登山者情報650号(投稿)

【2002年07月23〜25日/梶川尾根〜ダイグラ尾根/太田俊蔵調査】

23日
昨日のうちに準備し早く出発する。ザックの重さ、自分17キロ、妻12キロ。小国の道の駅で小休止。登山口(天狗平)の駐車場で朝食(おにぎりなど軽食)、登山者カードに記入。ダイグラ尾根を登り完全縦走し、丸森尾根を下るという登山者に会う。梶川尾根に取り付くと、急な坂、途中3回小休止、凍らしたポカリスエットを車に忘れてきたことに気づきガッカリ。高度グングン上がる、梶川峰が見えてくる。湯沢峰を過ぎ、急な坂、途中4回小休止、暑い。五郎清水で神戸の10名パーテイが休んでいた。同じコースを取るとのこと。コーヒータイム、水補給、水場までロープが張られており、登り降りに助かる。すげ傘をかぶった人が追いつき、水を補給し直ぐ出発して行く。東京の4人パーテイを追い越す、途中1回小休止、梶川峰に着く、着替えしさっぱりする。途中2回小休止、緩やかな道が続き、花が多くなる。地神山から北股岳、梅花皮小屋へと続く稜線がガスの切れ間から見える。扇ノ地紙でラーメンと餅で昼食をとる。山形市のフレンド局にCQするが応答なし。胎内山で先ほどの健脚者(新潟の人)に会う、門内小屋まで4時間で登って来たとのこと。門内小屋でアクエリアス2個買う、一個400円。水場から水を補給する。登山者はみんな梅花皮小屋へと急ぐ。途中1回小休止し、ニッコウキスケの群落をビデオに撮る。北股岳山頂に着くとトンボの多いのにびっくり、JN7TYH局と無線交信。梅花皮小屋は清掃協力費一人1,500円。管理人からダイグラ尾根では水の補給が出来ないので、御西小屋の水場から持っていくようにアドバイスされる。梅花皮小屋の近くの水場では、冷たい水が豊富に出ている。水を沢山飲む、顔と体を拭き生き返る。梅花皮小屋のトイレは水洗で快適である。梶川尾根で追い越した、東京の4人パーテイがテントを張っていた。早めの夕食を採る。夕食後山形市大の目交差点辺りを走行中のJO7BDA局と無線交信、山形市中心部には繋がり難いようだ。ダイグラ尾根を下るという神戸のパーテイのリーダーに、秋田から来た登山者が、難コースなので大日杉に下るよう忠告している。
24日
今日は飯豊連峰の最高峰大日岳に登る計画なので早めに出発する。梅花皮岳ではご来光が素晴らしい。東京から来たと言う若い登山者が上がってくる、互いに写真を撮り合う。彼は三国小屋泊りの予定。剣岳にベースキャンプをはり、一週間ほど滞在してきたとのこと、帰ると又剣岳に行くことなど話しており、ベテランのようである。
烏帽子岳で梅花皮岳の道標の上に忘れてきたカメラを、浜松から来た登山者が届けてくれる、感謝。3人で朝食を摂る。御手洗ノ池で小休止。ピラミッド型の飯豊山の雄姿が素晴らしい。天狗ノ庭は、草地の中に広場あり。ここまで途中、何箇所か雪渓あり、昨日ダイグラ尾根を登ると言った人に逢う。御西小屋に泊まったとのこと、ダイグラ尾根はサウナに入った様に暑く、4リッターの水を飲んだとのこと。予定より早く御西小屋に着く。管理人から大日岳には3時間ぐらいで往復出来るので登ってくるように勧められる(出来れば西大日岳まで行ってくるように)。小屋にザックをデポし浜松の人と一緒に登る。山頂で写真、ビデオを撮る。山形市方面に無線繋がらず。西大日岳まで20分程掛かりそうなので諦め、御西小屋に戻る。小屋には神戸と東京のパーテイが休んでいた、大日岳登山は諦めたとのこと、まもなく飯豊山に向け出発して行った。昼食は中華丼と味噌汁、それにコーヒー。本当に美味しかった。明日、ダイグラ尾根を下るのに水が心配なので管理人にお話し、1リッターの空ペットボトルを頂く。これが無かったらダイグラ尾根を下るのに大変苦労したと思う。西大日岳付近には、夫婦の熊が現れると言う。又昨日丸森尾根で登山者が熊と遭遇した事などを聞く。山形市のJN7XUV局が無線で呼んでいる、応答するも繋がらない、残念である。管理人から長者原の越後屋の岩魚の刺身は美味しいと教えてもらう。御西小屋に長居してしまう、急にガスに覆われ飯豊山へと急ぐ、穏やかな草地の中、駒形山のピークを越え、大きなゴロゴロ石の飯豊山に着く。山形市のJN7XTP局と、JN7VSW局と無線交信、フレンド局と繋がると本当に安心する。本山小屋は協力費一人2,000円。早めに夕食を取る。7時半頃来た登山者あり。8時就寝、隣の人寝袋の上で運動を始める、眠ったと思ったら高鼾をかく。妻は熟睡しているようだ。寝付かれずウトウトし夜が明ける。
25日
