登山者情報935号

【2005年07月23日/石転ビ沢遭難事故/井上邦彦調査】

始めに一言お礼を申し上げます。
当日は私どもの隊員の確保が難しく、偶然当地で救助訓練を行っていた山形県警察山岳救助隊に、彼等がようやく確保した貴重な訓練日程を中止していただき、2日間に渡り実際の遭難救助作業に従事していただきました。彼等の多くは始めの訓練参加であり、特に23日は技術を習得する機会も与えず危険な現場で搬送作業に従事いただいたことに対し、飯豊朝日山岳遭難対策委員会山岳救助隊副隊長として、深くお詫びとお礼を申し上げます。今後は共に手を携えて研鑽を重ね、登山者のさらなる安全に寄与していきたいと思います。

7月22日16:50頃「石転ビ沢で滑落事故」の第1報を受け、バタバタと仕事(本業)を片付け小国警察署に向かう。
状況は、男性2名女性3名のパーティが中ノ島(草付キ)付近を登高中、男性が滑落し雪渓の亀裂で止まった。たまたま通りかかった登山者が呻き声で遭難者を発見して、梅花皮小屋に連絡をした。梅花皮小屋の当日の管理人であるODDが現場に向かった。遭難者の位置は中ノ島(草付キ)の登山道から北側に小沢と小尾根を越えた急峻な雪渓上で、直角三角形を立てたように切れ込んだ、亀裂のでき始めであった。落石が頻発する雪上なので、ODDは何とかして登山道まで遭難者を移動させようとしたが、体位を僅かに変えるだけで激しい痛みを訴えたため動かせない。仕方なく小屋まで3往復して、ブルーシートを敷き発見者のエアマットを借りて敷き、さらに小屋から2枚の毛布とツェルトを持ってきて防寒対策と雨対策を行い、小屋に戻った。
状況からして現場で作業を行える者は限定されてくる。片端から救助隊の主メンバーに電話を掛けるが、平日であり出動できるメンバーが確保できない。昨日に続いて訓練中の山形県警察山岳救助隊を出動させることとした。しかし、衛星携帯のため充分にこちらのデータが伝わらない。とりあえずゲートの鍵と組み立て式担架(スクープストレッチャー)を今夜中に天狗平ロッジまで届けてもらうこととした。天狗平ロッジからは午前2時に出発し現場に向かう旨の連絡があり、私は自宅に戻った。
02:30目覚ましが鳴る。山用具をザックに放り込み、コンビニ経由で天狗平ロッジに向かう。約束ではロッジで鍵を入手できる筈だが、既に全員出発してしまったようだ。仕方なくゲートでザックを整え、ここから歩く覚悟を決める。すると1台のワゴンが下りて来た。担架を忘れたので持ちに着たのだという。ともあれゲートを開けて貰い、自分の車で林道に入る。

03:52砂防ダムに車を停め、迷ったが軽登山靴とアイゼンをザックから抜いて軽量化を図り、スパイク地下足袋のみで階段を上り始めた。直後に頭上から私を呼ぶ声が聞こえた。県警本部の樋口さんである。彼は砂防ダムの上で、雨の中カッパを着て一人で衛生携帯・警察無線・アマハムを持って中継並びに指揮を受け持っているのだ。ここで先発隊(県警救助隊)の状況を聞く。彼らは担架ではなく、レスキューハーネスで搬送するつもりである。遭難者の状況と私の意図が充分には伝わっていないと直観した。ともあれ彼らは02:00にゲートを出発したとのことである。
04:12うまい水を通過する。04:38梶川出合は全て最短コースを選び、足を濡らさないように飛び跳ねる。梶川で水を汲み残雪の下部を巻いて夏道に出た。無線で先発隊の様子を聞きながら、途中で追いつくことを確信する。
