登山者情報569号

【2001年8月15日/梅花皮小屋遭難/井上邦彦調査】

3人パーティで大日杉小屋から入山し本山小屋に宿泊、14日大日岳を経由し梅花皮岳を下山中に、以前痛めた右足靭帯が再発したらしく、15日起床したら階段が下りられない状態となった。05:00、OTJとGZKの交信で救助要請があり、ODDから有線で小国警察署に連絡があった。行程に不安があるので、2人は予定通り梶川尾根を下山した。負傷者はOTJと梅花皮小屋で救助のヘリコプターを待つこととした。
防災ヘリもがみは神町(山形空港)でフライトの準備に入ったが、雲のため出発が出来ない。ようやく07:06神町を飛び立つが、雲が多く長井のヘリポートに着陸して気象条件が良くなるのを待った。梅花皮小屋は雲海の上に朝日連峰まで見える程に好天なのにと歯軋りをする。GZKが山小屋や移動中の登山者さらには地上局から気象条件を集める。08:50ようやく長井を飛び立つ。08:59OTJともがみの直接交信が始まる。OTJ「薄いガスがあるものの視界は良好、風は通常と異なり北から吹いている。小屋の西側に負傷者がいる」、本山小屋のEHJから「各局この周波数を確保しましょう」と提案がある。各局は次々と「了解」する。OTJ「回り込んでいるのを確認しました」「いま手を振っているのが負傷者です」と報告し、もがみから確認した旨の回答が来る。もがみはホバーリングした状態で梅花皮小屋の北股岳側にいる負傷者を吊り上げる。09:11無事搬送が終了、OTJともがみから各局に対し、お礼の無線が送られる。NOO・PWD・ODD・GZK・BWH・EHJ・HZUが了解と回答。09:18自宅の上をもがみの爆音がする。見上げると負傷者をスポーツ公園に搬送中であった。

【2001年8月07日/梶川尾根遭難/井上邦彦調査】

18:40藤田栄一より「梶川尾根で遭難発生」と電話があり、小国警察署に出向く。飯豊山荘との電話は衛星電話なのでコツが必要だ。無線と同じように一方的に送り、次に相手から一方的に送ってもらうのが良い。相変わらず情報は入るたびに内容が変わる。
情報収集の結果、「福島県川入より入山し、飯豊山・大日岳を経由し、北股岳から約200m程下った所で(当時の情報では門内小屋と扇ノ地紙の間)、隠れていた石の上に足を置き、石が動いたため足を捻ってしまい捻挫(結果は打撲、内出血の捻挫)したとのことである。メンバーは男性4人・女性3人計7人パーティで、全員60歳前後。負傷者は体重50kg弱の女性。自力で下山し、15:00頃に五郎清水で分かれ、女性2人が先行して下山し飯豊山荘に助けを求めた。」と判明した。18:55連絡者から正式に救助要請を確認した。
救助のポイントは、「@状況を確認するために無線を持った隊員を現場に派遣する。A捻挫はきちんと処理されているか、固定用具を上げて処理したい。B担ぐ必要が生じている場合の対応をどうするか。」の3点である。
たまたま民宿奥川入を予約していたので、QVHが山荘まで迎えに来たとのこと連絡が入る。これ幸いとQVHを1人先発隊として出動を要請する。さらに用務から帰ってきたPWDと私が追いかけることとし、自宅に戻りばたばたと準備をして自分の車で飯豊山荘に向かう。山荘付近で登山者と会い、遭難者パーティのメンバーであること確認し、話を聞こうとするが、要領を得ない。
20:21ヘッドランプを点けて1人で天狗平の駐車場を出発。「お〜い」と大声を上げると、返事がある。急坂を登り始めてまもなく、下山中の遭難者一行に合流する。遭難者はゆっくりながらも自力で下っている。QVHによると電池切れなのでライトを貸しているというが、それでもライトが足りない状態である。遭難者の足元を照らしながら、無事に湯沢に到着。
ただちに遭難者一行は民宿奥川入に移動することとし、奥川入で先行者と合流。ここで私は帰宅、お土産に貰ったQVH手作りの岩魚燻製で晩酌となった。