登山者情報566号

【2001年8月06〜07日/ダイグラ尾根遭難/井上邦彦調査】

風呂に入っているとNOOから遭難の一報が入った。急ぎ小国警察署に出向く。状況は「8月6日05:00頃に御西小屋を出発した夫婦パ−ティが、飯豊山々頂で時間を費やし過ぎてダイグラ尾根を下山したところ、15:00過ぎに千本峰直前の鞍部で妻が転落、夫は登山道にザックを置いて妻を助けようとしたが、自分も転落してしまった。妻は自力で登山道まで這い上がったが、夫はチシマザサに阻まれて何としても這い上がれなかった。夫婦の会話の状況から、転落距離は6m程度で、怪我もない様子である。仕方なく妻は救助を求めるため携帯電話の通じる所を探し回ったが、全く通じず、いつしかダイグラ尾根を下山していたので、携帯電話を諦めて、21:30頃飯豊山荘に助けを求めた」ということであった。
何時ものようにGZKに天候を確認すると、最後に本山小屋と無線交信をしたのが20:00で、ガスのため視界はないとのことであった。
地形図から判断して、転落箇所には露岩記号が多く、場合によっては妻と別れた後に再転落をしている可能性も否定できない。明朝ヘリコプターで捜索救助を行うにしても、有視界飛行のヘリコプターは、天候によっては全く利用できない可能性がある。通信手段を一切持たずに一人で急斜面に置きざりにされている遭難者の精神的苦痛は計り知れない。仮にヘリコプターが利用できずに、人力による搬送を行うとしたら、10〜20人の救助隊員が必要であり、担架搬送となれば、ダイグラ尾根では事実上不可能に近い。具体的な転落箇所の条件は分からないが、引き上げのための装備が必要だろう。条件を整理し、今晩中に二人の救助隊員(HZU・PWD)を出すこととし、二次隊に備え要員を確保しておくこと、明朝のヘリコプターの要請を行うことを決定し、22:30に帰宅した。
自宅で準備を整え小国警察署に集合し、パトカーで一路飯豊山荘に向かう。ここでNOOと通報者から現場の様子の最終確認をする。湯沢ゲートを開けて林道終点で二人の装備をチェックする。12:15ヘッドランプを点けて歩き始める。12:30桧山沢吊橋を渡り終えた所でPWDと荷物の一部を交換し、以後は各自のペースで登ることとする。01:08御池ノ平を通過、PWDも10分ほど遅れて登ってきていることを無線で確認する。01:17長坂清水を通過する。01:40〜46コメツガの平(仮称)上部でお握りを頬張る。眼下には雲海が広がっている。時折、月が雲の切れ間から顔を出したが、樹林帯では月明かりで歩くわけには行かない。上部に獣がいるらしく落石が落ちてくる。02:00休場ノ峰でヘッドランプが消えたので乾電池を入れ替える。さらに進むと大又沢側の急斜面を大型の獣が移動している音が聞こえる。「フーフー」と何かの息遣いが続く。5分程度遅れて登っているというPWDに無線で知らせると、熊の糞が数個あると言う。私は猿の糞は確認したが熊の糞は確認していない。ともあれ、声を出し、ストックを打ち合わせて金属音を響かせて進む。02:31千本峰の標柱を通過し、02:35北峰から笛を吹くと、木霊が帰ってきた。岩場を下降しながら笛を吹き続けると、微かに人の声がした。大又沢側に登山道が移る頃には「ここです」と言う遭難者の声が明瞭に聞き取れた。こちらも救助隊であることを大声で知らせる。小尾根を過ぎた所に角の丸い平坦な岩があり、登山道はこの上を歩くようになっている。声はこの岩のすぐ下から聞こえている。数m先に青いザックを確認する。この石の上を歩いて滑り落ちたものに相違ないだろう。遭難者に声を掛けながら、落石を起こさないように慎重にザックを降ろし、登山道の上の潅木にクライミングテープで支点を取る。9mmロープをセットし、シャツを着て(それまではランニングシャツで行動していた)肩がらみ懸垂下降で下ると、潅木が屋根のようになった岩の下に遭難者がいた。確認すると怪我はないとのこと。