起きると強い風が吹いている、雨も降ってきたような気配。朝食を済ませてから出発することにする。外に出てみると空は明るく天気は良くなりそうである。水をペットボトルに一杯にして出発する(2リッター1本、1リッター1本、500ミリ1本、350ミリ2本、ポカリ350ミリ1本)。食料が減った筈なのに、ザックの重さはあまり変わらないような気がする。これから厳しい尾根歩きになるので、ビデオ、無線機、ウエストポーチなど、全てリックに入れる。飯豊山々頂、これから下るダイグラ尾根の稜線がはっきり見える。ブロッケン現象を見ることが出来た。
(独身時代の昭和35年7月にダイグラ尾根コースを下ったことがある、大きな岩を上り下りして、9時間30分掛かり非常に疲れて飯豊温泉に着き、一泊したことのみ記憶にある)。
飯豊山から少し下ったところに「丸太の道標」が転がっていた、山頂の分岐に無かったので、こんな所まで飛ばされてきたのだろうかと思う。飯豊山からの下りで妻が木の根に躓き転んだが、大事に至らず安心する。ゴロゴロ石で歩き難い。両手を使ったほうがバランスを取りやすいので、杖とピッケルをリックにくくりつける。やせ尾根、大きな岩の登り下り、三点支持の連続である。足場が狭く、ザレ場のトラバースは草や、木に掴まり三点支持で通過する。失敗すれば深い沢に転落する。宝珠山の岩稜を過ぎてからしばらくして、スタスタと登ってくる登山者に会う、麦藁帽子をかぶり、小さなリックに軽登山靴、背の高い頑丈な男性である。よほどのベテランと思う。今日登ってきた人はこの人のみであった。何箇所か大きな岩を越さなければならず、ホールドを岩に取ったり、木の根に掴まったりしながら千本峰に着く。途中で神戸の10人パーテイを追い越す、飯豊山を04:30に出発してきたとのこと、人数が多いとどうしても遅くなりそうである。千本峰からしばらく下ったところで昼食を取る。登り下りを繰り返し休場ノ峰に着く。休場ノ峰からは急降下の連続で、木に掴まったり、後ろ向きになったりして下る。水場で5人パーテイが食事をしていた。水を補給する。水場までの登り下りが急で足場がなく大変である。梶川尾根の水場、五郎清水のようにロープが張られておれば大変に助かると思う。この水場の水は枯れるという。今日は幸い水が出ていた。パーテイの一人が、額と鼻に赤黒の血のりが付いており怪我したようである。山頂付近で転倒したとのこと。先を急ぐ、沢の音がだんだん大きくなり吊り橋に着く、今日初めてビデオを撮る。吊り橋を渡った所で道が分からなくなる、ピンクのテープが上流に付いており踏み跡もはっきりしているので7分ほど歩いたがだんだん分からなくなる。吊り橋に戻り下流の方を見ると吊り橋を降りた所の大きな岩に薄く消えそうなったペンキの→印が見つかる。沢水で顔と体を拭く。自分は時間に余裕があったので落ち着いて探せたが、これから下山してくる神戸の10人パーテイ、東京の4人パーテイは暗くなると迷いやすいと思った。川沿いの登山道に出ると立派な道標が有り、しばらくして林道に出た。ここにダイグラ尾根コース入口の道標が無く、登る人には分かりにくいと思った。林道歩きをして、石転び沢コースとの分岐に着く。しばらく歩いているとトラックが来て、飯豊山荘まで乗せてくれた、疲れていたので大変助かる。写真で見る山小屋の管理人藤田さんでなかったかと思う。飯豊山荘の風呂で汗を流し、登山者カードに記入し帰路につく。
店主の本間信義さんが料理を説明してくれる。そばとうどん、岩魚の塩焼き、寒風岩魚の刺身で飯豊連峰登山の成功を祝う。夫婦で飯豊連峰に登る夢が実現できて満足である。これもインターネットで知ることが出来た登山者情報、また小国山岳会の事務局を担当している高橋弘之さんの適切なアドバイスが有ったからと感謝している。

23日:飯豊山荘05:30-07:30湯沢峰07:45-09:15五郎清水09:45-11:00梶川峰11:15-12:10扇ノ地紙12:50-12:57胎内山13:02-13:15門内小屋13:35-14:45北股岳05:00-15:15梅花皮小屋(泊)
24日:梅花皮小屋04:05-04:32梅花皮岳04:45-05:01烏帽子岳05:35-06:22御手洗ノ池06:35-07:04天狗ノ庭-07:58御西小屋08:20-09:36大日岳09:52-11:00御西小屋12:40-14:10飯豊山14:18-14:44本山小屋(泊)
25日:本山小屋05:18-05:33飯豊山05:38-08:00宝珠山の岩稜08:20-10:24千本峰-10:41休憩11:00-12:00休場ノ峰-14:20檜山沢吊橋14:50-15:40飯豊山荘