ここ数年継続している年末年始飯豊山行をこの年末年始も実施してきました。前回は杁差岳へ登頂したので、今回は原点回帰と言った所で、飯豊本山を目指す事とした。過去の記録は・
1931号・
1848号・
1740号・
1618号を参照されたい。
【準備・計画】
前回の飯豊本山行(1618号)は今回のメンバーを含む4名で行い、各人が深雪ラッセルをものともしない突破力が有ったが、今回は2名での入山であり深雪ラッセルではかなり厳しい行動が想定される。
このため、ベースを切合小屋とする計画にして、三国小屋と切合小屋にそれぞれ旗竿と食料/燃料を10月末頃に荷上げしておいた。
アプローチはタカツコ沢渡渉地点付近までスキー(登山靴で装着可能なジルブレッタ)を使用。スノーシュー、輪カンジキ、アイゼンを併用するスタイルで、足廻り装備品は計4種類。ビーコン・ゾンデ・ヒトココ子機を携帯する。
これ以外は普通の冬山装備だが、濡れと湿気に対して積み上げた細かなノウハウが随所に盛り込まれている。
【入山前】
昨年に続き極端な寡雪と高温、挙句にはクリスマス頃の2000mクラスを含む降雨。この事から、下部低標高では極端に雪が少なく激藪ラッセルを想定。12月から高層天気図をチェックしていた感じでは、標高1200m程度からは例年比若干減程度の積雪は有るか?前述の降雨のため、雪庇と積雪の不安定さには細心の注意が必要であろう。
【12月30日(入山1日目・車両アプローチ)】
早朝に清水宅へ集合し、車1台(清水車)で川入へ向う。磐越道を西へ進むが、猪苗代IC辺りでも積雪は殆ど無い状況で、小雪がチラつく程度。山都町に入っても積雪は10cm程度、国道459から県道385へ入る辺りから幾分か積雪が増え始める。
いいでの湯付近(携帯電波限界)で入山のメール連絡を入れていると、川入方面から1台の車がいいでの湯へ入っていった。車の雰囲気と時間帯からして地元の車ではなさそうなので入山者か?などと話す。
川入方面へ車を進めると急激に積雪が増え始め、藤巻方面(県385)から右へ(林道川入線)入ると除雪も途切れ、車ラッセルとなる。少し入ると道路脇に旗竿とザックがデポしてあり、先程の車両がこれ以上進入出来ず置いて行ったようだ。まだまだ道路は長いので、我々に追いつくには相当に時間が掛かると思われた。
こちらはSUVの車高とハイテク4駆の利器で川入集落のすぐ手前まで進入するが、若干車も苦しそうなラッセルだ。
車を降りると40cm弱の深雪が有り、厳しいラッセルが予想された。ここに、首都圏NO.の車両が1台放置してあり、入山者が有るようだが、帰れなくならないか案じる。我々の車は清水妻の運転で下界に帰り、下山時迎えに来る手はずである。
【12月30日(入山1日目・山中アプローチ・湿雪降りしきる)】
川入集落手前7:10 〜 集落奥スキー装着7:31 〜 御沢野営場(小休止)8:17 〜 御沢登山口8:53 〜 タカツコ沢渡渉(小休止) 10:57
川入集落の先でスキーを履き、膝下程度のラッセルを進む。薄っすらとトレースがあり、形状からカンジキでMAX2名の入山と思われる跡をたどる。
気温は高め、結構な勢いで湿雪が降る中進むが、加賀谷のジャケットが全く撥水せずベッタリと濡れて実に不快だ。清水と同じ漬け洗い撥水ケミカルを施工したのだが、何故か撥水せず実に悔しい。
御沢野営場の東屋で小休止しようと向うと1名の登山者がいて、昨日入ってタカツコ沢渡渉点付近まで行ってきて東屋で幕営との事。道路の除雪は不定期で、タイミングが合わないと出れなくなると伝えると下山を即決した。