落ちていったと聞いていた妻のザックもそこにあり、大きいタオルなどで暖を取っていたようである。登攀用のベルトを遭難者にセットし、アッセンダー(ペツルTBLOC)で確保を取る。私も一応セルフビレイを取り、遭難者を自力で登山道に上がるべく作業を開始する。遭難者の登山靴が急斜面の土に安定せず、すぐ腹ばい状態になるので、私の足(PWDと私はスパイク地下足袋を使用した)の上に登山靴を乗せるようにして、少しずつ登る。ロープをうまく掴めない様子なので、ユマールのカラビナを掴ませ、私は潅木と竹を掴んで肩と手で遭難者の身体を下から押し上げる。いよいよ転落した最後の岩に差し掛かり、既に遭難者の手は岩の上にあるのだが、そこで全く動けなくなった。そうしているうちにPWDが到着。すぐに上から遭難者を引っ張り上げて貰った。PWDが遭難者に食料を与え休憩を取らせている間に、私はもう一度下降して散らばっている遭難者の持ち物を纏め、最後に妻のザックをカラビナでロープに固定し上り返し、上からザックを引き上げた。引き上げたザックの内容物をPWDと分け、さらに遭難者のザックを軽くする。
十分に休憩を取り、03:42千本峰に向けて三人で歩き出す。歩き始めてすぐ、遭難者の両膝に殆ど力がないことが判明した。よく言う「膝が笑った」状態になっているのだ。彼が転落の後に登山道まで這い上がれなかったのは、膝に力が入らないため足場が確保できず、さらに足を補うだけの腕力もなかったことが原因である。膝のトラブルは高齢者には珍しくない。転落時に打ち付けて発生したものとは思えない。むしろ飯豊山から事故現場までの下山中に太腿裏側の筋肉が疲労したものと考えるべきであろう。実際治療時の感触ではこの部分の筋肉量が体重に比して少ないと感じられた。とすれば、今回の事故は起こるべくして発生したものであり、仮に事故現場を無事に通過したとしても、その先で転落する可能性が極めて強く、さらに休場ノ峰からの急峻な下降にはとても耐え切れず、途中で動けなくなり救助を求めざろう得なかったと考えられる。飯豊連峰は他の山域に比べて大きな体力が要求されるが、その中でもダイグラ尾根は1〜2を争う長大なコースであり、それゆえにエアリアマップでは上級コースに指定している。ともあれ、三人でゆっくりながらも進む。岩場に差し掛かると、かなり苦労しながら何とか上りきった。飯豊連峰の登山コース上の岩場は技術的には問題のない所ばかりだが、せめて三点支持程度は基本の基本としてマスターしておく必要があるだろう。
千本峰北峰で重大な判断を迫られた。この地点は周囲に障害物がなくヘリコプターがホバーリングして吊り上げ作業を行うにはうってつけの場所である。下からは05:00頃に防災ヘリもがみが、こちらに到着する予定で作業が進められているとのことである。できればここから動かないで待つのが上策である。しかし、問題は天候である。眼下は雲海が広がっている。一方、飯豊山を始め主稜線は黒い雲に覆われている。現在の場所だけがヘリによる救出可能ポイントなのだ。ところが、上部の黒い雲が僅かながら下降し始めているのだ。この雲の中に包まれた段階でヘリによる救出は不可能になる。遭難者の膝はダイグラ尾根の急降下に間違いなく耐えることはできず、背負いによる搬出が必要になる。この場合は10数人の救助隊を新たに編成することになり、隊員勤務先の突然の理解など問題が山積する。さらに下山は夕方まで掛かる可能性があり、一晩山中で過ごした遭難者に肉体的精神的に大きな苦痛を与えることになる。できれば一気にヘリで救出を行いたい。GZKに天気図や衛星による雲の分布等から判断材料を求めると、まもなく雨が降るだろうとのこと、GZKも判断の重要性が分かるだけに慎重である。飯豊連峰の超ベテランであるNOOに経験上の助言を求めるが、やはり極めて微妙な判断という返事である。私達が雲海の上に出てから現在までの状態を比較すると、多少の上下はあるものの全体として高度が下がっている。