2011年度 国体山形県予選会を振り返って

理事長 青木 健一 

 このたびの国体山形県予選会の運営に当たり、公私とも御多忙中の中、県教育庁スポーツ保健課競技スポーツ室長 京谷伸一様、飯豊町副町長 後藤博信様の御臨席を賜り、お祝いと激励のお言葉をいただき、各も盛大に大会の開催が執り行われましたうえに、御高覧を賜り心から感謝を申し上げる次第です。
 さて、本大会運営は、東日本大震災の煽りを受け多方面に亘り大会役員体制に困難を要した。
 また、県予選会と併行して東北大会順番の宮城県が被災により開催できず、岩手県の協力によりようやっと盛岡市の施設において東北大会が開催されることに決定した。このようなことから、国体・東北大会の運営の方法によっては、県予選会の運営も大幅に例年と異なることが予想され準備も非常に難航を強いられた。この窮地の対処措置として、大会役員の経験豊富な人材招集に終始する。特に、例年のように鶴岡・八幡の遠方からも精鋭役員を派遣していただき少数精鋭体制を構築し大会の成功に傾注した。
 成績については、成年男子は全都道府県の選手に国体出場権が与えられることから、東北大会はこの種別は行わないことを受け国体出場権をかけた種目となる。手塚慎弥選手が安定した結果でリード・ボルダ競技とも1位、次いで滝口康博選手と小林靖選手が2位タイで、国体出場権は手塚選手、小林選手と決定した。成年女子は、鈴木宏美選手、滝口詠子選手の欠場により、本田和恵選手、梅津香緒里選手が東北大会出場権を獲得。
 少年男子は、21名のエントリーにより若手選手の成長が期待された。米沢東高校本田綾太選手、同じく近藤将多がリード完登、ボルダ3課題完登と群を抜いた結果を収めた。しかし、各選手とも力をつけてきている。また、県予選会で初の中学校3年のエントリーがあった。飯豊中学校3年の井上絢人選手については、中学最後の中体連を仲間に託し、県予選会に臨み、初めての大会エントリーでリード競技3位、ボルダは緊張しながらも6位、総合5位タイの堂々の結果を収めた。登攀のセンスは非常に高いものがあり、今後一層の若い選手の普及と活躍に大いに期待をもたらすことに繋がる第1歩を山形県も踏み出したと確信するものである。
 少年女子は、東根工業高校の松田友里選手が他の選手から群を抜き今年も優勝。松田選手も、資格取得試験を蹴っての少年女子最後の大会出場。これで松田選手は少年女子リード競技において3連覇の偉業を果たした。2位は同じくリード、ボルダとも2位の児玉紗弓選手。3位に山形東高校金澤ひかり選手がリード、ボルダとも3位の成績を収めた。
 総じて、少年男女の部では、一生懸命練習を積み重ねることにより、県予選会では誰でも上位入賞を狙える実力が備わる。今年も少年男子の国体出場権が東北で3県であり2年連続国体出場も十分狙える実力があると思量される。また、少年女子松田選手も東北大会での活躍が期待される。年々若い選手が成長し顕著に結果となって表れてきた。今後も集いあい仲間同士で叱咤激励し自らを鼓舞しながら、みんなが楽しむことができるスポーツになって欲しいものである。
 終わりに、本大会が事故もなく、ひとつの抗議・クレームもなく成功裏に終了することができましたのは、長い間準備に携われたアクションパーク米沢の皆さんと御理解御協力を賜りました関係各位の強い「絆」があったからです。
 「絆」とは、「糸」と「八」、「牛」を表している。「八」は、二つに分けるという意味があり、「牛」は昔であれば大事な家畜である牛を分けるという意味がある。この大事な家畜である牛や羊、馬をつないでおく綱のことを「絆」と言っていた。現代では、人間の関係である大切なつながりや、離れがたい関係のことを表すようになったのが「絆」の由来とされている。
 本大会の運営に関わったすべてのみなさんに心から敬意と感謝を申し上げます。