登山者情報425号

【1999年08月14〜17日/石転ビ沢〜梶川尾根/木内茂雄調査】


(8/14)今回は珍しい組合せで、Y氏とK氏の3人でスタートした。朝5時に飯豊山荘前のゲートに行ってみると、相変わらず武田会長が登山者指導をしていた。Y、K両氏と待合せ、藤田氏に大阪の5人パーティと一緒に温身平に送ってもらった。
天候は曇り、湿度高し、大阪のパーティは何度か来たことが有るというので、我々は先に歩き始m。「15分位歩いた所にトビ茸があるので注意して行ったら」と、T氏に言われていたので、気を付けていたが私の日では駄目で有った。こういう事から「駄目」と言う言葉が出来たのだろうと、考えながら歩いた。一人不慣れのメンバーが居るので、ウマイ水清水で一服する。蒸し暑く、汗をかいた。この辺りから少し霧雨になったろうか、私は傘をさして歩いた。その後何のトラブルも無く、梶川出合で一服、そして順調に石転ビノ出合に着いた。休憩をしないで、門内沢を石伝いに渡り、対岸に少し残っている雪に登り、そして向こうに降りた。それから、石転ビ沢の左岸を少し歩き、渡り易い所から右岸に移った。残雪の下端は100m位先だったろうか、そこ迄行き一服とした。
休憩後、Y、K氏はアイゼンを着けた。私は昨年を例にすれば、必要無いと決めこんで持って来なかった。雪は雨で洗われていて、固く滑り易い状態である。また傾斜も緩いので問題ない。ホン石転ビ沢出合付近から、北股沢出合辺りでは急傾斜になり油断は出来ない。スプーンカットの状態の良いのを一つ一つ選んで慎重に歩く。「この状態で下りにアイゼン無しでは危険だ!帰りは梶川尾根」と決めた。昨年と同じ日であるが、全く雪の状態が違う。昨年は雪が少なく一回だけ右岸より左岸にトラバースして、後はガレ場を登りつめたが、今年は雪にクレバスも無く、黒滝の20m位下までずーと雪の上を歩いた。黒滝からは夏道であり、草付きの急登である。汗なのか、少し強くなった霧雨のせいか体が濡れ、靴の内はグショグショになっていた。途中、何個所も水場がありメンバーの一人は「ベコの如くその水を飲み、ウメーッ」と言ったものだ。本当にうまそうで、又小沢の水が一瞬ではあるが止まった様であった。霧で視界は悉く、上も下も見えない。そのかわり後から太陽に照らされて辟易することも無く、予想よりだいぶ早く梅花皮小屋に着いた。
小屋管理人の関氏と久しぶりに再会した。新築の小屋は完成していたが官庁検査が終わっていないので、使用察止となっていた。大分前に完成した様だが「お役所とは何かおかしい?!」気がする。避難小屋なのでいち早く、仮使用許可でもしたらよいのに、山の気象なんてあてにならない、ヘリコプターが飛べる日を待っていたら、何時になるか判ったものでは無い。
さて、役所の事を言っていても始まらない。我々は早々に荷物を降ろし、食事の準備の方へと気持ちを切り替える。私は久しぶりに荷物を多く持って来た。先ずは関氏所望のカツオの刺身一匹である、その他モツ肉、ハム、野菜類、漬物、とたっぷり持って来た。そして、これ等で夜まで豪勢な食事が出来たことは言うまでも無い。この辺りから記憶が薄くなっていく。
(8/15)夜中に水を飲みに起き、トイレに出ようとしたら、K氏が「トイレ?」と声を掛けてきた。ズツーと寝ていない様だった。外に出て見ると風は普段と逆で、山形県側から新潟県側に強く吹いていて、しかも濃霧であった。従って用足しは普段と逆の方であった。明け方起きたが、天候は相変わらずで良くなりそうも無い。朝食はラーメン餅で済ました。そして、Y、K両氏は7時頃梶川尾根経由で下山して行った。
残った関氏と私は何もすることも無く、毛布に潜り一眠りした。そして、一日晴れることも無く終わった。した事は石転ビ沢を登って来る高貝氏と無線交信をしただけであった。・・・一日停滞・・・
(8/16)夜明けに起きた。北股岳は晴れていたが、大日岳、御西小屋方面は雲の中であった。感じとして天気は良さそうだ。
関氏は石転ビ沢経由で下山、私は御西小屋へと5:10に各々出発した。ザックの中は御西小屋へ持って行く荷物(味噌/かなりの重量、醤油一升、野菜)と、カメラニ台、他装備でズッシリと腰にきた。入山時より重いのではないか。
