【2005年07月28日/門内沢(石転ビ沢)遭難/井上邦彦調査】
17:30頃、小国警察署長室で署長と話をしていた時のことである。「携帯電話から110番に、石転ビ沢上部で、疲れて動けなくなった。助けて欲しい」と連絡が入った。梅花皮小屋管理人をしているODDに連絡をし、石転ビ沢上部を捜索してもらうこととした。4名パーティで飯豊山荘から歩き始めて梅花皮小屋止まりの予定とのこと。私が直接電話を掛けるが、電波は一定しない。「小屋が見えたので目指した。雪渓が3つに分かれている所で真ん中を登った。体調の良い女性1名はそのまま雪渓を詰めたが、男性2名女性1名は雪渓から右の笹薮を登っている。稜線まで150m位だ」笛を持っているとのことなので、笛を吹いてもらうがODDには全く聞こえない。ODDは中ノ島(草付キ)下部まで下った。視界は良いが形跡はないとのことである。気になるのは先行した1名の携帯電話は、呼び出すが出ないことである。嫌な予感がする。県警ヘリ月山からフライトはできないとの連絡が入った。防災ヘリ最上は先日の遭難時より修理中である。
遭難者から「ビバーク体制に入る」旨の連絡があった。場所が特定できなければ手の打ちようがない、頭を抱える。視界の良さにある発想が閃いた。遭難者のライトを発見できる可能性はないのか。飯豊班長OXKが双眼鏡を持って樽口峠に向かった。GCSも天体望遠鏡を持って続いた。NOOは温身平から覗くとの連絡があった。樽口峠に到着した旨の連絡があったので、遭難者の携帯電話に電話を掛ける。しかし、反応がない!何度も掛け直すが全く反応がない。考えられることは、バッテリーがなくなったか、ビバーク体制に入った時に携帯電話の位置が先ほど通話した位置と僅かにずれたか(稜線では10cm動かしただけで通話不能になることがよくある)、バッテリーの消耗を恐れて電源を切ったか。ビバーク体制に入る前に、ライト作戦を遭難者に伝えなかったことを悔いた。それでも、なにかの弾みにライトを点ける事があるかも知れない。丁寧に確認作業をしてもらう。樽口峠から梅花皮小屋を経由して「梅花皮小屋のヘッドランプは肉眼でも確認できるが、遭難者の光は確認できない」と連絡があった。ライト作戦は失敗である。
すぐに、翌日の捜索計画を立案する。日の出と共に月山が飛び立ち現場を捜索する。状況からして月山による収容は無理だろう。福島県の防災ヘリが08:30にフライトする。後は地上班であるが、PWDは山形県警察山岳救助隊の訓練指導のため鳥海山に行っている。中央班からはHZU、警察署からMES他1名、飯豊班からGCSとNBW、朝日班からOTJ計6名が捜索に入ることとした。
翌29日03:00小国警察署集合し、署の車で天狗平に向かう。湯沢ゲートでGCS・NBWと合流し、ゲートから中に入る。既にマスコミの方々が待機しており、撮影を受ける。マスコミの方も早朝から大変である。
03:58林道終点の砂防ダムから歩き始める。現場が分からない以上、むやみに急ぐ必要はない。もう一度、皆で情報を整理し分析しながら歩く。梅花皮小屋のODDも無線で協議に参加する。昨日遭難者は「黄色い旗2つ、岩に赤ペンキの目印、雪渓に出る」と話していた。確か石転ビノ出合にあった岩の赤ペンキは私が昨年に消している。梶川出合にも黄色い旗と、赤ペンキがあり、僅かだが雪渓の名残がある、彼らが話したのは石転ビノ出合ではなく梶川出合ではないか。梶川出合と石転ビノ出合を勘違いした可能性も高い。04:20うまい水を通過する。ODDから、昨日登って来た登山者によると「石転ビノ出合より下で4名を追い抜いた。かなり疲れていた」とのことであり、4名は梅花皮小屋に泊まりたいとあらかじめ連絡があった者であり、昨日は注意して双眼鏡で覗いていたが、それらしい登山者は見ていないとの情報があった。また携帯電話で「右に滝があった。雪渓が3つに分かれている」に該当する場所は門内沢にある(これまで何度か救助・収容作業をおこなっている)。石転ビノ出合からは門内小屋が見えるので、これを梅花皮小屋と勘違いする人も少なくない。これらの情報を総合すると、石転ビ沢ではなく、門内沢に入った可能性が高く感じられる。04:47梶川出合で黄旗・赤ペンキ・雪渓の名残を確認する。
2003年6月17日(情報第717号)の現場に着くと、ここから門内沢と門内小屋が一望できた。ザックを降ろし、双眼鏡で覗いてみる。門内小屋から出ている尾根の途中に白い物が見える。岩のような気がする。突然、GCSとNBWが「白い点は動いている、人間だ」と言葉を発した。双眼鏡のズームを最大にして、ナメ棒に固定して凝視すると、確かに白い服を着た2人が見える。無線中継で小国警察署に連絡すると、確かに白い服を着ているとのことである。紺色の人間も見えた。間違いなく3人である。警察署から遭難者の携帯電話に発見したことを伝えてもらうと、必死でタオルを振っている。
