登山者情報485号

【2000年08月01日/湯沢峰遭難/井上邦彦調査】

寝床に入り熟睡寸前の22:30、藤田栄一氏(救助隊飯豊班長)より電話があった。
「熊本から来た登山者が梶川尾根を下山中に、湯沢峰の下で捻挫、動けなくなった。同行者が飯豊山荘に救助を求めてきた。現地には負傷者の夫と看護婦の妻が残っている。ビバーク体勢に入っている」
体重が軽ければこれから駆けつけて担いできても良いかなと思い、負傷者の体重を聞くように頼んだ。暫くして藤田氏から再度の電話「体重は76kg」これは厳しい、直ちに小国警察署に電話してくれるように頼み、妻を起こして小国警察署まで送ってもらった(晩酌後に寝ているので何時ものパターンである)。降水確率は0%、蒸し暑い夜である。
現時点で生命の危機はないと判断し、鈴木課長と救助方法を相談していると、役場の軽部係長も来てくれた。飯豊山荘に助けを求めに来た女性と直接電話で話すことができた。その結果、遭難者の現在地は、温身平へ大きな尾根が分岐する地点だと確信する。ヘリコプターによる搬送か、人力による搬送か、迷う境界点である。
遭難ポイント(標高800m)から天狗平(標高406m)まで(距離600m)は、両手を使いたくなるような急登が連なっている。76kgの彼を担ぐとなれば、よほど屈強なメンバーを 5〜10人集める必要がある。ヘリコプターであれば、樹林帯であるから「月山」では無理、「もがみ」で数十mの吊り上げとなる。様々迷ったが、基本的にはヘリコプターによる吊り上げとした。
ヘリコプターがフライトできるのは、日の出即ち04:30 以降である。逆算して、先ずは03:00小国警察署発で2名の救助隊員を現地に向かわせる。遅くとも04:20には現場に到着し、様態を確認し、ヘリの誘導ができるように体制を整える。同時に、レスキューハーネスを持参し、人力搬送に備えることとした。隊員は、私と遠藤君(天狗岳遭難にも同行)とし、宿直室に寝ている遠藤君を起こし、遠藤君が帰宅するパトカーに同乗させてもらい帰宅した。
帰宅後、持参する装備を整える。相次ぐ遭難出動で登山用具がメチャメチャになっていた。 12:00就寝。
嫌らしく目覚し時計が鳴り響き、02:30起床。短パンにランニングシャツ、運動靴という姿である。ザックにはレスキューハーネスと私物缶、カッパ、無線機、ビデオカメラ、水筒1L×2本、ヘッドランプ、5m登攀用テープ、6mm×20mロープを入れて自宅を出る。警察署に着くと遠藤君と小林部長がカップラーメンを啜っていた。今回は遠藤君も身軽な格好である。
03:00に3人で小国警察署を出発する。うとうとしていると、何時の間にか長者原を過ぎていた。車窓から真っ暗な山肌を見て、私達を待ちわびている2人に思いを馳せる。03:26天狗平着。
車からザックを降ろし、03:28遠藤君と2人で湯沢ゲートを出発する。暗くて良くルートが分からないと言う遠藤君を2番手として、梶川尾根に取り付く。相変わらずの急登だが、ズックはスイスイと高度を稼いでくれる。遠藤君も全く遅れることなく、ついてきている。振り向くと飯豊山荘の灯りが谷間に光っている。遭難者がビバークしていると思われる目的地まで急な登りを詰める。
03:51仮称:楢ノ木曲リ(温身平に向けて派生する大きな尾根の分岐点)の平地にあがるが、何も見えない。もう少し先立ったかなと思い、声を掛けると返事があり、暗闇の中で何かが動いた。ヘッドランプを向けると、寝袋とツエルトに包った二人が起きてきた。二人は寝袋を片づけ始める。二人とも喉が渇いているというので、持参したポカリスエットを渡し、私は警察署で渡されたウイルダネスを飲み干す。
無線で小林部長に到着を知らせる。藤田栄一班長も一緒である。現在地が知りたいと言うので、下の駐車場に移動してもらい、こちらはナラの木から顔を出すと、ヘッドライトの光を確認したと言う。気が付けば空は満天の星を散らしている。
遭難者の右足首には包帯が巻かれていた。「湿布をしているのですが、副木がないので」と奥さん。足首を拝見させてもらうと、腫れは殆どない。「骨折はしていないようですね」と言うと、奥さんも同じ見立てであった。足首をゆっくり動かしてみる。爪先を上に足首を曲げても痛みはない。左右に捻じると、片側に曲げた時だけ痛いと言う。もしかしたら自力下山ができるかもしれない。
私物缶から三角巾を出して、帯状に畳む。右足の土踏まずに中心部を当て、踵で交差させる。各々の端を反対側の帯に潜らせ、甲の上で結ぶ。できるだけ強く縛り上げ、爪先が上がって足首が固定されるようにするのがコツである。これにより踵で歩いても痛みはなくなる筈である。片方の靴下が見つからず多少はもたついたが、何とか両方の足に軽登山靴を履かせることができた。ストックを2本ついて、ゆっくりと歩いてみる。これはいけそうである。空は既に白くなっている。
04:15慌ててザックに荷物をしまい込み、私の先導で下山を開始する。遠藤君に負傷者のザックを背負い降ろすように指示する。負傷者の足元を私のヘッドランプで照らすが、まもなくそれも不要になった。できるだけ踵に体重を掛けること、足首を捻らないように一度降ろした足にゆっくりと体重を掛けるようにアドバイスし、ルートを示して下る。動ける所まで自力で下ってもらい、最後はレスキューハーネスで背負ってしまえば何とかなると、開き直って下降していく。決して早いとは言えないが、確実な歩調である。
04:48〜53小ピークで休憩を取る。この先に岩場が待っている。それさえクリアできれば、下まで自力で下山できそうである。登山道の脇にザックが置いてある。一瞬、転落者でもいるのだろうかと不安が横切る。しかし良く見ると、紐で潅木にしっかりと括り付けられている。誰かが故意に置いていったことが明白である。あなた方の同行者のものですかと、夫婦に尋ねたが違うと言う。とりあえず放って置くこととし、無線でその旨を連絡する(その後、昨夜ここまで下って疲れきり動けなくなった登山者が、ザックを全て放置して飯豊山荘に下ったものと判明した。ちなみにその登山者はヘッドランプもザックの中に入れたままだったので、ライターの光を頼りにこの急な尾根を下ったということであった)。
ぽつりぽつりと登山者が登ってくるようになった。岩場もロープをみ、私が下から抱きかかえるような形で、無事通過(私がザックから無線機を岩場に落とすというハプニングはあったものの、無線機も多少傷が増えただけで正常に作動)し、小林部長に途中まで迎えをもらい、05:20藤田栄一氏や鈴木課長、軽部係長が待つ湯沢に到着した。
飯豊山荘から役場まで警察の車で送ってもらい、帰宅。風呂に入り朝食後に何時ものとおり、出勤となった。