登山者情報940号

【2005年07月31日/梶川尾根遭難/井上邦彦調査】

先ずは風呂に入り、ビールを飲み、空腹を満たす楽しみを抱えて自宅に到着。自室で無線機のスイッチを入れ、梅花皮小屋のOTJを呼び出す。
「ホーム着、特に何もないね」すると「HZU、すぐに警察署行きだわ」と返ってきた。滝見場付近で登山者が骨折していると言う、風呂とビールはお預け、ご飯を一口食べて小国警察署に向かう。
小国警察署内は蜂の巣を突付いたように騒然としていた。大石沢で山に入った町外者がツキノワグマに襲われ、仲間と共に警察署に助けを求めてきたため、町立病院に案内したが当直医は外科でなかったために置賜公立病院へ行くこととなり、それを聞きつけたマスコミの対応に追われていた。その上に山岳遭難である、山間の小さな警察署の日曜日は大変である。
整理した状況を見せてもらう。17人パーティはA社のツアーで、ガイド1名、添乗員1名。早朝に飯豊山荘を出発し梶川尾根経由で梅花皮小屋に向かった。滝見場を過ぎた所で女性1名が左足首の上を骨折したとのこと。ガイドが飯豊山荘に助けを求めた所でOXK(救助隊飯豊班長)と会った、OXKとNOOが動いている。
役場の松山君と携帯電話で連絡を取る。当該場所では吊り上げが必要であり県警ヘリ月山では不可能である。防災ヘリ最上はまだ修理中で使えない。新潟県防災ヘリ「はくちょう」に出動の依頼手続きを行っている最中とのことであった。月山からは、「はくちょう」の出動が決まればフライトなしとの連絡が入った。山形県の山は飯豊連峰だけではないし、水難事故にも出動しなければならない、なんにでもフライトすれば良いというものではなかろう。
署内のアマハム無線機で気象状況を確認する。梅花皮小屋(OTJ)からは雲で滝見場が見えない、本山小屋(EHJ)からも見えない、ダイグラ尾根御池ノ平(ODD)からは薄く見える、小玉川小中学校(NOO)からは稜線のみ雲との連絡が入る。稜線の一部に雲がかかり、全体として空気が霞んでいるが、ヘリの行動に支障はなさそうである。
とは言え、山の気象は想像がつかない変化をすることがあるし、前回の救助作業時のように、突然ヘリが故障して飛べなくなることもある(登山者情報第935号)。地上隊の準備も必要である。私はこのまま出動できるであろうし、無線で「LFD(救助隊中央班員)待機」の連絡も受けている。PWDは鳥海山の訓練から帰っていない。警察署ではGPNとMESに出動待機の連絡を行い、二人はおっとり刀で署に駆けつけてきた。ヘリが失敗した段階で直ちに4名の地上班を出動させ、同時に飯豊班に非常召集をかける計画を頭に描いた。
実はこの時点では遭難者が1人になっていることを私は知らなかった。もし知っていたら迷うことなく無線を持った隊員を現場に直行させていた筈である。
ともあれ、ひたすら「はくちょう」の動きを見守るしかない。OTJ・NOOからヘリの音が聞こえる旨の無線が入る。NOOによるとヘリは滝見場上空を旋回している。やがて石転ビノ出合に小玉川小中学校を引率しているGCSから、ヘリが吊り上げに成功し病院に向かったようだと連絡が入る。暫くして松山君から「ヘリに収容し置賜公立病院に搬送」との電話があり、署内は喜びで溢れた。空腹の私はすぐさま帰宅、ようやく風呂と缶ビールにありついた。
当日の夜のことである。自室でパソコン操作をしているとOTJの交信が入ってきた。どうも遭難パーティの添乗員が梅花皮小屋にいる様子なのである。ブレイクを入れ、OTJに確認すると遭難者と通報者(ガイド)以外の全員が梅花皮小屋にいると言う。慌てて「熱射病の恐れはないか、充分注意してくれ」と送ると、「皆元気だわ」とのこと。瞬間、私には理解できなかった。ヘリが救助したのは午後の一番暑い盛りである。それから梶川尾根の急斜面を登りきることはメンバーから見て無謀であり、熱疲労が起こる可能性が高い、仮に今は元気でも夜間や朝に体温が上昇して熱射病になる恐れがある。メンバーを充分に観察する必要がある。そのようなことを一気にOTJに送った。しかしOTJは「皆は救助作業を待たないで登ったから、大丈夫」との返答があった。
私にはOTJの行っている意味が分からなかった。まさか救助要請者を下らせ、それが受理されたか救助体制がどうなるか全く分からないままで、骨折している者を1人放置して、計画通りツアー(縦走)を行ったということなのだろうか。かつて山形県で全国遭難対策協議会が行われた時、山梨県警から「メンバーが1人いなくなった。探して欲しい。なお私達は次の日程が待っているので、ここからいなくなる」と一方的に移動を行うツアー会社がいると報告を受けたことがあるが、まさか類似の事案が当地で発生していたとは(絶句!)。なお、先に下ったガイドは翌日に滝見場まで登り残されたザック等を回収し、先に下山予定の大日杉で待っている計画とのことも後で分かった。
翌朝OTJと交信すると、私とOTJの交信を脇で聞いていた添乗員が会社と電話で連絡を取り、1名で14名を引率して縦走を続行することは危険と判断し、縦走を断念し梶川尾根を下ったとのことである。