一方、稜線上の雲は色が黒っぽくなって、この数10分間に高度を下げるのが早まっている。とすれば、とにかく高度を下げる方が良い。だが、樹林帯に入ることになれば樹木が邪魔になり吊り上げの危険性は高くなる。これまで県警ヘリがっさんによる救助は経験数が多いので、性能の検討はつくが、もがみに対しては私の経験数が限られておりその限界が明確でない。ただ、梶川尾根やダイグラ尾根で樹林帯でも吊上げを行っている実績と、風が殆どない現状なら不可能ではあるまい。悩みぬいた末、遭難者の両膝を膝バンドでしっかり固定し、休場ノ峰に向けて下降を開始した。04:45タイムアップと判断、PWDに少しでも樹木のない場所の選定を頼み、吊り上げの準備に取り掛かる。準備が完了すると同時に爆音が聞こえ、地蔵岳方面に小さくもがみが視認できた。無線でこちら現在位置とヘリから確認できるポイント、発煙筒を焚く旨を連絡すると、もがみから内容を確認した旨の無線があった。ある程度もがみが近づいた時点でPWDが発煙筒に点火し高く掲げると、もがみから私達を発見した旨の無線が入った。私は左手で遭難者を指して「この人が遭難者です」と無線で伝え、PWDと共に退避した。もがみは私達の上空を軽く旋回すると、頭上に停止して隊員が下降してきた。相変わらず目をあいているのが切ない程の強風である。もがみの隊員はワイヤーを外すと遭難者に救助用具を着けようとするが、膝バンドを外した遭難者は強風の中で立っていることもままならず、少々てこずっている様だ。隊員から私に手招きがあり、駆け寄るとザックは搬送できないので人力で下げて欲しいとのこと、ザックを片手で引きずりもとの場所に戻る。準備ができると二人にワイヤーを掛けて吊り上げ作業がはじまった。二人の足が地上をはなれる瞬間、遭難者がこちらを向いて頭を下げた。ワイヤーが巻き上げられていく途中、激しく風に揺れるブナの枝が途中で二人に絡み、必死に枝を振りほどいている。なる程、これではザックの吊り上げは無理である。性能においては、がっさんと比較にならない程に優秀なもがみも、必死になって救助作業をしてくれているのだ。吊り上げに成功し二人を機内に収容したもがみは、一度私達に機首を向けた。思わず敬礼で感謝の気持ちを表し、向きを変えるもがみにPWDと手を振る。
何時ものことだが、二人きりになると祭りの後の静けさが一挙に訪れる。と突然、救助作業の終了を待ちかねていたかのように、ザーと音を立てて雨が降ってきた。雨の中、遭難者のザックをそれぞれ自分のザックに重ねる。後は下るだけだが、ダブルザックは腰に来る。事情を察したNOOが、二次隊を上げるか尋ねてきた。ありがたく1名の派遣をお願いする。雨は降ったり止んだりを繰り返すが、面倒でカッパを着る気にもならない。05:52〜56休場ノ峰で食事を採る。ようやく道脇の花にも目が行くようになる。ハクサンオミナエシ・オクモミジハグマ・ホツツジ・ミヤマママコナなどが咲いている。06:31〜40長坂清水で食事を採る。06:53〜07:07御池ノ平で二次隊の隆蔵氏と合流。差し入れの桃を食べザックを渡すと、彼はゼンマイ採りの要領で3個のザックを積み上げ1本の紐で担ぎ上げた。あとは三人でのんびりと下山、07:47桧山吊橋を通過し、07:56林道終点の砂防ダムに到着すると、高橋救助隊長を始め関係者が出迎えてくれた。

もがみは北東の山の間から現われた 私達を発見し頭上でホバーリング
隊員が1名ワイヤーで降りてきた 強風で周囲の木々が激しく揺れた
左手枯木が邪魔になっている 遭難者に吊り上げ用具をセットする
二人で1本のワイヤーに吊り下がる 枝と格闘しながら巻き上げる
吸い込まれるようにヘリに向かって上昇していく
無事に収容は完了した 疲れきったPWD(休場ノ峰にて)

後日談:熊狩りの方に休場ノ峰の獣の話をしたところ、間違いなく熊で、それもある程度経験を積んだ熊でないか。恐らく、その鞍部は熊の通り道であり、私の通り過ぎるのをすぐ脇で待っていたのではないかとのことであった。