05:01-10石転ビノ出合、梅花皮沢右岸の水場で休憩している先発隊と合流し、お握りを頬張りながら、PWDに持参している装備を確認する。ここで無線を非常通信に切り替えることとし、いちいち周波数を変えている手間が惜しいので周波数を固定した。昨日の捜索作業中にも、故意の妨害電波が何度となくあり、作業の障害になった。しかも今回の妨害電波は「お前らの交信は電波法違反だ。訴えてやる。今すぐ止めろ」と主張し、こちらの無線機を使用できなくする行為であった。昨日は捜索でもあり、1回毎にメンチャンで呼び出し、サブチャンネルに移動して会話を行っていた。私達の交信が電波法違反と主張するのなら、堂々と告訴をしてもらいたい。その上で、人命を左右する救助作業を故意に妨害する行為が電波法の趣旨に照らして適切なものかを問いたい。我々が何故アマ無線を救助作業に使用しているかは折があれば書いてみたい。
ともあれ夏道を辿り雪渓に出た所で、アイゼンをつける彼らを置いて先行することにした。レスキューハーネスを持っている菅原隊員とロープを持っているMESの両名だけは全力で私について来るように伝え、他の隊員はPWDがルートを指示しながら(まだ訓練途中であり、各自が単独で行動できる実力にはなっていないと判断)登ることとした。
ホン石転ビ沢出合は亀裂が縦横に走っている。MESに無線で私の姿が視認できるか確認し、私のルートの通りに登ってくるように指示する。
06:25-30北股沢出合の清水はまだ埋もれている。お握りを頬張り、ストックをデポしてピッケルを抜く。黒滝の左岸に登り、まだ雪渓がしっかりしていることを確認する。北股沢出合の黄旗を確認すること、MESと菅原はそのまま雪渓を登ってくること、他の隊員は北股沢出合で待機することを無線で伝えた。その後、ホイッスルを咥え私の場所を明確にして、その後を追う様に指示する。
ODDが梅花皮小屋から現場に向かっている。菅原隊員が追いついてきたので、中ノ島(草付キ)末端に上がり、アイゼンを脱ぎ手に持って登らせる。
ODDが現場に到着した。無線で「残念です」と一言だけ送信してきた。それ以上の言葉は要らない。無線機からは、遭難者の状態を確認する会話が聞こえてくる。私の頭の中では、搬送方法の作戦立案が始まった。悲しんでいる暇はない、如何に隊員の無事を確保しながら速やかに遭難者を家族の元に届けるか、それだけである。
左手に水場を眺めひたすらに登ると、07:08登山道にODDが一人立っていた。早速、現場を確認する。小尾根上にある登山道から右の涸沢に入り小尾根を越えると、人工的と思えるような巨大なテラスに遭難者が横たわっていた。「苦しかったのだろう・・・」ODDが悔しさを滲ませて、ブルーシートがはだけて毛布が露出している様を説明した。私は合掌しながら、心の中で「ODDご苦労様」と呟いた。鈍い音がした、大きい。「落!」と叫びPWDに様子を尋ねると、途中で止まったようである。プラスチック手袋を付け、その上に軍手を着ける。どこまで感染予防の役に立つか分からないが、気分だけでも違う。
作業を始める前に、写真撮影が必要である。カメラを持っているMESはまだ到着しない。現場判断で、菅原隊員に手伝ってもらい私のカメラで状況を撮影する。なお、MESが到着した段階で正式な撮影を行っている。デジカメでは証拠写真にならないので、今後は私が使い捨てカメラを持参する方法も検討すべきかもしれない。
菅原隊員にレスキューハーネスを出すように指示すると、出てきたのがなんとヘリ吊り上げ用のレスキューシートである。思わず罵声を浴びせる。しかし彼らは今回の訓練で搬送方法を習う訳で、まだ分からないのも無理がない。「梅花皮小屋にレスキューハーネスがあるはずだ。今すぐに持って来れないか」ODDに相談する。ODDが小屋にいるBPZに無線連絡し探して貰う。「HZUが登った方が早い」との助言で小屋に向かう。視界がないので分からなかったが、すぐに登山道が終わり急斜面の雪渓斜上になる。登山道に見るからに新しい大きな穴が開いていた。方向からして先ほどの落石の跡と思われる。雪渓斜上は足場がしっかりしており32歩、まもなく融けてなくなるだろう。