さらにトレースを追って進むとさらに積雪は増し、いつしかトレースも不明となる。タカツコ沢は晩秋の頃に下見した時点と水量が変わらず、減水していない。ここで靴を派手に濡らすと即時撤退となるので、慎重に渡渉して、松ノ木尾根末端に取り付き小休止を入れる。(標高約620m)
【12月30日(入山1日目・山中松ノ木尾根・湿雪後止む)】
タカツコ沢渡渉(小休止) 10:57 〜 標高1000m付近幕営地 15:05
松ノ木尾根に這い上がるが、いきなりの万歳ラッセルで汗を搾られる。挙句に加賀谷はジャケットがベッタリ濡れているので透湿が機能せず、大気の高湿度と相まって極めて不快でいかにも飯豊らしい。
1段上がって標高700程度の明瞭な細尾根に出ると、右(東側=タカツコ沢)から4名のパーティーが這い上がって来た。話をするとこの4名パーティーは栃木の組織で、メンバーの一部は杁差の下部(第1740号参照)で以前会っていたようだ。
随分早く追いついたものと首を傾げるが、我々を降ろした後の車両で川入まで送ってもらったとの事で合点がいった。
ここからは計6名でラッセルを交代しながら進むが、藪と根付いていない雪に足とザックを取られ遅々として進まない。
常時膝上から腰ラッセル、急斜面に差し掛かると万歳ラッセル(=栃木組ではオーバーヘッドラッセルと称すらしい)で結局3時頃になって幕営適地が有った所で行動を打ち切る。
我々は標高約1000m、栃木組はその30m程下での幕営であり、尾根取り付きから僅かに400m程度しか高度を上げられなかった。
【12月31日(入山2日目・松ノ木尾根上部〜三国小屋・終日雪弱し、風10m/s未満)】
H1000m付近幕営地発7:30 〜 三国小屋着13:35
栃木組は我々より1時間以上早くヘッドランプで上がって行ったが我々は明るくなってからの出発。しかし、歩き出すと10分と経たず追いついてしまい、やはり膝超え〜万歳の厳しいラッセルで遅々として進まない。
標高1130mの90度カーブ(一本松大曲り)の先から積雪が増え始め、安定度が増してきて藪も薄くなって来たので、一服平付近(標高1250)から我々はスノーシューに脚拵えを変更すると、一気にペースが上がるが輪カンの栃木組は全く追随できず。以降2名で三国までラッセルする。
帰路確保の旗竿は栃木組に依頼し我々はひたすらラッセルに専念する。尚、スノーシューでもラッセルは深く膝上程度、ザックを置いての空身ラッセルである。
松ノ木尾根最上部H1605m付近で登山道を合わせると風は若干強まるが冬飯豊にしては穏やか。
視界も比較的良好な中、空身ラッセルで三国小屋へ歩を進めるが、旧松ノ木尾根分岐標柱(H1610m)の付近で加賀谷が雪庇を踏み落とし2m程度落下する。南側の地形はさほど急では無いとタカを括って油断していたのと、眼鏡が曇って一人ホワイトアウト状態で歩いていたのが原因。這い上がる際に断面を観察すると、やはりクリスマス頃の雨天による弱層がみられ、以降行程への教訓とする。
合同で年末の酒宴を挙げ、おおいに盛り上がった。
【1月1日(入山三日目・三国小屋〜草履塚・小雪後やむ・風10m/s程度)】
三国小屋発7:15 〜 種蒔山8:50 〜 切合小屋(小休止)9:30 〜 草履塚10:35 〜 切合小屋(小休止) 〜 三国小屋12:55
冬飯豊にしては穏やかな新年の始まりである。当初の天気予報と、下界で入手していた高層天気図からチャンスはこの日だけと思われたが、前日までの激ラッセルから登頂はまず無理と考え朝7時半頃のゆっくり出発とする。