翌日(2日)私の元に1通のメールが届いた。内容は下記のとおりである。
7月31日の梶川尾根で発生した骨折事故者の救助関係に関して、ちょうどその時点に居合わせましたので、報告いたします。
私と山仲間2名。計3名で、7月30日には飯豊山荘〜丸森尾根〜頼母木山〜杁差岳(小屋泊)。7月31日は杁差岳〜頼母木山〜扇ノ地紙〜梶川尾根〜飯豊山荘を行動していました。
31日の梶川尾根を下山中に、怪我人の同行者と思われる山岳ツアー10名ほどの集団と梶川峰で落ち合いました(11時15分ころ)。皆、楽しい山行きのようで談笑しているようでした。私たちは途中、清水で小休止。13時ころ男女組2名の登山者とすれ違う(標高約1200m付近)。(昆虫採集許可腕章を着けた大学関係者と思われる)
13時10分ころ登山道で黄色のシートを発見。(シートはツエルトであった)。何かあったか。覗いてみると女性が仰向けに寝ていた。悪い予感がしたが、女性は声を出して「骨折した」と話しかける。付近には誰も居なく。怪我人女性ただ一人だけである。私たちは詳しい状況を聞こうとしたが、ツアー登山の添乗員3名(注:2名?井上)のうち1名が山荘まで救助の連絡に下山したそうだ(午前10時ころ)。すでにこのとき事故から3時間たっていた。
左足骨折の応急措置は添乗員らが行ったようである。女性の意識はしっかりしている。水、食料もあるそうだ。付き添いが居なかったのでそのことを聞いたら、自分一人で大丈夫とのことで、他の同行登山者や添乗員には登山の続行を願ったそうだ。それで、付き添いが居ない理由がわかった。女性と約10分くらい話をして、私たちは下山する(そのとき、女性は呼笛を持っていなかったので私の呼笛を渡し、何かあったら笛を吹くように)。
{現場は、滝見場から少し平坦な登山道を進むと80cmほど足を上げなくてはならない窪みの登山道となる場所で転ばれたようです。そしてそこにツェルトを張って仰向けに寝ていました。⇒補足のメールより}
下山開始直後ふもとからヘリの爆音が聞こえる(13時15分ころ)。ヘリを確認し、私たち3人はタオルや手を振りながらヘリからの確認が出来るよう行動する。
ヘリ(新潟県防災ヘリ)は滝見場付近の開けた場所上空30m付近で私たちを確認したようだ。怪我人の居る場所までを合図しながら走る。ヘリからは2名の救助隊員が下降。怪我人までの距離はわずか4m。すばやい措置で怪我人を回収。隊員は、私たちは女性怪我人の同行者と思っているようだが、違う旨を話す。名前を聞かれたので森林管理署の山越とだけ名のった。
ヘリが去った後は、怪我人の所持品ザック(貴重品等は女性が持つ)と添乗員の所持品と思われるザック、ピッケル等を回収して登山道脇にツエルトで被せてデポする。(このとき所持品の回収に登って来るだろうと考え、ツエルトの被せは簡単にした)
13時45分作業を終え下山開始。山荘に16時20分過ぎ着。早速、山荘のご主人に事故の件での添乗員のその後を聞いた。添乗員は帰ったとのこと。電話番号(ツアートラベル会社)を教えて頂く。
3人で山荘の風呂で汗を流し、自家用車にて小国町へ。途中、小国警察署に立ち寄り、事故の件で該当者の所持品を現地にデポしてきた旨を知らせる。そして、山荘で教えていただいたツアートラベル会社の電話番号メモを渡し、小国町をたちました。
今回の事故の件では、怪我人が現地に一人で居たことが気になりました。本人が付き添いを辞退したにしても、怪我の状態の急変や、救助隊が現地に到着するまでにはかなりの時間を要することなど様々な状況があることから、トラベル会社の添乗員なりがもう一人残って、怪我人をサポートするべきであったと考えます。怪我人は最悪の場合は一人で夜、現地でビバーグを覚悟していたそうです。当日の天候は先ず先ずでしたが、雨や雷はいつ何時襲ってくるかわかりません。
私たちも現地に残ろうか考えましたが、女性は必要ないとおっしゃったので、下山を判断しましたが、実際のところ判断を迷いました。ヘリの音が聞こえたので心配は打ち消されましたが、救助までの時間が遅れれば、特に麓との連絡が出来ない場所(携帯電話つながらない)では私たちの二人が下山して私たちの家族への下山の遅れ等の連絡と、一人が女性の付き添いに残る判断をせねばならなかったでしょう。

