先日、山形県山岳連盟総会が開催され任期満了により会長職を退任しました。
 昭和46年県総体が鳥海山で開催され始めて役員として岳連に関わりを持ち、厳冬期飯豊連峰完全縦走の目的を達成したばかりであった昭和57年4月に、37歳で理事長に就任しました。
 平成元年北海道国体で副審判長を務め、平成4年べにばな国体開催。平成6年には愛知国体では中央総務、平成7年第50回となる福島国体では審判長を、更に翌年広島国体では再び中央総務として国体に関わりました。
 平成9年から山形県山岳連盟副会長となり、平成12年には県岳連創設50周年記念式を行い、平成21年会長に就任し現在に至りました。
 若い時分は飯豊連峰の冬山登山にのめり込み、その後岳連役員として30年以上の中で国体山岳競技にのめり込み、更に国体山岳競技が大きく変貌した時代には中高年登山者の安全登山にのめり込み、その後は会長として6年間になります。
 大きな事業は出来ませんでしたが、先輩方や加盟団体の皆さんから預かった県岳連を2流と行かないまでもせめて3流は保ちたいと努力してつもりであります。
 これからは稲泉会長を中心に庄内の皆さんが県岳連を牽引していきます。加盟団体をはじめ多くの関係機関団体の皆さんからご理解とご支援を宜しくお願いします。
 自分の登山人生を振り返ると、多くの方々からのご支援とご指導とご理解をいただいた結果、自分では過分な人脈ができ現在もご厚誼頂いていることが大きな財産です。
 支えていただいた多くの皆さんに深甚なる感謝を申し上げ退任の弁といたします。
 今年からは残してある北アルプスの著名峰の登山や、海外の山歩き、そして山岳文化の端くれをかじりながら当分山屋を続けたいと思います。 
 多くの皆さん有難うございました。


山形県山岳連盟会長  清 野  孝