栃木組は我々より若干早めに発つがすぐに追いつき、結局ラッセルは大半を我々2名で行う事となり、ギブアンドテイクで旗竿差しを依頼する。
前日の雪庇落としの教訓から例年のルート取りよりもラッセルはきつくなるが、西側トラバース部分を多く設定して歩を進める。
七ツ森峰(P1730)の先の岩稜は露出、種蒔山への乗り上げ部分は嫌な雪の貼付きもなくスムーズに上がる。種蒔山付近から切合手前までは幾分か視界が有ってもホワイトアウトに近く、コンパス睨めっこでの前進。
切合小屋で一息付いて、我々は草履塚に向うと告げると栃木組も付いてくるとの事なので、我々がラッセル先行、栃木組が旗竿で草履塚1908mピークを目指す。
草履塚に着いて写真を撮り、栃木組の到着を待っていると、本山方面から2名の登山者が下ってきて、まさか誰も居ないと思っていたので狐に摘まれた感である。
この2名は東京の組織の方々で、檜山沢を渡渉しダイクラ尾根を上がってきて、昨日午後7時本山小屋着との事であった。真っ暗な中を2時間以上も行動し本山小屋を見つけ当てる精神力には感服である。
栃木組が上がって来て、この東京組に出会った時は、我々の姿が変わって神隠しにでも遭ったのかなどとギョッとした様子で夜の酒宴の話題になった。
切合に下降し、東京組と話をすると、明日2日が雨予報なので今日の内に下山したいとの事で、松ノ木尾根に我々のトレースが有る事、剣ガ峰は年末降雨の影響で積雪が不安定で危険である事を告げると帰路を松ノ木尾根に取る事とした。
切合発は東京組が先発するが、すぐに加賀谷が追いつき、下降の体力を温存させるため先行してラッセルを引き受けた。帰路は次第に視界が開け、三国に着いた頃には七森方面に時折光が差し、険しくも神々しい姿を拝する事が出来た。
加賀谷は東京組を松ノ木尾根下降点までラッセルして下降路を案内し、二方を見送った。
総合してラッセルは思ったほどでは無く雪も極端に悪くなかったので、気合を入れて朝早く発っていれば登頂できたものと悔やまれ、胸中スッキリしなかったが後の祭り。
翌日の天候は気温高く昼頃から雪でなく雨の予報、我々は濡れ鼠を嫌気して停滞を、栃木組は下山との事で新年の宴を楽しんだ。
【1月2日(入山四日目・三国〜飯豊本山・雪時々止む・上部風強し)】
三国小屋発6:25 〜 切合小屋(小休止)7:54 〜 草履塚8:51 〜 姥権現9:09 〜 御秘所9:20 〜 一王子水場標柱10:17 〜 本山小屋(小休止)10:28 〜 飯豊本山山頂10:55 〜 本山小屋(小休止) 〜 御秘所12:00 〜 切合小屋発13:43 〜 三国小屋15:15頃
朝4時頃、加賀谷がふと目を覚まし外の様子を覗くと思いのほか穏やかな小雪模様で視界もまあまあな状況・気温は高めで−3度程度。スマホをイジリ、最新の高層天気図、地上天気図、衛星画像を入手し、過去分と照らして総合的に判断し、午後6時前頃までは行動不能に陥るような悪天は無いと判断。
山が3時間早く午後3時から荒れたとしてもこの時間にはほぼ三国に帰還できる頃であり、最悪種蒔から下降していれば特に問題は無いので、再び山頂アタックを敢行する事として準備を進める。
栃木組は予定通り下山するとの事で、歩行ペースからすると三国からの本山往復は困難と思われ賢明な判断であろう。
三国を発ち、消えかけた前日のトレースを辿ったり外したりしながら順調に歩を進め、切合にて小休止。草履塚を越えるとクラストが顕著になり、御秘所手前でスノーシューからアイゼンに脚拵えを変更する。前回(第1618号)は本山小屋〜本山山頂間で思わぬ深雪ラッセルに難儀したのでスノーシューは背負っていく事とする。
