飯豊連峰地名考 2  2011年03月26日

 前回は新潟県の藤島玄氏著「越後の山旅・上巻」から地名の由来を記載している部分を抜き書きした。今回は福島県の小荒井実氏の「写真集、飯豊連峰、山と花」に掲載されている地名由来の部分を列記してみる。今回は第1章と第2章からの転載とし、第4章「飯豊参りと習俗」、第5章「飯豊連峰の雪形」は次回にまわす。
 なお「⇒」は私なりの感想である。

☆ 箸ノ王子と呼ばれた南端の三国岳=131頁
⇒宗教登山の地図と確認してみたい。
☆ 御西岳付近の雪田(御鏡雪=ミカガミユキ)は毎年円に近い形になり、やがて痩せ細るが、新雪を迎えることになる。=133頁
 ⇒丸く白い様を鏡に例えたものだろう。
☆ 晩秋まで残る雪を「オトミ雪」と新潟・秋田では呼ぶ(中略)オトミは「弟見」の意味で、乳飲み児のいるうちに次の子を妊娠することをさす。高山の残雪が消え失せないうちに新雪が降ることを乳離れしない子を持つ母親の懐妊とを関係づけたものであろう。=133頁
 ⇒会津地方ではオトミ雪という言葉はなかったのかな?この文では良く分らない。
☆ 疣岩山を弥平四郎村落から見ると双方耳峰となり、一大突起をなすことから「疣」と言われるとか、岩石が大きな疣状になるとか山名の由来について説かれている。疣岩山から三国岳にかけて岩石を調べてみると凝灰岩の中に、人体にできるような疣によく似た球状団塊(ノジュール)がたくさん見つかる。火山灰に雨などの水滴がつくと、丸い粒ができるが、このような団塊が岩石の中にあることからの命名と考えられる。=135頁
 ⇒飯豊連峰は花崗岩の隆起山塊とされていますが、細かく見て行くと様々な岩石がありますね。
☆ 「上ノ越」「中ノ越」と呼ばれる地名があるが、弥平四郎の熊狩り衆の通路であったことからの命名と言われ、ここを越し、大日岳や裏川方面までも狩猟に出かけたという。=135頁
 ⇒弥生から県境を越えて湯ノ島に行くコースもあったと聞いています。
☆ 中ノ越から北西に流れるミンジャノ沢は、狩猟の泊場のときの台所の「流し」からの命名であろう。水屋や台所をミンジャとか、メンジャと言う地方は多い。=135頁
 ⇒ミンチリという言葉は、台所から流れた水で魚を飼うという話を聞いたことがあります。
☆ 上ノ越から真南に枝尾根があり、八ッ小屋尾根と呼ばれるが、平坦な藪尾根で地名と一致しない。巻岩山と鏡山を結ぶ県境尾根は小突起がいくつかあり、しかも家型のものがあることを考えると「八ッ小屋」名称に合致するからこの尾根に付与されるべきだろう。=135頁
 ⇒今は祓川の駐車場から上ノ越まで登山道が開かれています。
☆ 剣ガ峰を中心に両側は数百メートルの露岩となり、タカツコ沢の源頭を「天狗ノ橇乗り場」とその形状を表現している。=136頁
 ⇒雪崩が作った典型的なアバランチシュートです。
☆ 種蒔山も信仰とのつながりがあり、山頂より北西に広がる湿性草原に由来する。=136頁
 ⇒稲作文化と宗教の関わりで、豊作を祈願したのでしょう。
☆ (種蒔山)山頂より西、前川に向かって尾根が伸び、大岩の露岩があるため、一ッ石尾根と呼んでいる。=136頁
☆ 切合セ小屋=136頁
 ⇒切合なのか切合セなのか、ともあれキリアワセと読みます。
☆ 飯豊神社の西600mの地点に一等三角点があり、ここを単に本山と呼ぶ。=137頁
 ⇒一等三角点は五ノ王子であり、御前坂を登りきった一ノ王子から五ノ王子までを本山と言うのか、もう少し調べてみたいと思います。
☆ ビンカガクチ地名は(中略)「イヌツゲなどがある沢」と考えてよい。(中略)険悪な沢をビンカ沢と呼ぶ地名も散見できるからこのような意味をこめての命名とも考えられる。=137頁
☆ 御西岳の西に池塘があり、この付近を御田とよぶ。=137頁
 ⇒御西岳周辺は登山道から流出した砂や幕営により昔の形と変わっています。保全作業の大切な資料となる表現です。
☆ 御西岳の西側草原を弥陀原と呼ぶ(略)=137頁
 ⇒御西小屋の付近のことかと思われます。
☆ 矢沢の源頭薬師岳付近に矢羽根の雪形ができるのでこの名があると言う。=137頁
☆ 大日岳の南に牛首山があり、牛首鞍部の象形地名がつけられている。東側、前川に落ちこむ急峻な尾根上に春季、黒いタカの羽の雪形ができるので黒羽尾根と呼ばれている。=138頁