草付キノ広場で下ってきたBPZからレスキューハーネスを受け取り、現場に戻る。早速、ハーネスを遭難者に装着する。作業の途中で隊員が1名足を滑らせた。かろうじて途中で止まったが、あと数10cm落ちていれば危ないところであった。後から追いついた隊員がピッケルで搬送用の足場を小尾根に切る。通常ならば自然公園法違反であろうが、緊急事態として黙認していただくしかない。
確保も何もなし、遭難者を背負ってバランスを失ったら助かる見込みはない。広いようで狭いテラスである。また何時落石が飛んでくるか分からないが、作業を始めれば逃げることは不可能である。確実に素早く処理しなければならない。
遭難者を仰向けにして、その上に私が横たわり両手を背負いバンドに通す。手伝ってもらいゆっくりと身体を回転させうつ伏せになる。両膝を腹部に持ってきて、両手を伸ばし、膝を立てて立ち上がる。本来なら補助者に頼るところであるが、なにせ狭いテラス、少しでもバランスを崩せば終わりである。補助者の力加減も微妙である。何とか立ち上がろうとした時、遭難者が2度呻いた。「生きている?いや、そんな筈はない。でも生きていてくれていたらこんなに嬉しいことはないのだが」呻きと共に腐敗臭が襲ってきた。ともあれ担ぐしかない。
ピッケルを持って雪渓から足場に移動する。一歩一歩慎重に移動する。隊員が1名足場を崩し転落した。幸い涸沢に落ちたので、怪我らしい怪我はないだろう。隊員を構っている余裕はない。現場では全てが自己責任である。
何とか登山道に出て、両側から支えてもらい遭難者を降ろす。遭難者の顔面は全く血の色がない。鼻から出血したようだが今は止まっている。私の私物缶から三角巾を出し、遭難者の顔を覆う。露出している両手は各々三角袋で覆う。
残った問題は遭難者を覆っていた毛布や彼のザックをどうするかである。同行者の男性も現場に降りて来ていたが、とても彼らに運ぶ余裕はない。リーダーを失った彼らの安全をどのようにして確保するかも軽視できない問題である。幸いAJKとBPZが小屋に登ってきていたので、4名は彼らのパーティに編入し、梶川尾根を下っていただくことにした。荷物はブルーシートに包み、私達が降ろすこととした。
いよいよ遭難者の本格的な搬送が始まる。ここからはガレた登山道である。私が後ろからロープで確保することし、始めにMESが担ぐ。ブルーシートの荷物は二人がかりで運ぶ。とにかく北股沢出合まで下れば、他の隊員が待機している。そこまでの頑張りである。菅原隊員とMESが交替しながら担ぎ、中ノ島(草付キ)末端でアイゼンを着ける。ここでブルーシート荷は置いていって貰い、私は硬い雪にピッケルのピックを刺し込み、シャフトを足で踏みつけ、シュリンゲとカラビナを使いピッケルを支点にグリップビレイを行った。
ロープ40mが伸びきった所で、PWDが確保を交替し、私は途中の亀裂を避けながらブルーシート荷を引きずって下降する。北股沢出合で全員集合し、交替で遭難者を背負って下る。レスキューハーネスを始めて使用する隊員も多いが、お互い教えあってスムーズに進む。私とPWDは全体の流れを見ながら必要な指示を出す。「実践さながらの訓練」という言葉があるが、「実践による訓練」になっている。搬送者(背負者)、確保者、ロープがスムーズに流れるよう整理する者、先行して亀裂の状態を探りルートを導く者、次に担ぐべく待機する者、空中の交替(レスキューハーネスの場合は遭難者を地面に置かないで背負い者が替わる)時に素早く肩を抱える者、上部からの落石を監視する者、搬送者の荷物を担ぐ者、遭難者の荷物(ブルーシート荷)を運ぶ者、各々が役割を分担し合って下る。