梅花皮岳の登りがきつい。紫鮮やかなマツムシソウを眺めながら、ユツクリ登る。そして、朝日を浴びながら烏帽子岳を過ぎる頃には呼吸も整った。大日岳、御西小屋方面は相変わらず雲の中である。クサイグラ尾根を左に眺めながら、西岳を下って行く途中に例年イブキジャコウソウが有るのだが見逃した。(帰りに見つけたが、もう花は終わっていた。実は今回この花の写真を撮るのを楽しみに来たのだが残念であった。)この辺りから天狗ノ庭辺りまでウサギギクが目立った。そして朝日に照らされてその黄色がまばゆいばかりであった。
天狗ノ庭で立入り禁止の旧道に入って見た。(雨で抉れて荒れた登山道が少し良くなったと聞いていたので、状況を見るため)土止めした個所に大分砂が溜り、修復しつつあった。そして、笹薮も伸びていた。しかし、私はその薮漕ぎで朝露にビショ濡れとなってしまった。物好きとはこういうものだ。
御西小屋では松葉氏が出迎えてくれた。早速、ビールで歓待してくれた。更に朝食の準備もしてくれた。その間、汗と先刻の藪漕ぎで濡れたため、寒く防寒具を着る始末であった。朝食の準備はアルバイトの島崎君とシノブさんがしてくれた。
朝食をしている頃、時々晴れ間が出る様になった。ザックの中から小屋に持つて来た荷物を降ろし、大日岳をピストンしに向かった。
背中は軽く、足取りも軽い。雲が切れそうになり、明るくはなるが大日岳は姿を見せてくれない。花はと見渡すが、夏から秋に変わる時期になっているため、花の鍾類が少ない。もう終わりのハクサンフウロがヤケにピンク鮮やかに見えた。10分も歩くと、右下に文平ノ池が見えたが、それ以上視界は良くならなかった。結局、頂上に着いた時上空が晴れ、烏帽子岳辺りまでは見えたが、梅花皮小屋周辺と北股岳は雲の中であった。休憩しながら、無線連絡をして引返した。下り途中、少し目立ち始めたウメバチソウをカメラに収めた。この花は良く見れば見るほど、白く透き通って何とも言えない清楚な雰蹄気を醸しだす、素敵な花だ。
さて、御西小屋に戻ると、松葉氏が再度気を使ってくれてビールを勧めてくれた。少し頂いてから、三人に礼を告げ元来た道を引き返した。同じ道なので特筆することは無いが、夏の花は終わり、イイデリンドウ、ミヤマリンドウ、オヤマリンドウと秋の花になってきた。そして好きなウメバチソウが質素に、密集すること無く、疎らに咲いていた。全体的に日立つのはマツムシソウである。帰りは荷物が殆ど無かったので早く戻れた。そして、梅花皮小屋周辺にはそろそろイワインチンが花を咲かそうとしていた。
そして、小屋には吉田君が石転ビ沢を登って来て居たので、高見氏と三人で一晩、又楽しい会話で花を咲かせた。(今回の山行はこういう花の満開であった。)
(8/17)早、四日目、今日は下山だ。吉田君は残り、高見氏と北股岳経由梶川尾根のコースをとった。天候は霧のため遠くの景色は全く見えない。二人で黙々と歩く(唯、何も見えないのはツマラナイなあ!と言う時以外は)。ひとつ記すとすれば、ギルダ原辺りの草と笹が大分伸びているので、朝露でアツと言う間に足元が濡れてしまった。この辺り整備してもらうと、雨の日でも濡れなくて助かるのだが・・・。
それから、梶川尾根の下り始めはキンコウカが終わり、イワショウブになっていた。そして、ケルン近くに来ると晴れてきた。後を振り返ると1,500mより上はまだ雲の中であった。飯豊連峰特有の不安定気候状態を呈していた。梶川峰を過ぎ、「七本樺」も過ぎ急降下する。そして、ブナ林に入って、二人でキョロキョロとトビ茸を探したが一つも見つからなかった。
更に下り、通称「ノゾキ」(飯豊山荘の屋根が限下に見える所)で見慣れた山仲間W、S両氏が山登りでなく、地下足袋姿で茸採りに来て休んでいた。「何だ!」と言葉を交わし、話すこと暫し。後は山荘目指して急降下、暑い下山は終わった。

【メンバー】8月14日〜15日(朝迄Y氏、K氏)、8月15日〜17日(高貝氏)、8月16日一17日(吉田氏)
【通過時刻】(8/14)温身平ノ砂防ダム5:20−5:45ウマイ水清水一6:00梶川出合−10:05梅花皮小屋。(8/15)停滞(Y、]両氏下山)、(8/16)梅花皮小屋5:10−6:10烏帽子岳の先西岳を下り平坦地−6:45御手洗ノ池〜7:10天狗の庭〜7:35御西小屋9:10〜10:05大日岳10:15−11:00御西小屋12:15−14:30梅花皮小屋、(8/17)梅花皮小屋6:20−7:15門内小屋−7:30扇ノ地紙―7:45ケルン〜7:55梶川峰〜8:25五郎清水〜8:45滝見場−9:15湯沢峰〜10:30飯豊山荘