【2005年10月22日/徳網山/井上邦彦調査】
徳網山は2004年2月2日に登っており、その様子は登山者情報第787号に掲載している。ここに地元五味沢と小国町がタイアップして登山道を整備したのが、今年9月19日である。地元の方々が区間を分担して1日で伐り開いたとのことである。今回完成した登山道は、私がスキーで登降したコースとほぼ同じであるが、樋倉の集落内を通らないように、手前の砕石跡地に登り口を作ってある。
ところで、徳網山のことを地元では文平崩シ(ブンペイクズシ)と呼んでいる。昔(といっても曾孫が現存しているのだからそれ程昔ではない)、嫁に来た新妻が「あの山が高くて、早く日が暮れる」と嘆いたのを聞いた夫が、徳網山に登ってダイナマイトを仕掛けて山頂を爆破してしまったのだ。それで山頂は平らになり、見晴らしの良い展望台になっている。その爆破した人の名前が文平であった。なんとも豪快な愛妻家がいたものである。
今回は、山岳救助隊朝日班の訓練会場としてこのコースを使用した。メンバーは実際に登山道整備に携わった方々であり、山頂に立てる標柱を持参した。
樋倉橋を渡り直進すると右カーブして樋倉集落に入るが、このカーブの左側に「徳網山登山道入口」と書かれた標柱が立っている。標柱から左折し、砂利道を進み右折して旧採石場に向かうと7台程度の駐車場がある。
13:30歩き出す。駐車上に入ってすぐ右手に歩道があり、そのまま杉林の中に入るのが登山道である。杉林を僅かに登ると雑木林の段丘になる。そのまま進むと道は宮沢右岸の尾根を登る。左からの大きな尾根に合流すると、道は平坦になり、左に小池(地図に□表示)がある。広い林となり、右から大きな尾根が合流する。ブナは次第に太さを増していく。右手に目指す徳網山が見えた。636mで主尾根に合流するが、付近は居心地の良いブナ林である。
14:15-23ここで一息をつける。この先、尾根は痩せてくるが、特に北西側はすっぱりと切れ込んでいる。もっとも樹木があるので恐怖感はない。ゴヨウマツが混じると急になり、周囲は潅木になって見晴らしが良くなってくる。
14:50徳網山々頂に到着する。作られたばかりの登山道とは思えない平坦な山頂である。正面には大朝日岳を始めとする朝日連峰が連なっている。360度の大展望である。あいにくと飯豊連峰は雲に隠れていた。 担いで来た「徳網山々頂」の標識を埋め、標識にお神酒を捧げて山の無事を祈願する。
下山は、レスキューハーネスを使用して負傷者役を担ぎ、20mロープで立ち木を利用した確保方法を訓練した。
主尾根から外れて下っていると、雷鳴が轟き急速に暗くなってきた。向かいの山を見ると雨が降り始めたようだ。登山道を駆け下ることとなった。幸いブナ林の中なので、多少の雨は気にならない。ただ足元が暗くてよく見えない。先頭集団が駐車場に到着したと同時に、激しい雷雨が襲ってきた。車の中で、全員下山を確認し、りふれに移動した。
先ずは風呂に入り、その後はカッパ搬送法の訓練をしながら酒を酌み交わして反省会。
新設された登山道 |
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登山口までの車道 |
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駐車場にて | |
始めは杉林に入る | 段丘上の雑木林を行く |
ナラ枯れがここまで進入していた | ブナが出てくる |
尾根上を行く | このあたりのブナは全体として若い |
コース上のポイント説明を受ける | 目指す徳網山が見えた |
順調に進む | ブナが太くなっていく |
歩きやすい登山道である | |
主尾根に出た所で休憩を取る | |
熊の爪痕があった | |
山頂への登りは急になる | 松が出てくる |
右手にはブナ林が広がっている | 尾根が痩せてくる |
いよいよ急登 | まもなく山頂だ |
最後の登り | 山頂の三角点 |
山頂からの大パノラマ | |
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朝日連峰 | |
餓鬼山 | 町中心部方面 晴れれば飯豊連峰が見える |
雲を被った祝瓶山 | 寒江山と相模尾根 |
県境尾根 | 山頂のナナカマド |
雲の取れた祝瓶山 | 新設された標柱にお神酒を上げる |
山頂にて記念撮影 | GPSの使用方法を習う |
コース全景を見下ろす | 下山は搬送訓練 |
人を背負うことは結構大変 | 確保 |
背負い手を変わる | |
足元を確認しながら下る | 背負い手の交替 |
頭上注意 | 確保技術をマスターする |
登りになると重さがきつい | 県道にある標柱 |
リフレにて反省会 | |