 ⇒牛首山と大日岳の鞍部が牛の首に似ているということなのでしょうね。
☆ 櫛ガ峰(中略)「クシ」の地名は一般に「越」の意味があって「長く連なった高まり」の地形語として用いられる場合が多い。=138頁
☆ オンベ松尾根は「御幣=オンベイ」からの命名といわれる。(中略)この尾根上に御幣に似た松があったことからの由来であろう。=138頁
 ⇒御幣は御払いの時に使う道具です。
☆ オコナイ峰は(中略)仏道修行では「行う」意味をオコナイと言い(中略)山岳信仰と関連づけて考えるとオコナイ峰の命名は印を結ぶときの手指の形から由来するものと思われる。=138頁
 ⇒なるほど、面白い表現ですね。
☆ 北股岳の山名について「赤谷側では北股のカッチ。北股岳。あるいは三国山と称したのは北股川の川名からの転用である。長者原では石転ビのカッチ、(石転ビ沢は急峻な山頂付近から転石が多いので命名)石転ビ山と言っている。胎内マタギ(黒川村)は加治川の北股と呼ぷ。烏帽子岳から北股一帯は猟場の境となっており、かつ極めて目立つ山であるため随分異名もあったらしい。檜山、梅花皮山、三国山、大西山(御西山)フスマ岳、石転ビ沢ノ頭と、マタギ、登山者が雑然と呼称して帰する所がなかったのを藤島玄氏が赤谷のマタギと協議の上、北股岳と正称し『山岳』誌上に発表して以来統一された」。(『北蒲原郡山名覚書』越後山岳第5号)
 ここで言う「カッチ」は水源地を指し、川の上流源頭や湧水の始まりのような地点を意味することが多く、「川内、甲子、河内」などと表記することが多い。上高地の地名なども語源をたどると「上カッチ」の意味で用いられて釆たカッチからの転靴であろう。大日岳の南西に位置するビールノカッチ(963m)などは本来ビール沢の上流の水源地をさした意味であった。現在はカッチの意味が重要視されず。山頂名となっている。昔は沢の上流。水源地をカッチと呼んでいたことを考えると北股岳を石転ビノカッチとか北股ノカッチと呼んだかどうかは疑問の残るところであろう。山頂付近をカッチと呼ぶことが多いから山 頂の地名採集にあたっては十分留意しなければならない。=138頁
 ⇒ 要は、湯ノ平温泉へ行く途中にある北股沢が北股岳の語源になっているということだろうか。すると石転ビ沢にある北俣沢は、どうなるのだろう?北股岳に突き上げる沢だからキタマタ沢で、それが北俣沢になったとしたら笑いが取れそうです。
☆ 北股岳から西に派生した尾根道をたどると湯ノ平温泉があり。露天浴槽などで山行の疲れを癒す登山者も多い。この急登の続く尾根をオーインノ尾根と称している。オーインはオオカミのことを表している。狼をオイヌ、オーイン、オニ、ヤマイヌ、ヤマズミサマ、ヤマノカミなどの方言名が多くあることをみてもわかるように、飯豊連峰に狼が棲息していたかどうかを検討するよりも、民間でいう狼はいたとみてよい。御犬と敬称されているように霊力あるものとして畏敬され、人間を庇護するものとして信じてきた地方は多い。動物学上の狼がいつ絶えたかは明らかではないが、民間に信仰の対象として狼が存在し、それらの信仰がもとになってこのような地名がつけられたものと考えられる。
 オーインノ尾根を「オーインノ逆峰=サカミネ」とも表記したことがあるが、現在は「逆峰」を使用することは少ない。「逆峰」の字義を短絡的に解釈すると「逆さになる峰」ととらえられ、現実にはあり得ない。
 山岳信仰から考察してみよう。新潟県東赤谷から湯ノ平温泉を通り、飯豊山へ達する飯豊川沿いの登拝路は、江戸末期には開かれ。越後からの参詣者があった。修験道は本山派と当山派の二大宗派があり。本山派は熊野三山を中心に修行し、熊野から吉野に向って峰入りすることを「順峰」と言った。当山派は大峰を根拠にし。本山派とは逆の行程をとり、吉野から熊野に向って峰入りした。これを「逆峰」と称し、行者のコースをたどったという。
赤谷登山口には不動滝を通る前記の旧道があり、この旧道に対比して現在の登山道を「逆峰」と呼んだと思われる。=139頁
☆ 杁差岳の杁は田の土を平らにならす農具の一種をエブリとかエンブリと言うが。前杁差岳の雪形がエンブリを肩にした農夫の形となることから山名となった。=139頁