登山者情報489号

【2000年07月29日/ダイグラ尾根遭難2/橋本勝調査】

何かの参考(私の強烈な思い出のためにも)になればと思い、記憶の残っている間に、一昨日の遭難事故の様子を私の目で見た部分を詳細になるかもしれませんが報告します。

第一回目の救助要請

7/29(土)
08:25頃、本山からの下山途中、第1番目の遭難現場(宝珠山直下 標識より少し本山よりの雪渓)に差し掛かると、大きな声で「雪渓は危ない。脇に寄れ」と大声で叫ばれ、「山岳会の人が何か注意しているのかな」と思い、何時もは高山植物に申し訳ないので草の付いている個所は避けているが、草付き個所を下ると、事故に合われたTさんが頭部や腕、足などに切り傷を負って手当てを受けているところでした。
この時、私が注意を受けた雪渓で滑落したのが分かりました。本人は意識がしっかりしていて、私の問いにも「雪渓を歩行している時に誤って足を滑らせ、うつ伏せの状態で頭を先にして滑落、手で踏ん張って何とかしようと思ったが静止せず滑落した。死ぬのかと思った」と応えてくれました。
その時の状況は、別途情報入手できるかと思いますので、ここでは省略します。
この時点では、怪我の程度は軽く、本人の顔に引っかき傷、足に軽い打撲が見られる程度で意識もはっきりしておりましたので、自力下山可能と思われました。
そこで、8名(T夫妻、AYI兄弟、W夫妻、同僚のAさん、私)で下山することとなり、本人の荷物を少しつづ分けて分担し、私は最後尾で出発しました。
この時、T夫人の判断で分配してのですが、T夫人のザックに女性にしてはかなりの重量を収めた様に見えました。
しばらく本人の様子を見ておりましたが、辛そうではありましたが「何とかなるかなあ」と思われる足取りで歩行しておりました。
しかし、この先の工程(約4時間強)を考えると、膝や足腰が耐えられるか心配なことから時々声をかけると、その都度「大丈夫です」という声が返ってきました。
そして、救助された場所(宝珠山から下部の第一ピーク手前)で、Tさんが「背中(内部)が痛い、何かおかしい」との申告があり、状況判断として、もしかしたら肋骨にひび、脳内出血?等の心配があり、AYI(兄)さんから県警に遭難を連絡。「本人の要請」もあり、ヘリで救出することとなりました(09:00過ぎ頃)。
なかなか到着しないヘリを待っている間に、私と御西小屋で一緒に宿泊した新発田市のKさん、時間を置いて山形市のBさんが次々に合流し、10人(遭難者含む)のパーティとなっておりました。
そして、できるだけ全員の負担を軽くするため、「Tさんの背負っていたザックをヘリで回収」してもらう様に無線で要請したのですが、回答は「小国警察署の警官が現場に残るので、その警官の指示に従ってください」とのことでした。
そこで、本人のザックに荷物を再び戻し、ヘリ到着を待つことにしました。しかし、やがて到着したヘリにはTさんと、残ると思った警察官が再び乗り、立ち去ってしまいました。
やむなく、残されたTさんのザックの荷物を残った9人で再分担することにしました。また、この時点で全員の飲料水をチェックしたところ、KさんとBさんの合流で、下山までは十分と判断できました(12:00過ぎ)。

第二回目の救助要請

スローペースながらもT夫人の足運びや表情を見ていると、「一緒にいる皆にすまない」「何としても、自分でリックを背負って帰るんだ」という気迫が感じられました。
やがて、第二事故現場となった「休み場の峰」手前(本山方向の第一ピーク)で、小休止しました。そして、「もう少しで水場となるので、そこで大休止、志願者が水場で水を採取する」こととなり歩き始めました。
この時の隊列は、Aさんが先頭で第二遭難者となったT夫人、W夫妻、Bさん、Kさん、 AYI(兄)さん、AYI(弟)さん、そして私の順だったと記憶しております。
歩き始めて間もなく、最後尾にいた私にも「キャー、アアーと言う悲鳴」と岩が転がる異常な声と音がして、すぐに「早く来て」とW夫人の逼迫した声が聞こえました。
何が起こったか直感しました。「気持ちの中では、しまった!」と思いました。頭の中では「無理にでもへりで荷物を運んで貰えばよかった。T夫人の荷物を早く軽減させてあげればよかった。もっと直近の休憩時間を多く取ればよかった。」と走馬燈の様に浮かびあがりました。
事故の概要は、急斜面の下り道で、Aさんの後を少し離れて歩いていたT夫人が、60センチ位の大きな岩に足をかけたところ、岩より先にT夫人が仰向けに転び、その上に一度地面でバウンドした岩が右太ももに直撃し、骨折したものでした。その時は居合わせた我々は、足の下の部分と身体の方向が極端にズレていることから「複雑骨折」だろうと見てました。
そこで、再びAYI(兄)さんがアマチュア無線で遭難発生を連絡、15:00頃、救助のヘリを要請となりました。
この時、応急処置が分からず無線で指示を仰ぎました。その結果「そのままの状態を維持してください。」とのことでしたので、その場で安静にすることとしました。何か処置方法が分かって、「ホッ」とした様な「ヘタに動かさずによかっただなあ」という思いでした。
この時、「アマチュア無線のありがたさ」と「まわりに居合わせた8名(私を含め)の方々の連携」には、本当にありがたいと思いました(皆の気持ちに、何とかしようという連帯感が感じられました)。
W夫妻は、よくT夫人の脈拍や状況を最後まで見てくれたし、励ましてもくれてました。また、第一回目の経験から、県警の要請前に20分毎の脈拍と本人の状況を逐一無線で報告しました。
しかし、今回のヘリ要請には私の気持ちに焦りがありました(多分全員同じだった思います)。「北股方向の主線稜線は、既にガスが沸き上がろうとしていた」こと、「時間が経てば、現在の位置はガスで覆われてくるだろうと思われた」こと、「暗くなる前に下山したい」との気持ちでした。
前回は、ヘリの要請から到着まで2時間が経過していたので、今回も同様とすれば大変だ。何としてもヘリを早く出動させたいという気持ちで一杯でした(後で思うと誇大報告があったかも知れません)。そして、幸いにヘリは1時間もしないうちに到着してくれました。しかし、尾根を誤ってクサイグラ方向を捜索しているのがヘリの轟音で分かりました。そして、アマチュア無線の連絡でやっとダイクラ尾根に廻って貰った時点では、大股沢方向は蔵王連峰が見える程良好だった視界が、案の定、ガスが薄く沸いてヘリからこちらを確認するまでに大分時間が経過していました。
私は「何故」と思いながらも、T夫人に状況を説明して、不安を取り除いてあげることしかできませんでした。
結局、あと少しで燃料切れというところで無事救助して戴くことができ、本当に良かったと思います。また、今度は奥さんのリックを運んで戴けたので本当に助かりました。
実は、現地では「飲料水を持って来て貰おう」と要請するつもりで無線連絡したのですが、「既にヘリが出動、間もなく現場到着」と聞いたので、「何とか持つかなあ」という気持ちで奥さんの救出を待っていました(この後で散々苦労することとなった第一要因)。