ホン石転ビ沢出合が近くなった段階で、確保者を私が担当する。この付近は深く口を広げた亀裂が幾つもある(23日には通過できなくなっていた=第936号)。慎重にルートを取る。此処まで来ると隊員はすっかり慣れた手順になっている。石転ビノ出合が近くなると再びガスが濃くなってきた。
夏道に出た所でアイゼンを脱ぎ、休憩を取る。休んでいると雪渓からの風が濡れた身体を冷やす。水場まで下り、ここでヘリを待つことにした。無線からは防災ヘリ最上と県警ヘリ月山が向かったが、宇津峠で雲に阻まれ小国町に進入できないとの連絡が聞こえてくる。雨はすっかり止み、時折陽が差し始め視界も開けてきたと喜ぶと、またガスが濃くなる。
何とかヘリによる搬出を依頼するが、最上のエンジンがトラブルを起こしてフライト不能と連絡が入る。隊員に尋ねると、食事は朝にお握り2個渡されたのみで、既に食い尽くしている。皆、疲れ切った様子で思い思いに休んでいる。頭の中でこれからの搬出計画を検討する。ヘリが使用できない場合は、遭難者を担いで夏道を下るしかないが、すぐに最難関の赤滝のトラバースが待ち構えている。部分的に潅木から支点を取ることができるが、足を滑らせた場合は、うまくいっても5〜10mの転落は免れない。道の下はほぼ垂直の岸壁である。止めても吊り上げるのは困難であり、下に降ろせば激流が待っている。さらにその先は支点なしで滝を下ることになる。県警救助隊は既に体力を使いきっている。担ぐことができるのは私以外には見当たらない。その場合、確保はPWDに行ってもらうことになる。担いでいる間、足場からして隊員が私に近づいてサポートするのは危険すぎ、全て私一人で担ぎ通す必要がある。
問題は、現在地の石転ビノ出合から一歩でも移動した場合、ヘリコプターによる搬送は不可能になり、最後まで人力による搬送になる。私の体力は赤滝の通過で尽きるだろう、その場合隊員が担ぐしかないが、赤滝を越えても難所は幾つも出てくる。今の隊員は自分の身体を下山させるのが精一杯であり、婆マクレなどトラバース道では確保が取れず、無理して搬送させた場合は遭難者もろとも激流に転落する可能性が高い。
ここまで整理した段階で、無線により「隊員は食料が尽きて空腹状態、体力的に赤滝を通過することは無謀と思われる。再度ヘリのフライトを頼む」と送信した。これを受け本部では新たに救助隊員の招集と食料搬送の準備を始めた。砂防ダムにいる樋口さんから「ヘリコプターは雲に阻まれ進入するルートが見つけられない。従ってフライトはできない」との回答が届いた。
休んでいた岩陰から出てPWDと顔を見合わせる。二人が出した結論は同じであった。「遭難者をここに安置して、天候が回復する明朝にヘリで搬出する。必要ならヘリが来るまでここに何名かを残す」すぐに本部にその許可を求める。本部の結論が出るまで、ずいぶんと長い時間が経過したように感じた。ようやく本部から許可が出た、安置の場所は既に小沢のほとりで雪渓に囲まれた場所に決めている。枯れた柴を集めて敷き詰め、ブルーシートと毛布を敷き、遭難者を横たえ、さらに毛布とブルーシートで覆い、隅を石で固定した。樋口さんのアドバイスで気温を測定すると、土の上で20度、遭難者の脇は16度であった。
本部から「食料を搬送する。その他に現地にビバークする隊員を送る。遭難者が所属している山岳団体から数名が来署しており、ビバークに同行する」旨の連絡があった。県警救助隊員は本日が訓練最終日で、県内各地に帰ることになる。ビバーク隊が到着するまで私とMESが残ることとし、他の隊員は下山の準備を始めた。