さてもう一人何処かにいる筈である。丁寧に探して行くと、橙色の人間が小屋の直下に見えた。赤い服を着ているとのことなので、先行した女性であろうと判断し、無線で送る。女性は構わないでも小屋に辿りつくであろう。しかし、3人は小屋にはかなり距離がある。とても自力で藪を漕ぐことは無理と思える。体力の消耗を防ぐために、そこから動かないように連絡してもらう。
こちらは双眼鏡を見ながら待つしかない。現場まで下から詰めるには相当の時間と危険を覚悟しなければならない。門内小屋にはアマ無線がなく、黒川村役場と定時交信を行っている(情報第937号)。09:00の定時交信で連絡してもらうよう警察署に頼む。OTJが石転ビノ出合まで先行し、現場が見えるか確認することにした。
月山が飛んできた。当方の連絡が伝わっているのだろう、瞬く間に遭難者を発見し、その上空を旋回している。月山がギルダ原の下で遭難者1名を発見、状況からしてそちらを優先したい旨の無線が入った。私達が先行者と思ったのは、水を汲みに来た登山者だったようである。1名は尾根の陰になって私達からは見えない。発見に伴い福島県防災ヘリのフライト時刻が1時間早まったとの連絡が入った。
OTJから石転ビノ出合からの方がよく見えるとの連絡があったので、梅花皮沢右岸の水場に移動する。月山は小玉川小中学校グランドに着陸して防災ヘリを待つ。長い時間が経過したような気がする。ODDは梅花皮小屋から門内小屋に移動を始めている。腹に響くような重いエンジン音が聞こえた。月山も飛来し2機で現場周辺を何度も旋回する。防災ヘリが現場を確認した段階で、燃料が残り少なくなった月山は帰る。
防災ヘリは空中停止すると、ゆっくりと沢の中に沈んで行き尾根の陰に姿を消した。我々が想像していたより低い所のようである。やがて先行者を収容し再び浮上してきて飛び去った。無線からは小玉川小中学校に遭難者を降ろしたとの連絡が入る。今度は3人の番である。岩の上にいる3人にヘリの暴風に耐える姿勢を取るよう連絡して欲しい旨無線で送る。激しく周囲の笹薮を波うたせて防災ヘリが3人の上空に近づく。ワイヤーが伸び乗務員が降りていく。ヘリはいったん現場を離れ、再びホバーリングしてワイヤーを降ろす。乗務員が遭難者を抱きかかえるようにして、収容しヘリポートに向かう。我々の観察と共に、門内小屋から現場方面に降りているODDから、逐一報告が入る。あと1人になった時、燃料がなくなったので補給のため米沢に向かうとの連絡があった。日向ぼっこをしながらヘリを待つ。最後の一人が救出されるまでは、何があるか分からない。万一に備え現場の観察を続ける。やがて、再度飛来した防災ヘリが飛び去ると、私達も腰を上げ、下山することとした。
11:02砂防ダムに到着する。この先、温身平では「森林セラピー」の実験を行っている。途中で時間待ちをし、天狗平を後にする。警察署に顔を出し、帰宅して昼食を取り、出勤する。
ここから遭難者を発見した | 門内小屋から左下に伸びる尾根の 下部急斜面に注目 |
真ん中の白い三角が遭難者 | 遭難者を拡大する |
赤滝を越えて石転ビノ出合に移動する | |
石転ビノ出合 遭難者は右の門内沢に入った | |
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石転ビ沢上部 中ノ島(草付キ) | 石転ビノ出合から見た遭難者 |
石転ビノ出合を上流から見る | |
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石転ビ沢 | |
ホン石転ビ沢出合付近の亀裂 | 石転ビ沢と門内沢の合流点 |
サンカヨウ | 月山が飛んできた |
福島県防災ヘリが先行者の救出に降 りていく 現場は真ん中の沢の中 |
3人の救出が始まる |
吊り上げの準備が整った | 遭難者が空中に舞う |
ワイヤーが巻き上げられる | 機体に収容 |
3人目の吊り上げ | 銀マットが光っている |
福島県防災ヘリ | OTJが梅花皮小屋に向かった後で |
石転ビノ出合 | |
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梶川出合を上流から見る | |
梶川出合を下流から見る | |
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温身平から石転ビ沢上部を仰ぐ | |