御秘所を越え、御前坂に差し掛かると、積雪は少なく注意して見れば夏道が拾えて助かる。御前坂を上るに従い風雪は厳しさを増し、ガスで視界は悪化して来るが、上空の雲は薄く思いのほか明るいので清水が眩しさを訴える。
本山小屋の風陰で小休止を取り、飯豊山神社奥宮で参拝をして本山山頂へ向うと、いよいよ視界は無くなり完全なホワイトアウトとなる。今回はこの区間でラッセルとなる事は無く視界は無くともアイゼンの足取りは軽い。
コンパスを合わせ、ほぼ無視界の中を進みながら帰路の旗竿を打ち、竿が尽きてストックを2本打った所で山頂の標柱を清水が視認したが、加賀谷は視力が悪く直前に至るまで視認できなかった。これは大きなハンデである。
写真撮影を行い、早々に風雪ホワイトアウトの山頂を後にして本山小屋へ帰還、再度登頂感謝と無事下山祈念の参拝を行う。帰路は草履塚山頂まではアイゼン、以降スノーシューの脚拵えで、快調に帰路を進み、切合でデポ品から物資を補給して無事三国へ帰還した。
登頂と初詣を果たし、胸中のモヤモヤもすっきりと晴れ渡り、祝杯が六腑に沁みる。
下界に登頂帰還のメールを送り、午後6時頃に返信が来ると、下界小国町では土砂降りの雨との事でほぼ読み通りである。酒宴の中、7時前頃になると雷鳴轟き小屋を吹雪が叩き、烈風がゆする。
昨年7月に加賀谷は不本意ながら従来型携帯からスマートフォンなる利器に変更したが、電波の届く範囲であれば天気図や衛星画像を容易に入手出来、気象変化のタイミングをピタリ読む事が出来た。
遅まきながら山における情報化ハイテクの威力を実感した次第だが、頼り過ぎない様にしたい。
【1月3日(入山5日目・三国〜川入下山・雪・風弱し・後時折晴れ)】
三国小屋発7:33 〜 大曲(90度カーブ)8:55 〜 タカツコ沢渡渉(小休止)10:47 〜 御沢登山口11:36 〜 御沢野営場(大休止)11:47 〜 川入集落12:53
昨晩からの吹雪がいつしか風弱い静雪となりフワリと30〜40cm程度の新雪が積もっている・気温は高めで−3度程度。三国から下降を開始すると膝程度のラッセルとなるが、下りである事とトレースがある程度拾える事から足取りは軽い。
松ノ木尾根へ入ると殆ど風は無くなり、木々の枝に雪がフワリと乗って美しい・・がこれが先頭を行く加賀谷に降りかかりジャケットの撥水が効かない事と相まって精神的ストレスがキツイ。
登りでは藪との格闘で気付かなかった、異形な枝振りのブナや、不可解なオープンバーンなどを観察しながら下り、標高1100m付近で輪カンジキに変更。
高度を下げるに従いグズグズになる雪と濃くなる藪に難儀しながらも時間的には順調に下降し、タカツコ沢を渡渉、スキーに履き替える。
スキーは登山靴で履いているので重荷と相まって下りになると腰が引けて難儀する。須賀川の岳友が皮重登山靴で巧みに滑るのをいつも目の当たりにしているが、全くもって感服の次第である。
御沢野営場につく頃には日差しが出てきて、下山の安堵感に拍車をかける。川入まで降りると道路の雪は入山時より大幅に減っていて、既に迎えの車が待機していてくれた。
一ノ木方面に車を走らせると、タイミングよく向かいから見覚えの有る車がやって来たので引き止め、川入民宿の主人に新年の挨拶と登頂の報告をする事が出来た。
帰路、いいでの湯(源泉ポンプは交換され、沸かしでなく源泉浴が再開されていた)に浸かり、名物の山都蕎麦に舌鼓を打つ。帰りの車窓からは、入山時より積雪が減って稲株の露出したこの時期らしくない会津の田園風景が広がっていた。