山越さんのおかげで、今回の事案について流れをほぼ理解できました。今回の事案については、日本における登山社会の問題点が凝縮されていると考えます。恐らく他の山では既に常識の山行形態であり、その波が飯豊連峰にも押し寄せてきただけとも考えます。
現在の飯豊連峰には様々な旅行会社やガイド会社・団体などによる集団旅行が登っています。情報を収集した結果、私個人の感想として、今回事故を起こしたA社は業界の中では優良な部類に属すると思われます。事前に登山計画も提出し、登山者の安全について改善を重ねてきています。また、梅花皮小屋から添乗員1名で14名を引率して縦走を続けることは危険性があると判断し、下山を敢行したことは評価できます。
金銭による契約ですし、怪我をされた方以外の旅行客にとっては、たまたま一緒のツアーに参加した見ず知らずの者のために、何故自分が楽しみにしていた登山(=旅行)を中断しなければならないのか、ツアー会社に対する不満が噴出するリスクもあると思います。
現在、ツアー登山は大きく変化しつつあります。例えば旅行業ツアー登山協議会が設立されてツアーに一定の安全策を講じつつあります。(社)日本山岳ガイド協会が設立されガイドの養成・認定の水準を確立しようとしています。私はこれら関係者の努力に対して敬意を表します。
山を歩く以上、トラブルの可能性は常にありますし、一概に事故を起こしたこと自体を責めることはできないと考えます。今回の事案の特徴は、連絡手段を有しない段階でガイド協会公認の資格を有するガイドが、怪我人を1名にする判断を行い実行したことであり、私が有している登山パーティの基礎概念の範疇から逸脱しています。
このような問題は、全国的にはこれまでにも論議された問題であり、私はツアー登山の経験を有しておりません。従って、私が此処で簡単に結論を出すことなく、本ホームページをご覧の皆さんのご意見を募集したいと考えます。様々な立場の方々からご意見を賜り、私達山岳救助隊の行動を考える参考にさせていただければ有難いと思います。なお、頂いたご意見は本ホームページで紹介して行きます。ご意見の送付については、実名(掲載時匿名希望の時は、実名の後に匿名希望と記入下さい)をお願いします。何らかの理由があり私にも匿名の場合は、その旨を記載下さい。勝手ながら私が誹謗中傷に当たると判断した場合は、掲載しないこととしますのでご承知くださるようお願いします。

山越さんから頂いた遭難箇所

参考ホームページ

山越さんのホームページ http//jns.ixla.jp/users/sanpomichi856/
旅行業ツアー登山協議会 http//jata-net.or.jp/osusume/climb/
(社)日本山岳ガイド協会 http//www.jfmga.com/

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