身体で押し上げるようにしてコースを定める。
08:20、ホン石転ビ沢出合で二次隊と合流する。橇をロープで補強し、操作性を良くする。二次隊は高山係長を始めとする小国署員、伊藤良一副班長を始めとする飯豊班、中央班のLFD、朝日班の関である。

橇による救助作業

下り始めたまもなく、茶色の雪崩跡を避けるため、左岸からの古い雪崩跡を横切っている時、飯豊班の誰かが「落雪!」と叫んだ。慌てて見上げると左岸壁の上部に、大きな雪の塊が2個、宙を飛んでいるのが見えた。「逃げろ!」大声が雪渓に響く。間違いなくあの雪塊はこちらに向かってくる。連鎖反応的に規模が拡大すれば、救助隊は遭難者もろとも全滅する。とにかく、この雪崩跡を突っ切り、左岸に逃げ込んで被害を最小限に食い止めるしかない。
ブルーシートで包まれた遭難者を引きずって、そう早くは移動できない。振り返ると背丈ほどの大きな雪塊が、ゆっくりとブルーシートに覆い被さっていく。スローモーションの世界だ。体当たりして雪塊を止めたいと思うが、私の身体は既に左岸端に走っている。だいいち人間の身体なんか簡単に潰されてしまうだろう。瞬間、僅か1〜2mの距離で、ブルーシートがこちら側に滑り込んだ。まさに危機一髪であった。幸いなことに、我々まで落ちてきた雪塊は、数個に過ぎなかったようで、全員が無事であった。

二次隊と合流する
石転ビノ出合より石転ビ沢

石転ビノ出合もいつしか過ぎ、08:52、梶川出合通過。地竹原で穴の間の亀裂の入った雪橋を恐る恐る渡る。地竹沢で食事を採る。ここからは夏道である。左岸沿いの山道では、必ず怪我をした左足に大きな負担をかけることになる。スクープストレッチャー搬送に決める。ブルーシートを開いてみると、エアマットが萎んでいた。負傷部位に私のザックが敷かれていたとはいえ、当事者にとってはかなりの苦痛であったろう。

亀裂の入った雪渓を通過する

何パーティかの登山者とすれ違う。私は今の時期、こんな雨の日には、とても石転ビ沢に入る気はしない。
09:06、搬送を再開するが、最初から婆マクレの難所である。片側3人つけば充分なのだが、足場が悪く1〜2人しか付けず、難行を極める。遭難者も頭が下になったりしてかなり苦しそうだ。しかたなく、再びレスキューハーネスに変更する。

レスキューハーネスによる登山道での救助作業

こうなると関・LFDの強力メンバーはなんとも頼もしい。苦労しながらもなんとか難場をこなしていく。署員も次々に背負手を希望してくる。ツブテ石の雪渓の下降はQVHが担ぐ。私とLFDはすぐ下で滑落に備える。滑れば梅花皮沢の奔流にまっしぐらである。最後の部分はかなり薄くなっている。先行隊が通すべきかどうかでもめている。かなり限界に近い薄さだ。しかし他にルートの取りようがない。QVHに覚悟を決めてもらう。
雪が登山道を覆っている所は、雪に押されて潅木が横たわっており、なんとも歩きにくい。伊藤が鉈と鋸で、次々とルートを整備していく。

ブナ林にて

ようやくブナ林に入り、小沢に掛かる雪渓を横断しようとしたところ、穴だらけでとても通れそうもない。LFDが雪渓を壊し始めた。私も加わり二人で一緒にジャンプし、雪渓を崩してルートを作る。
10:58、温身平にて遭難者を救急車に引き渡す。これで私達の役目は終えた。

救助された中山さんがホームページに記録を掲載しています