登山者情報474号

【2000年07月15〜16日/石転ビ沢〜梶川尾根/木内茂雄他調査】

(7月15日)温身平砂防ダム6:40→7:10ウマイ水清水→7:50梶川出合→8:20石転出合8:35→9:35本石転出合→10:20北股沢出合→10:55黒滝上草付き→11:40梅花皮小屋
(7月16日)小屋8:55→9:20北股岳→10:05門内小屋10:40→11:00扇ノ地紙→[ここから登山道整備開始]→17:20頃、飯豊山荘
(7/16)
週間天気予報は曇り雨が、曇り晴れに変わり喜んでいたら、前日になり置賜、下越、会津地方全域50〜60%雨模様。温身平出発の頃は高曇り、稜線は見えず。この時は総勢12名で歩き始めた。今、山行は登山道整備が目的なので、各自トウ鍬、スコップ、草刈り機等を持ち一寸異様な出で立ちの部隊である。
砂防ダム前にある無人雨量測定の建物の屋根に、青いビニ−ルシ−トが被せられていた。今年の大雪でアンテナが雪崩でやられたそうだ。大雪は、途中ブナの大木も倒していた。通称“ウマイ水清水”で一服して、その先、慰霊碑のある“地竹原”地帯を過ぎて間もなく左の雪渓に降りた。今年は本当に雪が多い、例年であれば夏道をズ−ッと歩かなければいけないが、登り降り無しで登って行ける。雪渓に入る前にサンカヨウ、ニリンソウを見かけただけ、後は雪の上になってしまったので花は無し。

石転ビノ出合にて(背景は門内沢) 石転ビノ出合にて(背景は石転ビ沢)

石転ビノ出合は全くの雪原で右に入っている門内沢が小さく見える。そして大岩も雪の下で、近くの雪の無くなった所には山桜が咲いていた。此処はまだ春である。天気は相変わらず曇りであるが、稜線は見えていた。ホン石転出合近くまでは普通に歩けるが一服後、アイゼンを付け雪渓歩きを続けた。上部になるに従い沢の両岸中腹辺りに、ニッコウキスゲが黄色の花を咲かしていた。それからコバイケイソウも見かけた。雪渓は全体に小さなスプ−ンカット状態で“黒滝”の有る所はクレパスが出来ており、もう直きにポッカリ穴が開くと思われた。退屈でしかも急傾斜の雪渓も“黒滝”上の草付きで終わった。しかし、辺りの斜面の随所にはかなり雪が貼り付いていた。アイゼンを外し歩き始める頃、心配していた雨が降ってきた。小屋までもう少しで、風も無いので傘をさして歩いた。一度左にトラバ−スする箇所に雪が少し残っていたが、足で蹴って踏み抜き普通に歩ける様にした。今後はこの危険個所は問題無しである。そして、小屋直下のテント場から小屋近くの30メ−タ−位、雪が残っていたがキックステップ登れた。この頃も雨は盛んに降っていた。
小屋に入ればする事は決まっている。今回は『お天気祭り』と称して昼頃よりおもむろに、泡から飲み方が開始された。関係者と、居合わせた知人20数名の大宴会で主食は米沢牛の“芋煮”であった。3時頃だったろうか雨も止んだので『2000年ミレニアム登山』と称して標高2,000mの梅花皮岳に行こうと発声した人に応じて、酔い覚ましを兼ねて頂上まで散歩して来た。その往復で今回初めて気がついたのだが、梅花皮の斜面にニッコウキスゲが多数咲いていた。北股岳からギルダ原に降りて行く時に圧倒される群生には劣るが、立派な群生である。山の時期とは何時来ても違うものだ。それからアズマシャクナゲ、チシマギキョウ、小さなイブキトラノオ、ツバメオモト、コケモモ、ウスユキソウ、オヤマノエンドウ、ゴゼンタチバナ(花弁に赤が混じっているもので“赤弁”と、言うと白籏氏に教えて貰った)そして、まだ蕾だがマツムシソウを見た。ミヤマキンポウゲはこれから盛りになると思う。北股岳側に白のチシマギキョウが有った筈だと言う人がいたので、私もその場所は良く判るので行ってみた。二つ見つけたが確かに少ない、盗掘されたのだろうか??。こうやって情報に載せるのが 良いのか迷う.....。紫のチシマギキョウは例年の如く群生しており雨に濡れ、霧に包まれた姿は又格別の風情を醸し出す。小屋に戻り宴たけなわに又紛れ込む。その最中に『プロ写真家の白幡史朗氏』が来ていると言う話から、誰かが誘って来て一緒に酒を飲み交わした。その内又誰かがサインを貰いだしたので、私も図々しくヘルメットにサインして貰った。今回は良い記念になった。そして、賑やかな一夜も何時しか終わっていた。