ひょっこりとAXLが顔を出した。急を聞きつけ本山小屋から駆けつけて来たと言う。今晩当直のMESも下山してもらうこととし、私とAXLが残ることに変更した。樋口さんから「宮城県警ヘリ松島の出動を依頼した。馬力もありフック方式だが吊り上げ作業ができる。月山と共に再度進入を試みる。ただし期待はしないで欲しい」と無線があった。AXLと二人になり、クッキーを食べながら時間を潰す。念のためヘリ吊り上げ用のハーネスの使い方を確認する。
「進入に成功」樋口さんからの無線があった。すぐに爆音が聞こえ、月山がガスの切れ間から姿を現した。慌てて雪渓に上がり合図を送ると、月山はUターンして戻った。樋口さんから「ヘリは現場を確認した」との無線が入る、ブルーシートを外し、毛布に横たえたまま二人で雪渓の中から遭難者を土の上に出した。先ほど確認したとおり遭難者にハーネスを着ける。再度月山が現れた。発炎筒を焚き、遭難者の側で合図を送る。ヘリが放送していているが内容が聞き取れないでいるうちに、また温身平方面に戻った。気象条件は目まぐるしく変化している。一瞬のタイミングを失すれば全てが水の泡となる。緊張感が走る。樋口さんと通信「2mの高さでホバーリングする。二人の力でヘリに乗せることができるか」「了解。可能だ」。三度月山が来た。眼前でホバーリングする。放送は聞こえない。開いたドアから搭乗員がハーネスを見せた。すぐさまこちらも遭難者に着けたハーネスのカラビナを持ち上げる。月山がゆっくりと近づいてくる。相変わらずの凄まじい風である。ワイヤーに付けたフックが降りてきた。カラビナをフックに掛けると同時に私とAXLは身を屈めたまま走り出し、安全エリアで見守った。私はカメラを出し、月山の作業を撮影する。月山は遭難者を仰向けに吊り下げたままゆっくりと方向を変え、一気に温身平方面に飛び去った。
嵐のような一時が過ぎ、思わずAXLと笑顔を合わせて握手する。相変わらずAXLは、私が何も言わないのに私の行動を読み、躊躇なく走る。眞に頼もしい救助隊員である。
「遭難者を砂防ダムの中洲に降ろすので、救助隊は現地に向かってください」無線が呼んでいるが、それは下山中のメンバーの仕事だ。残った荷物を集める。遭難者のザックに細々した物を詰め込み、私のザックに括りつける。ブルーシート・ツェルト・毛布はAXLのザックに詰める。出発間際にAXLが「ストックがない」と騒ぎ出した。私もストック2本を北股沢出合に忘れてきた(私のストックは後日ODDが回収してくれた)。探しても見つからない、諦めて雪渓を渡り夏道に入る。AXLは背中のザックから水が滴り落ちている。遭難者のザックも濡れたものが入っているので小さい割には重く、次第にバランスが崩れてくる上に、水が滴る。無線によると、結局ヘリはいったん砂防ダムに遭難者を降ろし、機内に収容して飛び立ったようだ。
赤滝を過ぎいい加減疲れが出てきた時に、EHJが汗まみれになって登ってきた。深夜勤務明けでうとうとしている所に出動要請があり、食料を運んできたとのこと。先行隊の残りのお握りを頬張る。AXLの私物をEHJのザックに移し、AXLは水が滴らないようパッキングし直す。3人で話しながらのんびりブナ林まで下った所で、GPN他1名が登ってきた。GPNに遭難者のザックを渡すと、背中が急に軽くなった。そのまま5人で下り、16:35砂防ダムに到着。2台に分乗し小国警察署に向かう。警察署で下山報告を行い、帰宅。

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