第三回目の救助要請

何とか下山できると判断できる見通しが立ち、残り8人で「今度は、第三の遭難は出せない。注意しながらゆっくり歩行しよう」と意識合わせして、声を掛けながら下山しました。
休み場の峰で休憩した時です。AYI(兄)さんの表情が苦しそうな様子をしていました。私は、ここまで背負ってきたザックの重さ(30Kg以上と推定)による疲労と、精神的な疲労が合体したものだと判断しました。そこで、「中身を全員で分担しましょう」と提案したところ、Kさんの申し出により「AYI(兄)さんとKさんのザックを相互に交換」することにしました。
今度は、このコースを日帰り登山した経験を持つKさんを先頭にAYI(兄)さんを2番目として再スタートとなりました(17:30頃)。
18:00頃、休み場の峰下部の水場到着。W夫妻の友人のAさんと山形市のBさんが水場まで降りて給水することとなりました。結果は、水が枯れているということで給水を断念して、下山を続けることとなりました(実は、水場を探せなかったと後に判明)。
この時点では、既に「休み場の峰」で全員の水筒は底を付いており、ほんの少し残った水を飲み干し、各自、夜に備えて電池を装着して出発しました。
一番弱っているAYI(弟)さんにとっては、かなりショックだったと思います。この後、県警の回転灯が見える位置まで下山した時に、それまで何とか頑張って歩いていたAYI(弟)さんがダウンして、三回目のアマチュア無線による出動要請となりました(20:00)。
そして、吊り橋の水場まで残り20分ぐらいであることと、救助隊の到着時間が見えなかったことから、Kさんの提案で、AYI(弟)さんのザックを吊り橋まで下げ、水を給水して引き返すこととなり、一人先行下山して貰うこととしました。 その後間もなく、無線連絡で救助隊が既にこちらに向かっていることを知り、現状の位置(救助隊と合流地点)で、残り7名が待機して救助(水の補給)を待つこととなりました。
そして、救助隊の運んでくれた飲料水ペットボトルを指示に従って、各自少しづつ間を空けて飲み干し、AYI(弟)さんもすっかり元気を回復、自力下山ができました(22:30)。この時の水は、本当にありがたいことでした。

感想

私にとって今回の経験は、始めての出来事の連続(特にヘリによる救助)で、もしかしたなら私が第一遭難者になっていてもおかしくない状況と思いました。この時期にチョトした雪渓の区間であれば、私を含め殆どの人はアイゼンやピッケルを携帯していても、取り出したり装着が面倒なことから使用しないだろうと思います。この時期の雪渓の横断歩行の怖さ、単独登山の怖さを直に学んだ気持ちです。
そして、第二の遭難も同様でした。(足場にした岩が不幸にも落石)しかし、見も知らないパーティが、遭難者の救助という突然の事態でこんなにも気持ちをひとつにできるものかと、改めて登山者の心根を見せてもらいました。
また、アマチュア無線で県警と連絡に当たったAYI(兄)さんの観察力と判断力、そして、新発田市のKさんの強靭な体力と貢献がなければ、今回の救出をスムースに実行できなかったと思います。
最後に、救助のあたってくださった県警、消防の皆さんや地元山岳救助隊の皆様に感謝の気持ちで一杯です。また、皆様のご苦労を、これも直に見させて戴きました。本当にご苦労様です。
そして、今回の関係者の皆様、本当にありがとうございました。

稜線は雲に覆われていた 第1回目の救助(「月山」による吊り上げ)
「月山」の吊り上げ 2 烏帽子岳・北股岳を遠望する
2回目の救助作業 「もがみ」による吊り上げ作業
「もがみ」による吊り上げ作業 2 「もがみ」による吊り上げ作業 3
落石の発生跡 救助作業を終えたダイグラ尾根