梅花皮小屋から北股岳 梅花皮小屋から梅花皮岳(真っ直ぐの道は水場道)
サインをする白旗さん 今年の飯豊連峰のメインは何と言っても梅花皮岳
ゴゼンタイバナ オノエラン
マルバシモツケ ハクサンシャクナゲ
ニッコウキスゲ(ゼンテイカ) 梅花皮岳中腹にて
チシマギキョウ チシマギキョウ
ヨツバシオガマ コケモモ
ハクセンナズナ オヤマノエンドウ

(7/16)
夜中の2時頃強い雨風で目を覚ました。前線の通過だろうか?と夢うつつに思いながら又、寝た。夜明けは4時頃であったが、気の早い人が起き始めるとつられて一人、二人と起きだし、私は寝たふりしていたが起こされてしまった。起きればお茶だけでは済まない。眠気覚ましの“気付け薬”と、あいなった。もう一眠りして全員が朝食をとっているところに合流する。そして、関係者全員、雨風治まるのを待つが一向に回復しない。もう時間の限度と全員出発したのは9時前、北股岳の登りがきつい。霧雨に風が強く、少しふらつくが酒のせいではなさそうだ。頂上からの下りは新潟側からの風が余計になり踏ん張りながら歩く。そして、ギルダが原周辺のニッコウキスゲの群生の花が、満開なのを雨具のフ−ド越しに見ながら、晴れていれば写真を撮るのにと、残念の思いを残し通過する。後1週間位は最盛期の見頃と思われる。その他、ミヤマアサツキ、マルバシモツケ、アズマシャクナゲの花が盛りである。そして、ヨツバシオガマもチラホラ見かけた。風雨のため、風を避けながらなのでその他は見回す余裕は無かった。門内小屋で一旦全員集結、道路整備の要領を確認して出発する。尚、トイレは 施錠されており使用出来ない。相変わらずの霧雨と新潟県側からの強風に抵抗しながらの前進である。右側を見下ろすと数メ−タ−下は雪である。今年の残雪は凄い。門内手前から扇ノ地紙までヒメサユリが疎らではあるが満開であった。扇ノ地紙から下のヒメサユリは散り始めていた。梶川尾根から登山道整備を開始した。草刈りの機動部隊二人は先行し、残った我々はスコップ、トウ鍬で雨道つくり、時には麻袋に石を詰め土嚢として積んだ。梶川尾根を最初の残雪の斜面に出た。霧で視界がきかない。先に行く人達は何も迷い無く進む、彼らは冬山の時期に登っているので判るのだろう。私は一寸判断出来なかった。案の定、別部隊が1時間ばかり迷ったとのことだ。視界が利けば向こうに登山道が見えるのだが、要注意箇所である。唯、もう1週間もすれば雪も少なくなり判り易いだろう。今のところは幾らか左真っ直ぐ降りれば良い。更に先に行くと、もう1カ所残雪の場所が有るが此処は右側の笹藪に沿いながら降りれば良い。花はチングルマが咲いていたが残雪の融けるのを追いかけながら当分見られると思う。そして、ケルンあたりにはチシマギキョウが満開であった。そして、峡彩の南原氏だっ たと思うが“アッこんな所にトキソウが有る”と、私に教えた。成る程少し小振りだがその様だ。私としては飯豊で見るトキソウは初めてである、『山は何回来ても違う花、違う景色があるものだ。』それから、ハクサンフウロが咲き初めていた。ミツバオウレン、イワイチョウも少し見つけた。森林限界辺りに来て気がついた事だが、岳樺の大木が少なくなっていた事だ。私が勝手に命名した“八本カンバ”の場所であるがこの辺り岳樺が十本くらい有り、八本が固まっていたのでそう言う名前を付けたのだが?。二本は枯れていて五本しか残っていない。あとの三、四本はどうしたのだろう?大雪にやられたのだろうか。今度は“五本樺”と呼ぼう....。雨は小止みになていたが晴れる事の無い一日であった。.....『誰だ雨男は』......              終わり

追伸
ダイグラ尾根を登ってきた登山者によると、途中2箇所に残雪があり、アイゼンが必要であったとのことであった。